《手術を受け無事成功しました 不本意ながらシーズン途中でチームを離れることになりましたが残り試合のチームの勝利を祈りつつ、自分自身一日でも早くグラウンドに戻れるように頑張ります》
日本時間9月20日、自身のインスタグラムにて、右肘の手術を受けたことを報告したエンゼルスの大谷翔平。'24年は打者のみで、二刀流の復活は'25年となる見込み。
試合には出場していない大谷だが、ベンチではコーチ顔負けの“指導力”でチームを引っ張る姿を見せている。
「今年メジャーに昇格したネト選手にベンチで身振り手振りを交えながら、打撃のアドバイスをしていました。大谷選手は手術を受ける前日もネト選手に動画を何本も送ってアドバイスしていたようです。
不調だったネト選手は、大谷選手のアドバイスもあってホームランを打つなど復調。ネビン監督も“監督やコーチが言うより、大谷が言うほうが意味がある。他の選手を引っ張ってくれるのは本当に重要なこと”と感心していました」(スポーツ紙記者、以下同)
エンゼルスを強くして、プレーオフにいきたいという思い
打者だけでなく、投手陣にも試合中に助言したことがあった。
「投球のタイミングを変えたほうがいいと助言したり、打たれてしまった投手の癖を見抜いて指摘したこともありました。大谷選手はチームメートを鼓舞するように声をかけていたり、コーチ陣ともコミュニケーションをよく取っていたりと、自分がチームを引っ張っていこうとする姿勢が見られます」
メジャーに移籍して6年目の大谷。環境にも慣れてきた中で、どんなリーダー力を発揮しているのか。現地で取材をするスポーツライターの梅田香子さんに話を聞いた。
「ネト選手にはよくアドバイスしていますが、報道されていないだけで、他の選手にもアドバイスしていると思います。ネビン監督も“試合の前後に打撃練習をするケージ内でチームメートとよく話している”とコメントしていました。自分が引っ張って、エンゼルスを強くして、プレーオフにいきたいという思いが伝わってきますね」
もちろん打撃コーチもいるが、大谷がそこまで指導しても問題はないのだろうか。
「アメリカは訴訟社会なので、指導された選手が活躍できなくなったり、ケガをするとコーチが選手から訴えられることもありますから、日本のようにコーチが熱心に教えるということはほとんどありません。基本は選手から聞かれたら手助けをする程度。大谷選手もエンゼルスに来て6年目と長いので、コーチが気を悪くしないというのがわかって、指導しています。コーチにとっても大谷選手のような存在はありがたいと思いますよ」(梅田さん)
仲間思いの気持ちを育んだ東日本大震災
エンゼルスだけでなく、そのリーダーシップで侍ジャパンも世界一へと導いた。
「アメリカとの決勝戦の前、ロッカールームでの円陣で発した“憧れるのをやめましょう”という言葉は大きな反響を呼びました。準決勝のメキシコ戦では1点負けている状況で迎えた9回にヘルメットを飛ばしながら激走して二塁打。ベース上で雄叫びを上げてチームを鼓舞して日本のサヨナラ勝ちへとつなげました」(前出・スポーツ紙記者)
そうした仲間思いの気持ちは'11年の3月11日に起こった東日本大震災で学んだという。
「震災当時、大谷選手は花巻東高校の1年生でした。大谷選手の実家は幸いにもほとんど被害はありませんでしたが、チームメートの中には実家が津波で流されたり、祖父母が亡くなった人もいました。そうした人に大谷選手はたわいない話題でも積極的に話しかけ、励ましていましたし、“岩手のためにも甲子園で勝とう”と仲間を鼓舞していました。大谷選手はインタビューで“それまでは自分中心だった。でも、震災後はもっと周りのことを考えようと思いました”と話していたことも。震災の翌年、2年生の夏に甲子園に出場しましたが、1回戦で敗退。その後のミーティングでは大谷選手を中心に同級生で“来年は必ず日本一になろう”と誓っていましたね」(当時のチームメート)
仲間に対して熱い思いのある“親分気質”な大谷。グラウンドに立たずとも、まだまだ楽しませてくれそうだ。
梅田香子 スポーツライターとして、野球以外にもフィギュアスケートやバスケットボールなど多くのスポーツに精通。現在はアメリカに在住し、大リーグを中心に取材活動を行う