「生活費や貯金など家のお金のことはご主人任せ、という妻が意外と多い。通帳を見たのは亡くなったあとで、その貯金額の少なさにびっくりし、“当面の生活費すら足りなくて”とあわてて相談に来る方も」
と話すのは、相続を専門とする税理士の島根猛さんだ。
夫の死亡直後から始まるお金の悩み
残された妻を悩ませるのがまずは、葬儀や四十九日、納骨などの出費。お布施や返礼品を合わせるとかかる費用は約200万円、お墓の用意も加われば金額はさらに跳ね上がってしまう。
どうにか乗り切っても、そのあとに控えるのは相続問題。相続税が妻に発生するケースは多くはないが、自分が課税対象かどうかを見極めるためにも、死後10か月以内(相続申告期限)に手続きを進めたほうがいい。
「親族との遺産分割協議が終わって書類を作らないと、遺産には一切手をつけられません。遺言書や相続人の人数、資産調べ、誰が何を相続するかの話し合いなど、慣れない作業が続くので、ご主人の死の悲しみにひたっていられないのが現実です」(島根さん、以下同)
“うちは子どももいないし、お金も家もすべて私のもの”と悠長に構えていた妻が、夫の実家から遺産分割を求められてもめるケースもあるそう。
夫の死で家計は大きく変わってしまう。夫の給与収入や、シニア世代の場合なら年金の減収。遺族年金がもらえるとはいえ、夫婦でもらっていた金額よりも大きく目減りしてしまうので、死活問題だ。
「これからどうやって生きていったらいいのか……」収入減というシビアな現実を突きつけられるうえ、遺産問題も追い打ちをかける。
お金をめぐる不安やトラブルに巻き込まれないために、とるべき対処法は「日ごろの話し合い」と「遺言書」だ。
資産情報は更新。遺言書を残そう!
わが家の家計状況を夫婦で共有し「もしも妻がひとり残された場合」のことを話し合えているのが理想的。
ただ、夫の死後の話を切り出すだなんて縁起が悪いし、機嫌を損ねそうと切り出せない妻も多いはず。
「雑誌で相続関連の記事を読んだとか、知り合いからトラブルの経験を聞いたなどの話すきっかけをつくってみるのはいかがでしょう。
先延ばしにしてもよいことはありません。ひとりっきりで厳しい生活に直面する妻たちを多く見てきたからこそ、できることはやっておくのにこしたことはないと断言できます」
しっかり把握すべきは現在の正確な収入と資産内容。給与や年金支給額を確認するのはもちろん、預貯金や保険、借金の有無や運用資産などをつまびらかにする。
「エンディングノートを使ってそれぞれをメモし、年に一度、例えばどちらかの誕生日や結婚記念日に内容を更新するのがいいでしょう。書きっぱなしにせず、定期的に見直して情報を新しくすることが大切です」
最近では配偶者の死後、スマートフォンにアクセスできず、重要な情報にたどりつけないことも多く、問題になっているという。
「スマホの内容はプライバシーの最たるものですから、生前から開示し合うのは難しいもの。ですが、例えばiPhoneには死後、自分のスマホにパスコードなしでアクセスのできる人を登録できる設定があります。私も妻とは設定し合っています。
銀行も通帳を廃止にする流れになっていますし、証券会社もネット証券を利用する人が増加。デジタルの金融情報をどうやって共有し合うかは、夫婦で今すぐにでも話し合いが必要です」
島根さんがさらに強く推奨するのが「遺言書」。エンディングノートには法的効力はないが、形式にのっとった遺言書を夫に書いてもらえるなら安心だ。
「多くのご主人が願うのは、自分亡き後、妻にいきいきと豊かに生きてほしいということでしょう。
核家族化が進み、夫婦が最小単位とされる今の時代、妻の生活を守るためには生命保険の受取人を妻にするのはもちろん、遺言書に妻を最優先とした相続を書き残しておくと夫婦共に悔いのない終活ができると思います」
もっとも簡易な形式の遺言書の書き方の例をあげたので、参考にしてほしい。
次から紹介するのは、島根さんが実際に相談に乗った5つのケース。勘違いや確認不足、最低限の法律の知識がないことによって、苦境に立たされてしまったシニア妻、それぞれのトラブル例を追っていく。
ポイントを押さえれば簡単『遺言書』の書き方
□全文を自筆で書く(財産目録は除く)
□不動産は登記事項証明書のとおりに記載
□作成年月日は必ず書く
□忘れずに自筆の署名と押印をする
遺言書には「自筆証書遺言」「公正証書遺言」「秘密証書遺言」の3種類がある。ここでは、一番手軽に作れる「自筆証書遺言」の書き方を紹介。
遺言書は「遺言書本体」と、住宅・土地、預貯金などどのような財産があるのかをまとめた「財産目録」をセットで準備しよう。
右の遺言書のように「妻に次の財産を相続させる」と土地や建物を明記した遺言書を夫が生前に作っておけば、「ケース4」のような相続トラブルは起きにくい。※自筆証書遺言の本文は自筆で書かなくてはならない
島根さんが遭遇したお金のトラブル5
Case1:夫名義の銀行口座が死後「即凍結」…キャッシュカードの番号は生前、共有すべき
60代女性のAさんの夫は、ある日突然、心筋梗塞で亡くなった。家族のメイン口座は夫名義だったので、葬儀費用などを下ろそうと銀行の窓口に行き「夫が亡くなり、妻の私が、代わりにお金を下ろしたい」と事情を説明。
