娘がデビューして間もないころ。娘の仕事は順調で、オファーが次々やってきた。私のことより、娘を応援しようと決めました

 在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。アメリカ軍人の夫と33歳のとき離婚。その後、10年間続いた不倫相手、サトシとの関係にようやくケジメをつけたが、再び別の男との出会いがあった。

不倫男と別れの後に出会った詐欺師

「幼なじみのケンと再会したのは、サトシと別れた直後のことでした。ケンは俳優にでもなれるくらい整った顔立ちをしていて、昔ちょっと彼のことが好きだった。だから付き合うようになったのも、ごく自然な成り行きでした。

 またもや不倫の関係でした。ケンは『女房とは一緒に暮らしてない。もうすぐ離婚する』と言っていた。私もバカで、その言葉をうのみにしてしまった。サトシのときと同じ過ちを繰り返してしまった。ただサトシは女癖が悪くても、汚い人間ではなかった。ケンは腹黒い人間だった。ケンは生まれついての詐欺師でした

 ケンは自称『会社経営者』。デートはいつもスーツ姿で、びしっとキメて現れた。

「今振り返ると怪しい言動はいろいろありました。だけどあのときは見抜けなかった。

 横浜の大さん橋でデートをしていたときのことです。

『ねぇねぇ、この後どうする?』と甘えたら、『うるせーな!』といきなり胸ぐらをつかまれた。お気に入りのワンピースがびりっと破けてしまった」

暴力を振るわれ騙し取られた全財産

「私がわっと泣き出すと、彼は見向きもせずさっさと立ち去りました。とぼとぼ家に帰り着き、気づけばネックレスがありません。40歳になった記念に買ったダイヤのネックレスでした。

 胸ぐらをつかんだのも、それが目当てだったのか─。でもあのときは彼を信じたくて、あえて考えないようにしていた気がします。

 私はやっぱりケンのことが好きだった。ある日『事業にお金が必要で、いくらか貸してくれないか』と頼まれ、ありったけのお金を用意したことも。『これが私が今貸せるすベてで』と渡すと、『ありがとう』と言って受け取っていた。おめでたいことに、あのときはきっと返してくれると彼を信じていたのです」

 しかしお金が返ってくる気配は一向にない。シンシアの全財産で、高級外車が軽く買える金額だった。そんななか、事件が起こる。

ホテルでめった打ちにされ全治3週間

「いつものデートの最中でした。ホテルの部屋で彼が豹変し、拳骨で殴りかかってきた。特に理由はありません。めった打ちにされ、最後に腰に思い切り蹴りを入れられた。病院に行くと、全治3週間の診断でした。顔はパンパンに腫れ上がり、そのせいで今でも顔が少し歪んでいます。

 暴力を振るわれ、いいかげん私も目が覚めた。もし、暴力を振るわれたら、すぐに警察に行ってほしいと、皆さんにも言いたい。返金を請求しようと、弁護士を立てて裁判にかけました。すると彼が電話で、『ムダなことはやめな』と言ってきた。『そんなことをしても何もならないよ』と、妙に優しい口調です。

 裁判に勝って、初めてその意味がわかりました。日本の法律では、『返したいけれど今はない』と言ったらそれまでになってしまう。

 裁判所命令が下ると差し押さえができるけど、彼名義のものは一切ありませんでした。彼はそれをすべてわかってやっていた。お金は返ってきませんでした。

 実は彼にお金を貸したのは私だけではありません。彼は『俺の事業に君も出資しないか?』と言っては、友人や知人を騙していたようです。

 後になって、『俺も騙された。俺のお金も返ってこなかった』という話をあちこちから聞きました」(次回に続く)

<取材・文/小野寺悦子>

 

ディズニーランドで全国の高校生が集まりマーチングする企画がありました。娘は勉強以外に、バスケや鼓笛隊なども一生懸命でした

 

男と不倫していたころですが、クリとは変わらず仲良く、よく2人でおそろいの服を着ていました。デニムの形も当時の流行を感じさせますね

 

娘が中学生のころ、知り合いのお茶の会に参加させてもらったとき。私たちが着物を着ることなんてなかったのでとても新鮮でした

 

私は30歳くらいで、歌手活動をしていました。2枚目のシングルを出したころ。娘は10歳くらいで、まだあどけなさがありますね

 

7月に母と客船クルーズで旅をして、その途中で沖縄に。6時間ほどしか滞在しませんでしたが、海に入ったり、ソーキそばを食べたり楽しみました

 

7月中旬、母と2人でクルーズ船に乗り旅行へ出かけました。沖縄、台湾などを周遊し、夏らしくリラックスした旅ができました

 

7月8日、クリスタルはLAで開催されたドジャースvsエンゼルス戦で国歌独唱を務めた(c)Los Angeles Dodgers

 

横浜のバーで歌っていたころのシンシア。娘のクリスタルには歌を教えたことはないというが、気づけばその遺伝子を継いでいたよう

 

幼少のころから才能を感じさせていた娘のクリスタル・ケイ。家には楽器などもあり音楽には慣れ親しんでいた

 

ニュージャージーで結婚式に参列したときの写真。娘のクリスタルはいつも男の子っぽい服装を好んだけど、珍しく女の子らしい服

 

アメリカのドラマに登場しそうな広い芝生の庭に大きな家。写真に写っているのは娘のクリスタル・ケイと、愛犬のデューク

 

クリスタル・ケイが1歳のときに引っ越してきたという住宅地区は、根岸にあるアメリカ海軍の専用地

 

20歳ごろのシンシア。トニーがドライブデートの際に撮った写真。ファーに白のパンツやブーツという格好が懐かしく時代を物語る

 

横浜で歌っていたころのシンシア。『マジック』や『BarBarBar』などは業界関係者がよく出入りして、デビューの足がかりの場になっていた

 

ついに待望の女児を出産。3980gで「とにかく大きな子だった」というシンシア。健康に生まれてきてくれたことにホッとする

 

20歳くらいにフィルと付き合っていたころのシンシア。横須賀にあったバーガーショップ『アンディーズバーガー』で働いていた