「20代の最初から、東京って暮らすところではないなと思っていたんですよね」
当時をそう振り返るのは、千堂あきほさん(54)。学園祭クイーンとして活躍し、トレンディードラマやバラエティーなどテレビ番組にも数多く出演。まさに都会の華やかなイメージがよく似合う女性という印象だったが、自身はどこかで東京になじめない思いを抱えていた。
マネージャーの盗聴器事件
「少しオフができると、渓流に行って釣りをしていました。海も好きだったので、理想は鎌倉とか湘南とか、ちょっと離れたところに住んで、仕事のときだけ都心に行きたいな、なんて。若いころから、どこかで都会での生活とは一線を引いていたかったのかも」
千堂さんは東京を離れるきっかけのひとつに、所属事務所のマネージャーに盗聴器を仕掛けられていたという、衝撃的な事件のことも振り返る。東京を離れて人間関係をリセットしたいという思いもあり、2000年に結婚後は関西へ移住。現在は夫の実家がある北海道で、家族と5人で暮らす。北海道に移住したのは2011年の2月末で、2人目の子どもがお腹にいるときだった。
「北海道に移住したきっかけは、実家のある兵庫県で暮らしていたときです。義母が住んでいる北海道の医師を紹介されて、里帰り出産のような形で行ってみようと」
当初は出産の前後だけ過ごすつもりだったが、居心地のよさにすっかり北海道に根が生えてしまった。北海道は自分の肌に合っていたという。
「食べるものは美味しいし、お水も冷たくて気持ちがいい。それに、裸足で走り回れる芝生の公園がすぐそばにあったんです。この環境って子育てにとてもいいんじゃないかと思うようになりました。結局戻らず、そのまま北海道にいたら、あっという間に11年がたってしまいました(笑)」
来たばかりのころは慣れないことや驚いたこともあった。
「ちょっとしたところへ出かけるのも、1人では行けなかったんです。北海道の人は地理を東西南北で話す人が多いんですけど、どこから見て東なのかもわからなくて(笑)。それに、子どもの幼稚園の送り迎えで車を運転するときも、信号のない横断歩道に、積雪対策で停止線の標識があることも驚きましたね。その新鮮さが楽しかったんです」
子ども中心の生活をしていたら、あっという間に時間がたち、北国の生活に慣れていったという。
移住先で本当の人生を歩む決意
千堂さんが東京での芸能活動をやめ、現在の生活に無理なくなじめたのは、父の影響が大きい。
「仕事を始めるときに、父から『自分のことは自分でできるようになっておきなさい』と言われたんです。『芸能人は旬のもの。旬が終わるときに、違うことをやるにしても、普通の生活ができなくならないようにちゃんとした生活を送りなさい』と。その言葉のおかげで、普通の同世代の人と同じような生活を送ることを意識できました」
同時期にデビューして一緒にいた人が、勘違いをしたり、お金の使い方がひどくなっていったり、芸能界でいろんなことを目の当たりにした。余計に自分は普通の感覚を持っていたいと感じるようになっていた。
「今後の人生を考えたときに“千堂あきほ”か、本名である“さきなあきほ”どっちを選ぶかと言われたときに、私はやっぱり本当の人生を考えながら生きようと思いました。それは父の言葉のおかげ。だからすごく感謝しています」
今までの人生を振り返り、移住に後悔はない。
「東京はたまたま芸能界の仕事をしていた場所で、今は北海道でリアルな自分の人生を生きているという感覚。この自分の人生を生きていることが大事で。北海道に移住して、きちんと生活して子育てしているということが、今の自分にとって一番の自信につながっていることなんです」
慣れない土地で、幼稚園でのママ友をつくることから始まり、ご近所付き合いやPTAの活動などにも積極的に参加。少しずつ生活の基盤となる関係を築いてきた千堂さん。
「家族総出で雪かきをやったりしますよ。ただ、今年は局地的な集中豪雪だったし、やってもやっても間に合わなくて(笑)。歩道に雪山があるので、人も車道を歩くしかない場所もあって、本当に危なかったり。“雪国あるある”とはいえ大変でした」
冬になれば地面を踏みしめながら雪かきをして、夏は菜園で草刈りをする。家族みんなで暮らす家はクーラーもなく、千堂さんが“古民家”と呼ぶ昔ながらの一軒家。そんな家で中3になった子どもの進学問題を夫婦で話し合う。その普通の暮らしがかけがえのないものになっている。
「北海道に来て11年住んで、子どもたちや家族のおかげで新しい自分を発見したり、新しい自分にバージョンアップした感覚です。私にとって本当にいいタイミングで、ここに来たんだろうと思いますね。自分の人生、もちろんいいことばかりではなかったですが、それも含めて考えたとき、よい人生を着実に今、歩めているのかなと」
在住歴11年、地域の応援がライフワーク
子育てをメインにしながらも、芸能の仕事も自身のペースで続けている。東京へ出向くこともあれば、北海道ローカルのミニドラマに出演することも。「機会があれば女優などいろいろやっていきたい」と語る。
最近は北海道への感謝の気持ちが強くなり、地元のよさを伝えていきたいという。
「今、“北海道漁協女性部応援大使”として毎月1回ぐらい道外や道内を回って、浜(漁村)のお母さんの応援とお魚を普及させる活動をお手伝いしています。仕事というよりもライフワークに近い。今まで積み重ねたことや経験を活かせたらいいですね」
昔の千堂あきほほどの影響力はなくとも、伝えることで周囲のみんなが元気になればとおだやかに笑った。
(取材・文/諸橋久美子)