「10月23日から『立川立飛歌舞伎特別公演』が開演されます。配布されているチラシには歌舞伎役者の市川中車こと、香川照之さんの顔が大々的に掲載されていますが、この舞台は本来、市川猿之助さんがメインの舞台でした」(スポーツ紙記者、以下同)
香川が所属する歌舞伎の名門・澤瀉屋は大きな局面を迎えている。
「5月には猿之助さんが両親を巻き込んだ心中事件を起こして裁判沙汰になり、役者への復帰は絶望的。9月には『スーパー歌舞伎』を確立し、澤瀉屋のトップだった市川猿翁さんが逝去。香川さんは大きな後ろ盾を失いました」
香川自身も昨年8月に性加害事件が報じられて、レギュラー番組やCMを降板。以降はタレントや俳優としての仕事を受けず、自身が代表を務める会社の公式サイトで“この命を家業の歌舞伎と、知的好奇心を育んでくれる昆虫に捧げる”と宣言。演技の仕事は歌舞伎一本に絞るとしている。
「香川さんは猿翁さんの息子でありながら、幼いころに絶縁状態になったため、現代劇の俳優としてのキャリアを積んできました。しかし2004年に生まれた長男を“歌舞伎役者にしたい”という気持ちが芽生えたことで2012年に46歳という遅さで歌舞伎界入りを決断したんです」(梨園関係者、以下同)
遠回りをしてきた香川だが、そんな彼を遠くから見守る“理解者”がいたという。
市川中車の芸を絶賛した良き理解者
「歌舞伎評論家の喜熨斗勝さんです。彼は、二代目・猿之助さんが伯父で、市川小太夫さんの次男。香川さんから見ると曽祖父の甥にあたります」
澤瀉屋の一族に生まれた喜熨斗さんだが、役者の道には進まず文化放送に入社してアナウンサーに。1963年からはフリーアナに転身すると、並行して歌舞伎評論家としても活動を始めた。
2018年に刊行された『歌舞伎 芸と血筋の熱い裏側』(講談社ビーシー)という自身の著作で、歌舞伎を始めたばかりの香川に対して、
《中車はやはり、二代目市川猿翁のDNAを継いでいる》
《顔と声と全身で表現できる素質・能力、中車はそれを継いでいる》
と、その芸を絶賛。
「同じ澤瀉屋の一族というひいき目もあるのでしょうが、香川さんが実の父との確執を乗り越えて、梨園入りを決心し、努力した様などを知っていますから、ずっと応援していたんです。歌舞伎やドラマを問わず、香川さんの活躍を心から喜び、アドバイスを惜しまなかったそうです」
喜熨斗さんの自宅を訪ねると
そんな喜熨斗さんは2022年6月に逝去。本人の自宅を訪ねると留守を預かっているという女性が、
「亡くなったのは事実ですが、お話しすることはありません」
と、答えるのみ。別居していた喜熨斗さんの妻にも話を聞いたが、
「人づてに亡くなったと聞きましたが、私とはもう関係ありません」
と言うだけだった。香川にも喜熨斗さんへのお悔やみの言葉を聞こうと所属事務所に問い合わせたが期日までに返答はなかった。
「香川さんにとって喜熨斗さんは、幼いころから気にかけてもらっている恩人ともいえる存在。苦難続きの澤瀉屋には、喜熨斗さんの応援が必要でしょうが、今はもうかないません」
香川を支えてきた人が、ひとりまたひとりと去っていく。