3枚目のアルバムを発売したとき、宣伝する大きな看板が渋谷に出ていました。その前でポーズをまねして写真を撮りました(笑)

 在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。13歳のとき、クリスタルがメジャーデビュー。娘のキャリアは順調で、ついにヒットに巡り合う。

娘クリスタル・ケイのヒット曲『恋におちたら』

「『恋におちたら』はクリスタルの16枚目のシングルでした。草なぎ剛さん主演のドラマ『恋におちたら〜僕の成功の秘密〜』の主題歌で、彼女の最大のヒット曲になりました。

 クリスタルはデビュー当初R&Bを主に歌っていたけれど、レコード会社がかわったことでポップスに移行した。いわゆる売れ線といわれる路線なのでしょう。ただしクリスタルはそこに不慣れで、録音の最中にスタジオから『ママ、この曲全然歌えないんだけど』と電話がかかってきたことがありました。それは8ビートのポップスで、私にしてみれば『簡単な曲なのにどうして?』と思ってしまう。

 クリスタルは16ビートが染みついていた。16ビートはアフタービートで、黒人のソウルといわれるリズムがそう。日本のポップスは大半が8ビートのメロディーで、通常は16ビートのほうが難しいとされています。けれど娘は8ビートのメロディーの曲が歌えないというから面白い」

『恋におちたら』のヒットにより、クリスタルを取り巻く環境は大きく変わった。母として娘を守り、サポートする必要がある。

ヒット曲『恋におちたら』最初は全然歌えなかった

「13歳でデビューはしたものの、それまでは娘も私も芸能界にいるという感覚はないままでした。けれどヒットをきっかけに突然周囲が騒がしくなった。いわゆる芸能人という視線で見られるようになって、あまり人目につくところ、人が大勢集まる場所へ娘が出て行かないよう私も気を配るようになりました。

 娘には『舞台から下りたら普通の人間になれ』『天狗になったら終わりだよ』と言い続けました。クリスタルもそこはしっかり守ってくれて、自分が芸能人だという意識はいまだにないようです。

 それどころか周りの目をまったく気にせずにどこへでも出かけてしまう。デパートの化粧品売り場ですすめられるままちょこんと座ってメイクをしてもらうなんてこともたびたびで、むしろ私のほうが慌ててしまいます。

 ただ娘はミックスのせいか、別扱いのようなところもあるみたいです。『握手してください』と言われることはあっても、わっと取り囲まれるようなことはない。男性と歩いていても特に騒がれることもなく、遠巻きに見られる程度です

 シンガーと学業の両立は常にクリスタルの課題だった。仕事がますます忙しくなる中、大学進学を決める。

「娘の大学進学は私の希望でした。『歌手が嫌になったとき違う仕事に就けるようにしておいたほうがいい』と説得した記憶があります。でも歌手というのは決してやめることはない。どんな形でも歌っていく。『もう歌いません』と言って実際そうしているのは(山口)百恵さんくらい。クリスタルにしても、“この娘はずっと歌い続けるだろう”という確信が私の中にありました。

 デビュー10周年コンサート真っ最中のときです。持病のぜんそくの発作が起き、舞台袖に入ったとたん、クリスタルが倒れ込んだのです。

 スタッフみんなで娘を抱きかかえ、『アンコールは歌わなくていいから」と言うと、倒れたまま息もできない状況なのに『……大丈夫、歌う!』と言う。彼女の意を決した面持ちに、『じゃあ1曲だけ』と言ったけど、結局2曲歌っていた。

 やっぱり彼女は歌が好きというのはもちろん、同時に根性と覚悟があるのだと、つくづく感じました」(次回に続く)

<取材・文/小野寺悦子>

 

ディズニーランドで全国の高校生が集まりマーチングする企画がありました。娘は勉強以外に、バスケや鼓笛隊なども一生懸命でした

 

男と不倫していたころですが、クリとは変わらず仲良く、よく2人でおそろいの服を着ていました。デニムの形も当時の流行を感じさせますね

 

娘が中学生のころ、知り合いのお茶の会に参加させてもらったとき。私たちが着物を着ることなんてなかったのでとても新鮮でした

 

私は30歳くらいで、歌手活動をしていました。2枚目のシングルを出したころ。娘は10歳くらいで、まだあどけなさがありますね

 

7月に母と客船クルーズで旅をして、その途中で沖縄に。6時間ほどしか滞在しませんでしたが、海に入ったり、ソーキそばを食べたり楽しみました

 

7月中旬、母と2人でクルーズ船に乗り旅行へ出かけました。沖縄、台湾などを周遊し、夏らしくリラックスした旅ができました

 

7月8日、クリスタルはLAで開催されたドジャースvsエンゼルス戦で国歌独唱を務めた(c)Los Angeles Dodgers

 

横浜のバーで歌っていたころのシンシア。娘のクリスタルには歌を教えたことはないというが、気づけばその遺伝子を継いでいたよう

 

幼少のころから才能を感じさせていた娘のクリスタル・ケイ。家には楽器などもあり音楽には慣れ親しんでいた

 

ニュージャージーで結婚式に参列したときの写真。娘のクリスタルはいつも男の子っぽい服装を好んだけど、珍しく女の子らしい服

 

アメリカのドラマに登場しそうな広い芝生の庭に大きな家。写真に写っているのは娘のクリスタル・ケイと、愛犬のデューク

 

クリスタル・ケイが1歳のときに引っ越してきたという住宅地区は、根岸にあるアメリカ海軍の専用地

 

20歳ごろのシンシア。トニーがドライブデートの際に撮った写真。ファーに白のパンツやブーツという格好が懐かしく時代を物語る

 

横浜で歌っていたころのシンシア。『マジック』や『BarBarBar』などは業界関係者がよく出入りして、デビューの足がかりの場になっていた

 

ついに待望の女児を出産。3980gで「とにかく大きな子だった」というシンシア。健康に生まれてきてくれたことにホッとする

 

20歳くらいにフィルと付き合っていたころのシンシア。横須賀にあったバーガーショップ『アンディーズバーガー』で働いていた