すると、口座が凍結され、お金を下ろすだけではなく、振り込みや口座引き落としなどの取引も一切できない状態になっていた……。
ただでさえ夫が突然亡くなって茫然(ぼうぜん)自失のAさんは、「お金がないとお葬式ができない!」とパニックに。幸いにも友人たちがお金を貸してくれたため、なんとか葬儀を済ませることはできた。
銀行は、なぜそんなにも無慈悲な対応をとったのか。
「口座が凍結されたのは、銀行の窓口で夫の死亡を伝えたから。通常、銀行が名義人の死亡を知るタイミングは、相続人である妻などが提出した死亡届が受理されたあとです。
しかし、Aさんから報告を受けた銀行は、名義人の死亡を知ってしまったので口座を止めなければいけなかった。逆にいうと、報告する前だと口座からお金を引き出すことができたのです」
当たり前だが、キャッシュカードの暗証番号を知らないことには、お金は下ろせない。メイン口座が夫の場合は、万が一のために暗証番号を共有しておこう。
「手元に葬式費用どころか生活資金もない……という場合は、銀行に名義人死亡の報告をする前に、当面の生活費を下ろすことが大切です。その金額のめどは、3か月分ほどの生活費でしょうか」
また、他の遺族に黙って多くの金額を引き出してしまうと、
「遺族間で相続の話し合いをするタイミングで『なぜ亡くなった直後に大金を引き出したのか』『引き出したお金を隠しているのではないか』とトラブルになる可能性があります」
という。
「なので、お金を引き出す際は、事前に他の相続人にきちんと報告をし、家賃、光熱費などの生活費や、葬儀のために使用したとわかるよう、メモや領収書を残しておくとよいです」
Case2:現金は死ぬ前の夫から渡された10万円子どもだってアテにはできない
お金は夫がすべて管理していたという80代女性のBさんは、生前に夫がどこの銀行を使っているのか、口座をいくつ持っているのか、まるで知らなかった。
当然、銀行のキャッシュカードの暗証番号もわからず、突然、夫が亡くなったとたん、「当面の生活費がない」という状況に陥ってしまった。
毎月初めに夫から生活費の入った封筒を手渡され、それで1か月の家計をやりくりするという暮らしを、結婚当初から実に60年の長きにわたって続けてきたという。
夫が亡くなった時点でBさんの手持ちの現金は10万円、島根さんが相談を受けた際には、残り数千円しかなかったという。
「Bさんの場合は子どもが近くに住んでいたため、生活に困窮することはありませんでしたが、離れて暮らしている場合、そう簡単にはいかないものです。一般に、子どものほうは実家や親はある程度のお金を持っているものと思い込んでいる節があります。
実際に、実の親子であっても『私たちにも生活があるから困る』などと断られてしまう残念なケースをいくつも聞いています」
もし、子どもたちに生活費の援助を断られてしまったら、最悪の場合、路頭に迷いかねない。
「夫が生命保険にでも入っていれば亡くなったあとにまとまった死亡保障を受け取れますが、実際には生命保険に加入していない高齢者の夫婦は多いのです。子どもも自活し、ふたりだけなら医療保険でよいと解約するケースをよく見かけます。
老後の生活はなんとかなっても“夫が亡くなった先の妻の生活費”はどこから捻出するのか、その視点が抜け落ちていないかを元気なうちに話し合ってほしいですね」
Case3:突然届いた借金の督促通知ちょっとした勘違いで借金地獄へ
60代女性Cさんの夫は昨年6月に亡くなった。夫には特に財産というほどのものがないことを知っていたので、相続などは何の手続きもしなかった。
葬儀や死後の手続きなどに追われた後、そろそろ落ち着いて遺品整理をしようかと思っていた8月になって、夫宛てに巨額の借金返済の督促状が届いた。
寝耳に水のCさんだったが、「借金があっても、『相続放棄』をすれば関係なくなる」と気楽に考えていた。
しかし、Cさんはある勘違いによって借金を背負ってしまうことになる。
「どこかで聞いたのか『相続放棄は3か月以内』と信じ込んで、通知が届いた8月から『3か月以内』に相続放棄すればいいと悠長に構えていたそうです。
ところが、本来の相続放棄は『相続権があることを知った』時点から3か月以内。そのことに気づいた時にはもう期限はとっくに過ぎてしまっていて、今は借金を返しながら生活しています。これは税理士でもどうにもできません」
ちょっとした勘違いと確認不足が、Cさんの借金の原因となってしまった。
夫が借金を残して死亡した場合、通常は、妻や子どもなどの相続人が法律で決められた割合で借金を相続することになる。借金を避けるには、夫の死亡から3か月以内に家庭裁判所で相続放棄の手続きを行う必要がある。
3か月以上経過してしまっている場合でも、事情によっては相続放棄が可能な場合もあるが、弁護士に相談が必要となるため、借金があることが発覚した場合は早急に対応したい。
夫婦であっても「借金を隠してない?」というのは、なかなか聞きづらい。しかし、残される妻に負の遺産を負わせないためにも、腹を割って話すべきだ。
Case4:夫と暮らした思い出の実家が義理の弟に取られる!?
