在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。米軍横須賀基地で働くアメリカ人男性との間に娘を授かるも、離婚。シンガーとして働き、母子の生計を支えた。
娘のクリスタル・ケイをひどく叱る
「娘が小学生のとき、一度ひどく叱ったことがありました。家賃10万円の一軒家に越したときのことです。あのころは引っ越し費用にも事欠き、友人に手伝いを頼んで何とかやりくりする状態でした。
それでも娘のピアノだけはと、専門の運送業者を頼んでいます。ようやく作業が終わりホッとしていると、娘が学校から帰ってきて『え、こんな狭いの耐えられない!』と文句を言った。それを聞いた瞬間、私の中でぶちっと何かが切れてしまった。娘の部屋は4畳半で、確かにピアノを置くとパンパンでした。でもそれは当時の私にできる精いっぱいで、何より娘を思ってのことでした。
『ちょっとそこに座りなさい!』と娘を正座させ、『私がどんな思いで引っ越したと思ってるの!』と説教を始めました。私の剣幕に娘も恐れをなしたのか、最終的に『ごめんなさい』と謝ってくれました。
私が娘に謝ることもありました。当時、私は男のせいで酒浸りで、店で酔いつぶれては朝帰り、なんてこともしょっちゅうでした。娘は夕飯も作ってもらえず、カップ麺でしのいでいたようです。娘の寝顔を見て反省し、枕元で『昨晩はすみませんでした!』と平謝りする。その繰り返し。そう考えると、私が謝ることのほうが多かったかもしれません」
黒人と韓国人がルーツというアイデンティティーへの差別
シンシア自身、親に突き放され、誰にも頼れず育ってきた。あんな思いはさせたくないと、どんなときも娘を全力で守った。
「娘が通うアメリカンスクールは恒例のダンスパーティーがあり、私たち親も参加します。娘が中学1年のとき、チークダンスタイムで『私の好きな子に女の子がべたっとくっついて踊ってる。どうしよう!』と泣き顔で訴えてきたことがありました。
私が『彼女をトイレに呼んで“あれは私の彼氏だ!”と釘を刺せ』と言うと、『ケンカになったらどうするの?』と弱腰です。『私が責任取るから!』と背中を押しても、娘は結局見てるだけ。
娘は争い事が苦手な性格で、そういうときどうしたらいいかわからないようです。今になって『ママが言ってたとおり、あのとき一度ぶつかってみれば良かった。戦わなければいけないときって、きっとある』と言っています」
マイノリティーであることの生きにくさ。それは母子共通のようで違いがあった。それでも娘に何かあれば、身をもって防波堤になった。
「娘は黒人と韓国人のミックスという自分のアイデンティティーが嫌だったようです。
『ママは朝鮮学校に行ってたからマイノリティーとはいえマジョリティーだよね。でも私はものすごいマイノリティーだから』と言います。アメリカンスクールの生徒は大半がミックスだけれど、黒人と韓国人のミックスは珍しい。きっと疎外感があったのでしょう。差別も感じていたと思います。実際そういう場面に私も何度か遭遇しています。
中学生の娘を連れてスポーツクラブに行ったときのこと。娘を見て『最近変な外人多いわね」と顔を顰める人がいました。
私が『ちょっと、あれうちの子なんだけど、何か文句ある?』と詰め寄ると、『すみませんでした!』と謝ってはいたけれど……。ただ、今考えると、これもいいことだったのかわからない。
私があまりにもいろいろな面で守りすぎた気がします」(次回に続く)
<取材・文/小野寺悦子>