消化器がんの女性患者向けSNSコミュニティー「ピアリングブルー」を運営する佐々木香織さん(51)。
大腸がんの再発転移と4年以上闘い、自らの意思で永久人工肛門に切り替えたがんサバイバーの一人だ。その決意の裏には、壮絶な排便障害に悩まされた過去があった。
お尻を拭くと梅干し色の出血が
「2018年に会社の健康診断で、出血の有無を調べる便潜血検査を受けて要精密検査に。毎年受けている検査ですし、当時は元気で体調もよかったので、がんを疑っていなかったのですが、とりあえず、すぐに専門のクリニックを予約しました」
1か月後、カメラで大腸を見る内視鏡検査を受けると、ポリープが5個見つかった。
「ポリープは良性でも放置するとがん化するおそれがあるので、その場で切除すると聞いていました。検査後に先生と話すと『5個のうち1個は大きくて切れなかった。大きな病院で手術してください。築地とか有明とか』と言われたんです。
有名ながんの病院がある地名なので驚いて悪性か聞くと、病理検査の結果が出るまでわからないとのこと。このとき、初めて自分はがんかもしれないとショックを受けました」
振り返ると、半年ぐらい前から自覚症状のようなものがあったという佐々木さん。
「夕方に便意を感じてトイレへ行くのですが、いきんでも出ないんです。でもお尻を拭くと、ペーパーに小指の爪の先ほどの梅干し色の血がつくことが1〜2か月続きました。痛みもなく、大して気にしませんでしたが、よく考えるとあれがサインだったと思います」
女性の場合、下血があっても痔(じ)や膣(ちつ)からの不正出血と思い込んで、大腸がんの発見が遅れるケースも少なくない。
「夜遅くまで起きていた翌朝、強い吐き気を感じたことも。少しでも異変があれば、それは身体からのSOS。軽視せず病院へ行くべきだと、今は思います」
その後、がん専門病院でステージ1の直腸がんを告知され、腹腔鏡手術で直腸を摘出。がんの切除に成功した。
「告知されたときは驚きとショックでいっぱいでした。でも手術でがんは全部とれたので、これで終わったんだと安心しました」
術後に始まったストーマ生活
術後は腸の縫い目に便が触れないように、3か月の期間限定でお腹に人工肛門を作ることになった。
「人工肛門というのは、腸の一部をお腹の外に出した排泄(はいせつ)のための出口のことで『ストーマ』といいます。手術でお腹に穴をあけて腸を出し、上から専用のパウチという袋を接着してそのパウチの中に便をためます。
当時は人工肛門って何のこと?という状態でしたし、自分のお腹を見るたびに大きな袋がついていて、嫌で仕方ありませんでした。とはいえ期間限定だったので、とにかくその期間を乗り切ろうという気持ちでしたね」
大変だったのは、たまった便をトイレに行って捨てるタイミング。そもそも便意を感じたり、便をためて我慢したりできるのは、肛門につながる直腸のおかげ。
その直腸を全摘したうえ、ストーマにはそうした機能がないため、排泄のコントロールができないのだ。
「最初は排便のタイミングが読めず、パウチからあふれないよう慌ててトイレに駆け込んでいました。行くのが遅れて漏れそうになったことも。慣れるまで苦労しましたね」
パウチの存在を隠すため、洋服にも気を配るようになった。
「身体のシルエットがわからないように、丈が長く、ふわっとしたデザインのチュニックをたくさん買いました。タイトな服を着なければ、外から見てもわからないので、それは助かりました」
1日30回トイレに行く日も
3か月後には一時的ストーマの閉鎖手術を行い、術後5日目には自分の肛門から、少量ながら細くゆるい便も出た。
「便が出たときはうれしかったです。でも私は直腸がないので、主治医から『半年から1年は頻便になりやすい』と言われていました。実際、食後2分おきに便意が押し寄せるようなこともあり、何度もトイレを往復したり、こもりきりになったり……。
トイレが近くにないと不安で、外出も控えるようになりました。我慢できないので、外出中に漏らしてしまうことも。夜用ナプキンが欠かせなくなりました」
排便コントロールに苦労しながらも、体調は良好だった佐々木さん。在宅勤務をしながら一時は日常生活を楽しめるまで回復したが、翌年に肺への転移が見つかり、左肺の一部を切除する手術と、術後の抗がん剤治療を受けた。
すると薬の副作用も重なって、排便障害が悪化してしまう。
「下痢と便秘を繰り返し、1日30回以上トイレに行くことも。力みすぎで肛門が痛くなり、ドーナツクッションが手放せなくなりました」
さらにベッドに入ってからも何度も便意が襲ってきて、眠れない日々が続いた。
「トイレに行っても少量しか出ず、強烈な残便感や痛みが残るんです。それが数分おきに繰り返され、夜中3時ごろまで苦しむ日が続きました。
どうしようもなくなり、メンタルクリニックを受診して睡眠導入剤をもらっていた時期も。でも残便感が勝って眠れなかったですね……」
