ドラマやバラエティーなど、多岐にわたる芸能活動を行っていた森下千里さん(42)。
2019年に芸能界を引退後、2021年4月に衆議院の宮城県第5選挙区の支部長に就任。
「芸能界では政治的発言をできなかったのですが、昔から政治には興味があったんです。旅番組などで日本中を回る中で、本当に日本は素晴らしい国だと思うことがたくさん。地域や出会った方々に恩返しがしたいという気持ちが膨らみました」
森下千里、毎日続ける街頭演説
愛知県出身の森下さんが宮城で出馬したのは、震災から10年がたった年に、風化させないため自分でも何かできないかと考えたから。そんな土地で新生活をスタートする。
「新しいことばかりという宮城での新生活は、すごく新鮮で楽しかった。学ぶことも多かったです」
無我夢中だったが、今思うと大変なこともあったと来たばかりのころを振り返る。
「初年度は5月ぐらいまで寒くて。スピーカーの電池が寒さでダメになってしまうこともあったくらい。とにかく着込んで街頭演説などをしていましたね」
今も政治活動の一環として毎日街頭に立ち続けるなど、地道な活動を精力的にこなす日々を送っている。
「今年の夏は日焼けがすごくてヤケドみたいになってしまったため、慌てて病院に行きました。でも、おかげでみなさんに名前を覚えてもらえたり、声をかけてもらえるようになり、頑張ったかいがあったなと思います」
駆けつけてくれた母親と20年以上ぶりの同居
現在は猫と母親との3人暮らしをしている。母親とは、実に20年以上ぶりの同居なのだそう。
「引っ越したタイミングが、ちょうどコロナウイルスによる緊急事態宣言下だったので、ほとんどのお店がやっていなくて。活動を終えてごはんを作るにも、スーパーも時短営業だったので、何も食べるものがない状況でした。
毎日コンビニで買っていて、健康とはいえない食生活でした。そうしたら、1か月目で周囲から心配されるくらい痩せてしまった。もうこれはダメだと思い、母に助けてくださいと、お願いをして来てもらいました」
人に頼るのがすごく苦手な森下さんのSOSに、母親はすぐに駆けつけてくれた。現在もひたむきに政治と向き合う森下さんを全面的にサポートしてくれている。
「実は祖父や叔父も町議会議員で政務に関わる人だったんですが、母からは『血は争えないね』なんて言われます。
母はさまざまなことに関心のある人で、家でも母と政治の話などもします。母には本当に助けられていて、感謝しかない。東京では1人での生活でしたし、こうして感謝の気持ちを言えたのも、ここでの生活を始めたからこそです」
宮城に引っ越してから生活ぶりが一変、夜に外出することもぱったりなくなった。
「東京にいたときは、遊びの誘いも多かった。友達もみんな元気で夜ごはんは外で食べるのが普通。楽しい反面、疲れるなと感じるときもありました。今はある意味すごく楽な気分です。
東京に比べて夜は本当に真っ暗。とにかく寝るのが早くなるんですよね。夜10時には母が寝るので部屋も暗くなる。夜ふかしといえば携帯で漫画を読むくらいで(笑)」
今は自宅でゆっくり自分と向き合う時間も楽しんでいるという。
芸能界で活躍していたことも大きな財産になっており、すべての経験が無駄ではなかったと振り返る。
「人との距離感を感じさせないねと、褒めていただくこともあって。もともと引っ込み思案な性格だったんですが、積極的になれたのは芸能界に身を置いていたからだと思います。
例えば、旅番組で知らない方とさまざまなお話しをさせてもらった経験も生きているのかなと。芸能の活動を通して、言葉や文化なども気づかぬ間に学ばせてもらっていたのだと改めて感じます」
(取材・文/諸橋久美子)