「ジャニーズ事務所の会見を見て、被害者である僕たちの気持ちは置いてけぼりだなと……。連日のように性加害問題が報じられていることで、元ジャニーズの多くが二次被害に遭っているんです。そうした現状を伝えたくて、話すことを決めました」
かつて、ジャニーズ事務所で合計5年間ほど、ジャニーズJr.としてタレント活動していた田中斗希は、記者の目をまっすぐ見て、そう話した。
ジャニーズ事務所から『SMILE-UP.』に社名変更された同社は、創業者・ジャニー喜多川氏の性加害を受けた被害者への救済業務のみを行っていく。
しかし、ジャニー氏による芸能史上最悪の性加害問題を、同社は長年にわたって“隠ぺい”してきただけでなく、メディアに対する圧力もかけていたと報じられている。新会社の社長に就任した東山紀之は“解体的出直し”を明言したが、こうした過去があるだけに、本当に変革がなされるのか疑問が残る。
10月2日の会見では、“指名NG記者リスト”の存在が発覚し、追及の声は過熱し続けている。
ただ、被害を受けていたが、声をあげられない当事者たちの気持ちは、無視されていると冒頭の田中は続ける。
「社名を変えて、新会社を立ち上げ、被害の補償をすると言っている。それで、もういいじゃないか、と。僕としては、社名が変わるのも悲しい。自分の人生が否定されたみたいで……。会見で東山さんにカミングアウトを強要するような質問をしていた女性記者には本当に腹が立ちました」
“自慢の息子”だったのが、今は“被害者”
そう指摘するのには、深刻な“二次被害”が背景にあるからだという。
「性被害を受けていない、今は一般企業に勤めている元ジャニーズの友人は“キミも性被害を受けていたの?”と同僚に聞かれて“受けていない”と言っても、裏では“アイツ絶対ヤられてたよ”といった会話が社内でされているそうです。彼はこうした現状に“本当につらい”とこぼしていました。
また、タレントの親も苦しんでいます。以前はジャニーズで活躍する“自慢の息子”だったのが、今は“被害者”といった目で見られる。息子の被害に気づけなかった自責の念で、心を病んだ親御さんもいると聞いています」
田中も、母親とこんな会話をしたという。
「性加害が報道で明るみに出てから、母親が“トシも受けてたの……?”と聞いてきたことがありました。だから僕は“性被害はあったけど、大丈夫だよ。全然、苦しんでないから”と明るく伝えました。でも母親は“なんで気がついてあげられなかったのかな……”と、悲しそうな顔をしていて。
親族が集まったときも、開口一番に聞かれるんです。そのときは母親が傷つくから“受けていない”とウソをつきましたけど。そうやってウソをつくことにも罪悪感がある。僕は、こうした悪循環を止めたいんです。だから、僕が受けた被害やこれまでのこと、声をあげない元ジャニーズたちが何を思っているのか全部、話しますよ」
田中がジャニーズ事務所と初めてかかわりを持ったのは2006年5月、12歳のとき。堂本剛主演のドラマを見て、自分もテレビに出たいと思ったことがきっかけとなり、ジャニーズ事務所のオーディションに応募。その後、連絡があってNHKの『709リハーサル室』に向かったという。
「会場に入ると番号付きの名札をもらって、ダンスを踊ることになりました。100人ぐらい、いたと思います。そこに、ちょろちょろと歩くおじいちゃんがいたんです。変な人がいるなと思っていたら、そのおじいちゃんに“ユーは何番?”と聞かれました」
これが、田中とジャニー氏の初めての接触だった。
「すごくフレンドリーだった」ジャニー氏
オーディション後、その場に残るように指示された田中を含む少年たちは、ジャニー氏とNHKの食堂に向かった。
「そこでジャニーさんが“ユーの名前は何ていうの?”と聞いてきたんです。“学校で面白いことあった?”とか“部活は何をやってるの?”とか、私生活を聞かれました。“敬語なんか使わなくていいよ。僕そういうの嫌いだから”と言ってくれて、すごくフレンドリーな人でした」
こうして田中のジャニーズでの活動が始まった。最初は、デビュー前のレッスン生であるジャニーズJr.からのスタートだった。その生活は「めちゃくちゃ楽しかった」と語るが、入所から数か月がたち13歳となった田中を、ほどなく魔の手が襲ったーー。
「2006年の夏の終わりから秋口だったと思います。ジャニーさんから“ユー、僕の家に遊びにおいでよ”と言われて、5人のJr.と泊まりに行ったんです。マンションの部屋には、カラオケルームや当時の最新ゲーム機があり、友達の家に遊びに来たような感覚でした」
ジャニー氏は、喜んで遊ぶ少年たちを、愛おしそうに見つめていたという。
夜も更け、ジャニー氏の指示で少年たちは寝床に入るも、田中はなかなか寝付けずにいた。すると、寝室のドアが開き、ジャニー氏が入ってきた。
「ジャニーさんがベッドに座ったので、一緒に寝るのかなと思ったんです。すると“ユー、マッサージしてあげるよ”と言いながら足先から触られ、その手がだんだん上のほうに……」
ジャニー氏は、田中の性器を触り、口淫した。田中が射精をすると、ジャニー氏は温かいバスタオルで彼の身体を拭き、部屋を出ていったという。これが田中にとって初めての性体験だった。
行為の見返りは3万円と「スターへの道」
「ジャニーさんの行為をどう受け止めればいいかわからず、戸惑いました。社長だから拒絶できなかったのもありますが、イヤだって気持ちは正直あまりなかったんです。友達みたいに接してくれるので好きだったし、行為のあった翌日は3万円ほどのお金をもらえましたから。でも、いま思えばそれこそが“支配”だったとも感じます。親にも恥ずかしくて言えませんでした」