子どものいない70代女性Dさんの夫は兄弟2人の長男で、実家は地元の資産家で不動産を多く持っていた。夫は親から複数の不動産を相続しその1か所は自宅、ほかは収益物件として賃貸に回し、家賃収入で暮らしていた。
そんな夫が亡くなってひと騒動。夫の弟がDさんに対し、「これまで自宅にしていたマンションを含めた不動産を自分側に返してほしい」と言い出したのだ。
弟からしてみれば、「兄の持っていた不動産は、もともとうちの家系から引き継いだものだから、嫁のDさんのほうに渡るのは納得がいかない」という気持ちが強かった。
だが、そうなるとDさんは収入どころか住む場所までなくなってしまうと非常に困惑した。
もめにもめた話し合いだったが、最終的には「Dさんの存命中は自宅や不動産はDさんが所有するが、Dさんの死後は夫の実家である弟の家系に返す」ということでお互い合意。Dさんは、自宅に住み続けることができた。
「夫が実家から受け継いだ資産が多く、しかも子どもがいない夫婦の場合などで起こりやすい相続トラブル。これを防ぐ最も有効な手立ては前述したように、遺言書です。
このケースでは法定相続人は妻と弟。ただし、夫が生前に『不動産はすべてDさんに残す』という遺言書を書いておけば、財産すべてを妻に残すことができます」
遺言書の内容にかかわらず相続人が最低限もらえる遺留分もあるが、兄弟には認められていない。遺言は夫の意思そのものだから、そこに不動産の相続方法が指定されていれば、弟も納得しやすかったかもしれない。
また「Dさんの存命中は自宅や不動産はDさんが所有するが、それは妻一代のことでその先は本家に返す」という条件を夫婦で共有し、事前にDさんの義弟にも知らせておけば、もめることはなかっただろう。
子どものいない夫婦の場合、法律では財産を妻のほかに兄弟姉妹や、甥や姪も相続することになる。妻と夫の実家がもめないためにも、遺言書を残すのがおすすめだ。
Case5:自宅を相続すると生活費がなくなり路頭に迷うことに……
60代Eさんの夫が残した相続財産は評価額6000万円の自宅と現金や預金など1000万円の合計7000万円。現金や預金が少なく資産は極端に自宅へ偏っていた。一人息子は結婚していて別に世帯を構えている。
夫の葬式なども終えた後で、Eさんは息子と遺産分割について話し合うことに。すると息子はEさんが自宅を相続するのには大賛成と言いながら、代わりに現金や預金1000万円は自分が欲しいという。
自宅をもらえるのはいいとして、1000万円がすべて息子の元に行ってしまえば、当面の生活費に困ってしまうし、自分の老後資金も心配。
住み慣れた家に住み続けたいと考えていたEさん。しかし、ある程度まとまった現金を持つためには自宅売却も検討しなくてはならないかと、頭を悩ませた。
「Eさんのケースは『配偶者居住権』という残された配偶者の生活を守る権利を使って解決できました。Eさんは居住権を得ることができ、自宅の所有権そのものは息子が相続することで合意。
現預金についてはEさんが3分の2、息子が3分の1を相続することになって、当面の生活資金も確保することができました」
配偶者居住権とは、残された配偶者が住む家を保護するための仕組みだ。令和2年4月1日以降の相続から新たに認められた権利で、亡くなった人の所有していた建物に、残された妻(夫)が無償で住むことができるというもの。
例えば、6000万円の自宅に住む権利の2000万円と家を売却する権利(所有権)4000万円に分けて相続することで、家を相続しなくても、住む権利を活用できるのだ。
夫が亡くなったとしても、夫婦で過ごした家にそのまま住み続けたいと考える人も多いはず。前もって夫婦の財産を洗い出し、相続のシミュレーションをしておけば安心だろう。
配偶者居住権のしくみ
相続では居住不動産の評価額が大部分になるケースも多い。そこで従来は公平な遺産分割のために自宅を売却せざるを得ないことが多かった。
そこで住む場所を追われる配偶者に考慮して「配偶者居住権」が制定。住宅の「居住権」と「所有権」を分けた相続が可能になり、遺産の分割方法の自由度が格段に増した。
(取材・文/オフィス三銃士)