睡眠不足が続いても、平日は在宅勤務と家事で忙しく、心身共に疲れ果ててしまう。
「最後は食事をするのも嫌になり、永久ストーマに切り替えることを決意しました。主治医と相談の末、2021年の年明けには手術を行いました」
誤解の多い「人工肛門」
ストーマは、大腸がんだけでなく、腸閉塞など消化器系の病気や子宮・卵巣など婦人科系の病気、交通事故による外傷など、さまざまな原因によって作られる。
一時的なものと永久的なものがあり、作る場所によって目的や排泄の状況も異なる。
「腸は、食べ物の消化吸収を行う小腸と、その後に水分を吸収する大腸に分けられます。小腸をお腹から出す『回腸ストーマ』は、大腸で水分が吸収される前の水っぽくちゃぽちゃぽした便が出て量も多いので、便廃棄のタイミングや処理が難しいです」
一方、大腸をお腹から出す「結腸ストーマ」は通常の便の状態に近く、比較的扱いやすいという。
「私のストーマは結腸ストーマ。大腸で水分が吸収されたあとの半固形の便が出るので捨てる際も処理しやすいです。便廃棄のタイミングもつかみやすく、慣れた今はそれほど不便を感じていません」
気になるのは、お風呂やパウチの交換、トイレなど日頃のケアについて。
「パウチは粘着力が強く、お腹の皮膚にしっかりくっつくので、お風呂にもそのまま入れますし、人目さえ気にしなければ温泉だって入れます。
もちろん、においが漏れる心配もありません。便を捨てる際は、パウチの下にある排出口を使います。パウチの交換は私の場合、週2回程度。粘着部に専用の薬剤をつけて取り外し、そのときにストーマもきれいに洗います。
普段はパウチの中で便にまみれ、息苦しそうにしている梅干しのような腸の先端を優しく洗ってあげると、とても気持ちよさそうに見えますね(笑)」
便は、通常のトイレに流すこともできるが、できれば汚物洗浄台やカウンター、汚物ボックスがついたオストメイト(ストーマをつくった人のことをこう呼ぶ)用の設備を使えると便利だ。
「駅などの公共施設にあるバリアフリートイレには設置されていることがあります。出かける際は、専用トイレの場所をチェックすることが多いですね」
人工肛門というと、その語感から肛門に蛇口のようなものをつけるとか、間違った認識やネガティブなイメージを持つ人も多い。
「重い病気や事故などで、突然ストーマになった人は、ショックで受け入れられないケースも多いんです。
若い人はなおさらですね。性行為のときにどこまで見せるか悩んだり、パウチが相手の肌に触れないように配慮するためテープで留めたり。そもそも抵抗を感じて行為自体できなくなってしまう人もいます」
とはいえ、実際はメリットのほうが多いと佐々木さん。
「私も最初は嫌で早く閉じたかったのですが、ストーマに切り替えて2年に及ぶ排便障害の苦しみから解放され、以前の生活を取り戻すことができた今は感謝しかありません。
手術で肛門の温存に成功した人も、ひどい排便障害に悩んでいるなら、永久ストーマという選択肢もぜひ視野に入れてみては」
手術で乗り切った3度の転移
実は佐々木さん、左肺への転移だけでなく、直腸の局所再発、右肺への転移、さらに今年2月には左肺への転移と、4度の再発転移を体験している。
「肺の転移は3回とも運よく手術で取り除くことができ、直腸の再発も永久ストーマの手術で偶然見つかったので同時切除しました」
永久ストーマの選択や度重なる再発転移とさまざまな障壁を乗り越えてきた佐々木さんだが、苦しい闘病中に助けられたのが患者同士の支え合いだった。
「排泄は尊厳に関わることでもあり、なかなか人に話せません。言ったところで経験のない人には理解しづらいですし。でも患者同士で悩みや経験を共有し、『同じ症状の人がいるんだ』、『こんなにトイレに行っているのは自分だけじゃない』と知るだけで救われるんです」
そうした自身の体験を伝えることが誰かの役に立つかもしれないと、YouTubeチャンネル「大腸がんサバイバー カロリーナ」で情報を発信。
さらに女性患者同士で、消化器がんの経験談や悩みを共有できるSNSコミュニティー「ピアリングブルー」の運営に携わっている。
「同じ悩みを抱える女性たちが気軽に情報を共有し、支え合える場をつくりたいと思い始めました。スマホの普及も後押しして、今では若い世代から高齢の患者さんまで利用者は幅広いです」
いまや、女性のがん死亡数第一位になった大腸がん。自分は関係ないと思っている人も、決して人ごとではない。
「内視鏡検査は面倒だし、もしがんだったら怖いからと大腸がん検診を受けない人もいますが、手遅れになってからでは取り返しがつきません。40歳を過ぎたら定期的に受けることをおすすめします。
また少量の出血など少しでも異変があったら積極的に大腸内視鏡検査を受けてほしいです」
(取材・文/井上真規子)