近年、日本人の2人に1人は生涯で一度はがんになるといわれ、罹患(りかん)率は男性で65.5%、女性で51.2%というデータも。
ただ、ひと口にがんといっても、原因には年齢や生活習慣といった環境要因と、生まれ持った遺伝子の変化による遺伝要因とがある。
祖母も叔母も乳がん、そして私も……
2009年に乳がんを発症し、翌年1月に手術を受けた田中久美さん(40代、仮名)は「遺伝性の乳がん」という診断を受けている。それまで病気とは縁のない生活を送っていた田中さんは発症当時を次のように振り返る。
「当時、乳がんをテーマにした映画が上映されていて、たまたま見に行きました。映画館で乳がんのセルフチェックを促すポスターを見かけて、家に帰って試したところ、右の乳房の外側あたりにしこりがあって……。小豆くらいの大きさだったので、これはまずいかなと」(田中さん、以下同)
それまで乳がん検診を受けたことがなかった田中さん。自身が医療事務として勤務していた病院で検査を受け、乳がんの診断を受ける。さらに家族の病歴から、遺伝性のがんの疑いがあるとされた。
「母方の祖母と叔母が30代で乳がんを発症し、亡くなっていました。当時、私も30代。そういった事情を伝えると、担当医は『遺伝性のがんだろう』と」
手術は、腫瘍をその周囲の正常な乳腺を含めて切除する「部分切除術」を行い、術後は放射線や抗がん剤を使用。
遺伝子検査もすすめられたが、検査の費用は約35万円が相場。調べる遺伝子の数によっては、それ以上の額がかかることもあるため、当時は経済的な理由もあって、検査を受けなかった。
しかし、8年後、自身の母親も65歳で乳がんを発症。これを機に遺伝子検査を受け、医師より「遺伝性乳がん卵巣がん症候群」であると言われた。
「私は遺伝子検査を受けてよかったと思っています。『いつかまたがんになるかも……』と1人で不安を抱えながら生活するよりも、診断を受けたうえで、信頼できる主治医と相談しながら、予防や治療と向き合っていける環境をつくれたことは安心感につながりました。
今すぐではありませんが、将来、子どもたちにも遺伝性のがんや検査について、きちんと説明をして、本人が納得したうえで、遺伝子検査を受けてもらいたいと考えています」
現在、田中さんはかかりつけの病院で定期的に検査を受けながら、自身の病気と向き合い続けている。
遺伝性のがんは決して少なくない
がん・感染症センター都立駒込病院の有賀智之先生は、
「遺伝性乳がん卵巣がん症候群は、BRCA1遺伝子、あるいはBRCA2遺伝子という、私たちの誰もが持っている遺伝子に生まれつき変化がある状態をいいます。この遺伝子の変化は性別に関係なく、およそ50パーセントの確率で親から子に引き継がれます」
と話す。
患者数は少なくなく、全人口の500人に1人の割合でいるとされる。
「この遺伝子変化がある人は乳がんと卵巣がんを発症するリスクが高く、特に20~30代といった比較的若い年齢で発症する場合があります。また、両方の乳房にがんができやすい、男性の乳がん発症のリスクが高くなる、などといった特徴もあります」(有賀先生、以下同)
先月、男性デュオ『バブルガム・ブラザーズ』のブラザー・コーン(67)が男性乳がんであることを公表したが、遺伝性の可能性もあるという。
さらに、2019年には人気料理家、栗原はるみさんの娘で、自身も料理家の栗原友さんが、遺伝性乳がん卵巣がん症候群と診断され、がんが見つかった左胸だけでなく右胸の乳房も切除。
卵巣がん発症リスクに備えて卵巣と卵管を摘出したと報じられた。決して珍しくないのだ。
また遺伝性のがんは、遺伝性乳がん卵巣がん症候群だけではない。大腸がんと子宮体がんに主に影響が及ぶ「リンチ症候群」という遺伝性のがんもある。
細かくいうと他にもあるが、その2つの症候群が遺伝性のがんの大半を占めるという。リンチ症候群に詳しい埼玉医科大学総合医療センターの石田秀行先生に話を聞いた。
「発がんを抑える遺伝子が変化する病気で、男性は大腸がん、女性は大腸がんと子宮体がんになりやすくなります。遺伝子の変化がない人に比べて、大腸がんの発症リスクは約10倍、子宮体がんの発症リスクは約20倍高くなるとされているので要注意です」(石田先生、以下同)
ところが、リンチ症候群も遺伝性乳がん卵巣がん症候群も、自分がそうだと気がついていない人が多いという。なぜなのか。
