「どうしてこんなことを……」認知症患者の言動に、介護する家族は思い悩み、戸惑いがちだ。そんなときには、彼らの心の中を想像してみよう。患者の側にも恐怖、不安、憤り、悲しみがきっとある。それを察することで、いつもより少しだけ、優しくなれるかもしれない。
認知症患者の“心のうち”を描く
今年4月に刊行された書籍『認知症が見る世界 現役ヘルパーが描く介護現場の真実』(竹書房)は“認知症を患った人たちにとって世界はどのように見えているか”を描いた作品だ。
シリーズ前作の『消えていく家族の顔 ~現役ヘルパーが描く認知症患者の生活~』も、認知症家族の間で大いに話題となった。いずれも現役ヘルパーである漫画家、吉田美紀子さんの体験に基づき、認知症患者の“心のうち”を描いた短編漫画集である。
介護中の家族が、認知症を患った家族の症状にショックを受けることは多い。
「長年、共に暮らしてきた家族なのに、顔を忘れられた」
「どれだけ言っても、徘徊や自傷行為をやめない」
徘徊、せん妄、失禁、幻視、暴力、抑うつ……これらを繰り返す家族に対し、悲しみや苛立ちの感情を持つ人は少なくない。
本シリーズには“便器の水で家中の衣類を洗濯し始めた80代の母親”や“妻を24時間拘束し、精神を崩壊させた60代の全身まひの夫”“眠るような死を願い、食事も排泄も億劫になった70代女性”など、常軌を逸した行動をとる人物が登場する。
はたから見たら奇異な行動であっても、彼らの目線に立てば“当たり前”の行動をしているだけにすぎない。そして家族など周りの人々が認知症の進む彼らを恐れるのと同じく、時として自分自身も“何かがおかしい。自分が怖い”と感じているのだ。実際に認知症患者を抱える家族からも
《介護疲れで苛立つ日々だったが、親はこんな気持ちだったということを知り、少し気持ちが楽になりました》
《想像で補っているところもあるとはいえ、実際に介護に携わる人から見た認知症の現実は、将来の身内や自分の姿を見ているかのよう》
といった感想が寄せられている。シリーズ第2作で原作を担当した、障害・医療・介護の分野に詳しいライターの田口ゆうさんにお話を聞いた。
田口さんは本作で、デイサービスを利用する患者を取材した。特養老人ホームでは重症度が高すぎるケースが多く、取材が難しいと感じたからだ。多くの患者に取材を進めるうち、なんと実父が認知症を発症してしまった。
久しぶりに対面した父親がホームレスのような姿に
「77歳の父とは別居でした。もともとアルコール依存症ぎみの父。幼いころからさんざん苦労させられてきました」
田口さんの父は大手マスコミで働いていたが、“昭和のマスコミ人”らしく、昼酒をあおることも多かった。帰宅した父は泥酔し、田口さんに暴力をふるった。
「高校に上がるくらいまでは殴る蹴るの暴力を受けていて、その後は疎遠にしていました。当時を知る人からは“よく縁を切らなかったね”と言われることも多いです」
医師からは常々“アルコールを毎日飲んでいると、脳が萎縮して認知症になるよ”と注意を受けていたが、それでも酒をやめなかった。定年後は学童指導員に再就職し、ごく最近まで働いていたのだ。
10年ほど前、田口さんに息子が生まれてから、親子の関係はやや回復していた。
「父はお金がなかったので、私にお金をせびりがてらよく遊びに来ました。息子がストックしていたお菓子を食べてしまい、ギャン泣きさせたことも。ただそれでも孫は可愛いらしく、よき祖父であろうとはしていましたね」
ある日、父は職場をクビになった。その事実が納得できなかった父は、そのままひきこもりに。田口さんに理由は知らされなかったが“就業中に酔って赤ら顔だった。認知機能も落ちていた”といった話を父の元同僚から聞いた。
「そうこうしているうち、父の電話が止められました。さすがに不安になったところで、父が家にやってきました」
久しぶりに対面した父親はヒゲぼうぼう。まるでホームレスのような姿だった。「電話が止まってもお父さんは来るから」。そう父は言ったが、放置するわけにもいかない。
「夏のある日、父の家を訪ねると、エアコンもない部屋の片隅にじっと座っていたんです」
相変わらず酒はやめていない。度数の高い酒を、なぜかいったん水筒に移して飲んでいた。筋肉は落ち、ズボンをはくのにも何分もかかる状態だった。運動不足で足の皮膚は壊死しかけていた。
暴力的な父が丁寧な振る舞いを
「私は小さいころ虐待されていますから、自分で介護することには抵抗がありました。介護したくないというより、介護するうちに復讐心が湧きそうで怖かったんです」
現在の弱った父親にならば、たやすく反撃できる。田口さんは、そんな気持ちが湧く前に、素早く生活保護と、要介護認定の申請を出した。父が猛暑にも耐えられるよう、エアコンも付けた。
「父は時折、私の顔がわからなくなってきました。多くの患者さんを取材していたので、思いのほかショックはなかった。“本当にわからなくなるんだ”くらいの感じです」
逆に驚いたのは、父の丁寧な振る舞いだ。
「“お世話になりました”なんて深々と頭を下げて。父は家族には暴力的でしたが、外ではこういう人だったんだなって少しほっこりしました。そういえばマスコミで働く前は銀行員だったんです。アルコール依存症になる前は、まじめな人柄だったのかな、と思うことができました」
現在は“アルコール依存症の治療を受ける”“老人ホームに入居する”など、今後の進路を考えつつ、ケアをする日々だという。
田口さんは、父親の認知症が進んだことで、知らなかった一面を知ることができた。認知症も介護も人それぞれ。絶望せずに、ゆるゆると続けていきたいものだ。
取材・文/村田らむ
田口ゆう ライター、WEBサイト『あいである広場』編集長。社会的マイノリティーや介護、福祉、障害の分野への取材を得意とする