「“自分の経験を活かし、何度でも挑戦して、この国のために働きたい”と言ったので“それなら私も一生懸命、応援します。そのかわり命がけで、この国のために働いてくださいね”と言いました」
7月8日、安倍昭恵さんは夫の一周忌の法要で、涙ながらにそう語っていた。
'22年7月、奈良市の近鉄『大和西大寺』駅前で応援演説中の安倍晋三元首相が襲われ、命を落とした銃撃事件。
犯行の動機は、旧統一教会により一家離散した、山上徹也被告の逆恨みによるものだった。事件から1年3か月がたった10月13日、裁判を前に証拠や争点などを絞り込む公判前整理手続きが行われた。
耳を傾けていた妻の言葉
「首相を退いても、やれることは、まだまだあった。支持率も低迷し、頼りない岸田文雄首相を見て、自民党の古参議員の中には“安倍先生が存命だったら……”とこぼす人もいます」(全国紙政治部記者、以下同)
かつての首相の死を惜しむ声もあがるが、その寂しさを最も感じているのは、長年連れ添った妻の昭恵さんだ。
「事件があった日の朝、昭恵さんが安倍元首相に話したのは“LGBTの友人に会って話を聞いてほしい”というお願いだったそうです。安倍元首相は、LGBT法案の成立に否定的な立場を示していた人でした。それでも、昭恵さんが熱心に話す言葉には真剣に耳を傾けていたのでしょう。愛妻家として知られる安倍元首相だけに、昭恵さんが長年にわたり熱心に取り組む社会貢献活動には、寄り添うように協力していたのです」
「国のため」という強い意志
昭恵さんは『財団法人 社会貢献支援財団』の会長を務めるだけでなく、個人としてもさまざまな団体の支援活動を行っている。かつてはミャンマーに学校を建てたこともあった。今年に入って昭恵さんは、それらの活動を再開させている。
「チャリティーイベントだけでなく、全国各地の支援団体への訪問も精力的に行っています。その評価に賛否がある人ですが、社会貢献活動への思いは本物です。8月には、新宿の歌舞伎町で開かれたイベントで“元ファーストレディー”でありながらも自ら出展ブースに立って、かき氷を作っていました。訪れた子どもたちの話も熱心に聞いていましたよ」(イベントに参加した男性)
涙の乾かぬうち、動き出した昭恵さん。その根本には、安倍元首相にも伝えた“国のため”という強い意志があるようだ。
「今年の夏に、昭恵さんは複雑な家庭環境にある子どもたちを支援する施設を訪問したのですが、そこで活動する20代のスタッフに安倍元首相が使っていた鞄をプレゼントしたのです。そのスタッフというのが、もともとその施設のお世話になっていた経緯があり、今は施設の中心的なスタッフとして活動を支えているんですよ。昭恵さんとしては“国のため”に働いた、安倍元首相の遺志を、将来を切り開いていく若者に“形見分け”したかったのだと思います」(昭恵さんの知人)
10月4日に昭恵さんが投稿したSNSには、こんな思いが綴られていた。
《主人のまいた種が既にしっかり育っていることが嬉しい……》
最愛の夫の遺志を引き継いで、今は少しでも明るい未来をつくろうとしている。