怖がって知ろうとしない人もいる
生まれつきの遺伝子の変化があるかどうかを調べる遺伝子検査は、以前は全額自己負担だったため、受けたくても断念する人が少なくなかった。
だが2020年4月以降、遺伝性乳がん卵巣がん症候群に関して、一定の要件を満たせば、保険診療で検査を受けられることになった。
有賀先生は「保険診療での遺伝子検査の普及の結果、これまで診断されなかった人が近年、診断されるようになったため、結果的に、遺伝性乳がん卵巣がん症候群の人数が増えています。2015年と比べると、診断された人数は10倍以上に上ります」と話す。
ところが、遺伝子という言葉を聞いて、漠然と「怖い」「知りたくない」という人もいて、検査を受けない人が一定数いるのも現実だ。
「私たちの遺伝子情報は、両親から受け継ぎ、生涯変わることはありません。近年、遺伝子検査によって、個人の体質に合った医療の実現が期待されている反面、差別の問題も潜んでいます」(石田先生)
アメリカでは、雇用時に家族の病歴や遺伝子情報について要求され、損害賠償の請求にまで発展した事例もあるという。そういった遺伝子差別が検査をためらうひとつの要因にもなっているのだ。
昔と違い、今は打つ手がある
それでも「遺伝性のがんを取り巻く環境は、少しずつ変わってきています。適切な対処法も確立されてきていますので、過剰な心配は無用です」と石田先生は話す。
「自分が遺伝性のがんかどうかを知ることは、“守り”を固めることにつながります。たとえ、遺伝性のがんだと診断されたとしても、がんの特徴に合わせた予防法や定期検査、発症後の治療をすることで、自身はもちろん、大切な家族ががんで亡くなるリスクを減らすことができるはずです」(石田先生)
そこで、両先生の監修のもと、編集部が独自に“セルフチェックリスト”を作成した。自分の家系にがんが多いと気になっていた人などは、念のため試してみてはどうだろう。
遺伝性乳がん卵巣がん症候群は一部で保険診療下での遺伝子検査が進んでいるので、それを上手に活用するのがポイントだ。
チェックリストに当てはまる血縁者がいて、まだ検査を受けていないようならすすめてみるのもひとつの手だろう。
リンチ症候群は、もし家族のことがよくわからなくても、ご自身が50歳未満で大腸がんになっていたり、60歳未満で大腸がんに複数回、または大腸がんと子宮体がんの両方と診断された場合も可能性はあるという。
「気になる人は上記の専門外来か、または、日本遺伝性腫瘍学会のホームページに遺伝性腫瘍専門医の名前と所属施設を公開していますので、参考にしていただければと思います」(石田先生)
遺伝性乳がん卵巣がん症候群チェックリスト
気になる人は今すぐチェック!
Q.あなた自身やあなたの両親、きょうだい、祖父母、おじおば、おいめいに、以下に当てはまる人はいませんか?
□卵巣がんになった人がいる
□乳がんになった人で、下記に当てはまる人がいる
・45歳以下で診断された
・60歳以下でトリプルネガティブ乳がんと診断された
・2個以上の原発性乳がんと診断された
・男性で乳がんと診断された
上記のどちらかに当てはまる人が1人でもいたら、遺伝性乳がん卵巣がん症候群の可能性があります。
それがあなた自身の場合は、保険診療で遺伝子検査を受けられる可能性がありますので、主治医にご相談ください。
あなたではない場合は、まずはその血縁者にすでに遺伝子検査を受けたかどうか、聞いてみてください。
リンチ症候群チェックリスト
気になる人は今すぐチェック!
Q.あなた自身やあなたの両親、きょうだい、祖父母、おじおば、おいめいに、以下に当てはまる人はいませんか?
□大腸がん、子宮体がん、胃がん、腎盂尿管がん、小腸がんになった人が、父方と母方のどちらか一方に3人以上いる(父方に2人、母方に1人など、父方と母方を合計するのはNG)
□その人たちは2世代以上にまたがっている(「父と、祖父と、祖父の兄」など)
□その人たちのなかに、50歳未満でそのがんと診断された人が1人以上いる
上記のすべてに当てはまれば、リンチ症候群である可能性が高いです。
気になる人は、各地のがんセンターや大学病院などの遺伝カウンセリング外来や遺伝性腫瘍外来などの専門外来で相談してください。
(文/鶴町かおり)