カラオケ愛が強すぎる、いや、うますぎるモノマネ芸人として注目度急上昇中のほいけんたさん。おかげで、年末まで営業スケジュールがびっしりだとか。そんなほいさん、実は長らくエンタメ業界で“なんでもやってきた”そう。さんまさんも(おそらく)びっくりするような、濃すぎる生きざまを語っていただきました。
苦肉の策で喉を絞って歌った
「『27時間テレビ』放送後に仮押さえだった営業が次々と決まって。営業のほかにもいろいろなお仕事のオファーが届いて、年末までほぼ休みがない状況になっています」
そう自らに訪れたバブルについて話すのは、明石家さんまさんのモノマネで知られる芸人のほいけんたさん。『千鳥の鬼レンチャン』(フジテレビ系)で“笑撃”の歌唱法を披露するや注目度が急上昇。
今や同番組に欠かせないバイプレーヤーとなった。加えて今年7月に放送された『FNS27時間テレビ』(フジテレビ系)での活躍で人気が爆発し、W杯バレーのCMに歌唱シーンが使用されるまでに!
「T.M.Revolutionさんの『HIGH PRESSURE』のサビ部分に、『カラダが~夏になる』という歌詞があるのですが、『カラダが』がすべて『あ』の母音。最後の『が』を高音で歌うのが難しい。
鬼レンチャンの人気企画『サビだけカラオケ』は音を外すと失格になるので、音さえ外さなければという苦肉の策で喉を絞って歌ったんです。それが『カラダぐぅ~』と聞こえたんでしょうね。でも僕としては『カラダがぁ~』なんです」(ほいさん、以下同)
番組で語り継がれる名場面『カラダぐぅ〜』の誕生秘話について語る際も、あくまで「ルール上、まったく問題ないテクニック」と主張する。こうしたヒールっぷりも、“ほい人気”を後押しする要因だ。
「僕はさんまさんのモノマネをやりすぎた結果、声帯の高音域を出すところに炎症が出てしまった。昔はきれいな裏声が出たけど、今はかすれてしまって裏声が使えないんです。しょうゆーこと!(笑)」
時折、さんまさんのギャグを交えながら説明する姿に、根っからのエンターテインメント精神を感じるが、実はほいさんのバックグラウンドは多岐にわたる。そのエンタメスキルの幅広さの理由を今回、ひもとく!
「僕は香港のコメディー映画やアクション映画が大好きで、もともと俳優になりたかったんです。念願かなって『劇団ひまわり』の青年部(東京俳優養成所)に入りました。武田鉄矢さん主演の『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』(1986年)という映画では、目立つエキストラ……“スーパーエキストラ”としていろんな役で出ているんですよ」
コメディーに対するあこがれが強かった
その縁で、児童向け劇団や、人気の劇団『スタジオライフ』に在籍した期間もあったという。
「児童向け劇団では小学校で巡回公演も行っていたので、よくバク宙をしたりして子どもを沸かせていました。スタジオライフでは影絵演者の技術を身につけました。
でも、僕はコメディーに対するあこがれが強かったので、21歳くらいのときにコメディアンの修業をするために、大阪のストリップ劇場へ行きました。短い期間でしたが、お笑い芸人のぼん西田(西田和昭)さんや大阪のお客さんからアドバイスをいただけたのはいい経験でした」
コメディアンとして生きていくと決めた矢先、偶然の出会いが訪れる。
「知り合いから、『プリンセス天功さんがミュージカルをやるから、(天功さん率いる)東京魔術団のオーディションを受けてみたら』とすすめられたんです。僕はマジックも趣味のひとつだったので、軽い気持ちで受けてみた。そしたら受かっちゃった!」
プリンセス天功さんといえば、故マイケル・ジャクソンさんとも交流を持った希代のイリュージョニストだ。「周囲はまさにお姫様扱いだったけれど、僕だけは『天功さん聞いてくださいよ~!』なんて普通に話しかけていた」と笑う。