田中は大人に助けを求めることができないまま、頻繁にジャニー氏の自宅に呼ばれ、繰り返し性的に搾取されていく。その行為は30回以上にわたったという。これに伴い、ある変化が起こった。
「あるとき、ジャニーさんに呼ばれて、ほかのJr.と3人で並ばせられたんです。“ユーたち同じぐらいの身長だね”と言われ、そこから雑誌とかの取材を3人で受けるようになりました。出演していたNHKの『ザ少年倶楽部』ではマイクを持たせてもらえて、歌えるようになった。そのときは、純粋にうれしかった」
スターへの道を歩み始めた田中は、ジャニー氏から自宅のカギを渡されるまでになる。
「ジャニーさんから“あの子を連れて遊びに来なよ”と指示を受け、僕がそのJr.を連れて行くような立場になっていました。それがジャニーさんに“加担する行為”だと気がついたのは、だいぶ後になってから。思い返せば、連れて行った子たちは何人もジャニーズを辞めていきました」
ジャニー氏は、性について知識がなく、抵抗もしない田中たちを利用したのだ。
「自分の行動が性加害を助長していたと思うと、罪悪感から消えてしまいたくなるんです……。苦しいですね」
さらにHey! Say! JUMPがデビューした2007年、田中はある“システム”に気づく。
「連れて行ったJr.の子が、夜にジャニーさんから性被害を受けると、次の番組収録などでいい立ち位置になったり、マイクを持って歌えるようになるんです。そこで初めて、性行為をされることで“出世”できるシステムがあるのだと気がつきました。もちろん、性被害を受けずとも、スターになる人はいますけど」
熱心なジャニーズファンの親のすすめで、入所する少年も少なくない。
親から「ジャニーさんにヤられてこい」
「親から“ジャニーさんにヤられてこい”と言われたと話す子もいました。ただ、みんなジャニーさんと何をしたとか、具体的なことは話しませんでした。“おまえ、いくらもらった?”くらいです」
田中も心の底からスターになることを目指していた。デビューした先輩たちのようになれるなら─。そう思い、ジャニー氏に“気に入られるため”その支配を受け入れ続けた。
しかし、突如“優遇”された道は閉ざされる。
「一緒に仕事をしていた3人のうちの1人が、ジャニーさんから性的な行為を迫られ、拒んだんです。すると、出演していた番組では、いつも最前列で踊っていたのが、次の収録から3人とも最後列で踊らされるようになりました。確実にジャニーさんが指示していると思い、バカバカしくなって2009年に事務所を辞めました」
その後、恋人もでき、青春を謳歌していた田中だが、どうしてもスターへの道を諦められなかった。2010年と2012年の2度にわたってジャニーズ事務所へ舞い戻る。
「17歳のときは、さすがにないだろうと思ったら、また自宅に呼ばれて……。もう拒否することすら諦めていました。当時は彼女もいたし、本当にイヤだったんです。売れるには、やっぱりジャニーさんとヤらなくちゃいけないんだと絶望して、2か月ほどで辞めました。19歳で2度目に戻ったときは、さすがに呼ばれなくなりました。ジャニーさんは小さい子が好きだったので」
ただ、田中はジャニー氏の性加害の影響により、自分自身を見失う。私生活はかなり前から荒れていた。
「自分のセクシュアリティーがもうグチャグチャで……。女の子が大好きでめちゃくちゃ遊んでいましたけど、男とも遊べる。自棄になって、カラダを売ってお金を稼ぐこともありました」
その一方、目黒蓮などとも一緒に仕事をし、Hey! Say! JUMPやSexy Zoneのバックで踊った。今度こそスターへと駆け上がるはずだった。が、田中の人生は再び暗転する。
「アイツにヤられて俺の性が狂った」
副業が禁止されているジャニーズタレントの田中が、LGBTタウンで知られる東京・新宿2丁目のバーで働いていることを、2014年に週刊女性が報じた。それに追い打ちをかけるように、別の週刊誌が《“ゲイ”カミングアウト!》の見出しで、田中の性的指向を公にしたのだ。
「報道後、3か月の謹慎処分と言われましたが、どれだけ待っても連絡はなくて……。マネージャーに連絡すると“仕事はないから”と言われました。事実上のクビですね。僕にとって、この週刊誌報道が一番の被害でした」
周囲から“ゲイ”と言われ、家族も笑いものにされた。妹はいじめに遭い、高校を中退。田中も精神的なストレスから、一時は通院していたという。
「現在の僕の性的指向は男性も女性も好きになれるバイセクシュアルなのですが、今のようにLGBTへの理解もなかった時代でしたから、報道後は“ゲイ”や“ホモ”だと差別され、笑いものにされました。なので当時はジャニーさんを恨みました。“全部アイツにヤられて俺の性が狂ったからだ、クソじじい”って」
あれから9年。時は流れ、人との出会いから受けた傷も癒されてきた。記憶も薄れ、今はまた違う思いを持つ。
「事務所やジャニーさんには、すごく感謝しています。いろんな仕事をやっていけるのも“元ジャニーズ”という肩書があるから。被害を受けた元ジャニーズの友人も同じように感謝している。なので、声をあげない被害者もいっぱいいるはず。逆に忘れかけていた嫌な記憶を、報道で思い出して苦しんでいる友人もいます。NGリストを追及して、何になるんですか。被害者は、僕たちなんです。だからこそ、1日も早く、この騒動が収まることを願います」
田中が明かしたのは、これまで語られなかった被害者たちの本当の思いだ。