「あるとき、天功さんから『うちで餃子パーティーをするから来ない?』って誘われたんです。当時の僕は、食べるのにも困っていたから渡りに船。『これで飢え死にせずにすみます!』なんて身の上話をしていたら、帰るときたくさんの食材をいただいて。他の団員から『おまえは調子に乗りすぎだ』と何度も怒られた(笑)」
海外公演などにも同行し、マジックやバルーンアートの腕も上達した。だが、スポットライトが当たることはなく、常にサポート役に甘んじている自分に疑問を感じ始め、アシスタントを辞めることを決意。
出っ歯の入れ歯は6代目
「やりたいことがあるはずなのに、行き当たりばったりというか、流されちゃうんですよね」
と過去を振り返って苦笑する。
「自分一人で何かできるようにならないといけないと思ってショーパブで芸を磨くようになりました。モノマネ、マジック、アドリブ……今の僕があるのは、このとき培った経験が大きい」
「ほいけんた」という芸名もこの時代に誕生した。効果音の声帯模写を得意とするタレントのケント・フリックさんとコンビを組んで仕事をする機会が多かったため、彼に合わせるために、本名の謙一から「けんた」に。ほいは、敬愛する香港の映画スター、サミュエル・ホイから拝借した。
「当時、Mr.マリックさんがブームだったので、出っ歯をつけたMr.ガーリックというキャラをショーパブで披露していました。顔だけ見ると、さんまさんに似ているかもと思ってオーディションを受けに行ったら、また受かっちゃった! フワァー!」
さんまさん特有の引いたような高笑いが響く。'93年、『発表!日本ものまね大賞』(フジテレビ系)に出演し、司会を務めるさんまさん本人の前でモノマネを披露し、一躍脚光を浴びた。
しかし、その直後に所属事務所が倒産し、フリーに。地道に営業などでお金を稼ぎながら、'99年には自身のバルーンアートを紹介した本『ほいけんたバルーン作品集』を発売。
ちなみに、さんまさんのモノマネに必需品である出っ歯の入れ歯は、歯科技工士をしている古くからの友人に作ってもらっていて、現在のもので6代目になるという。
「アドリブで話せて、即興でパフォーマンスができたので、『東京ディズニーシー・ホテルミラコスタ』の'01年のオープン時からブライダルの余興に出演していたのですが、7年後に契約が解消。もう一度テレビを目指そうと思って、さんまさんのモノマネを復活させようと思ったんですね。
でも、求められるものが増えていて、以前披露した顔芸だけでは通用しなかった。さんまさんの声や話し方まで模写できるようになって、'09年に『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』(フジテレビ系)に出演することができました」
その後の活躍は、周知のとおりだろう。
700件以上の誹謗中傷が殺到
「お酒を飲まない僕にとって、一番の趣味がカラオケでした。モノマネの練習もできるカラオケボックスは一石二鳥だったんです。コロナ禍では毎日5時間ぐらいこもっていました。点数をブログにアップしていたら、カラオケ番組からオファーをいただいてカラオケ芸人に。
そして、『千鳥の鬼レンチャン』につながった。さんまさんのモノマネって喉を酷使する。でも、そのおかげで裏声が出せなくなり、『カラダぐぅ〜』が生まれたんですよね」
ほいさんは、「ずいぶん遠回りしたかもしれないけど、人生に無駄なものなんてない」と笑う。
「すべてつながっているし、引っくり返せるかは自分次第。僕の歌唱法も最初は『インチキだ!』なんて言われて、僕のYouTubeチャンネルには700件以上の誹謗中傷が殺到した。でも、今では『面白い』と言ってくれる(笑)。
せっかくの“ほいバブル”ですから、いろいろなことに挑戦したいです。それこそ、サミュエル・ホイの吹き替えなんかできたら最高ですね」
取材・文/我妻弘崇
ほい・けんた 1965年東京都生まれ。1983年役者デビュー。1988年お笑い活動を開始。明石家さんまをはじめ、多数のモノマネレパートリーを持ち、テレビ、舞台などで活躍中。現在は深夜バラエティー『ララLIFE』(TBS系)のナレーションも務めている。