日本をはじめ、極東にある多くのインターナショナルスクールが集ったバスケットボール大会に出場。多忙な中、娘のクリスタル・ケイは課外活動も手を抜かずに頑張りました

 在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。13歳でクリスタルがメジャーデビュー。娘の仕事は順調で、学校と仕事の両立に追われる日々が続いていた。

女子大生って花だよ!人生の頂点だよ

「『私、大学出ていますから』。これが娘の定番ギャグ。私に何かわからないことがあると娘が言い、私が「すみません、私、高校中退なんで!」と言っては笑い合っています。大学進学をすすめると、娘は当初『絶対に嫌!』と言っていました。

 中学でデビューして以来、朝は5時起きで学校に行き、放課後は部活に励み、仕事に駆けつけ、深夜まで宿題をして─と、毎日それはハードな日々を送っていた。もういいかげんこの生活は終わりにしたい、と娘が思うのもわかります。心配してしまうこともありましたが、やはり乗り越えてもらいたかった。だから私は、

『女子大生って花だよ! 人生の頂点だよ、毎週パーティーだよ、勉強なんてしなくていいから行きなよ!』

 と説得を続けると、娘も次第にその気になってきたようです。アメリカンスクールには年に2回共通テストがあって、高校2年と3年で計4回受けられます。そのうち1回でもその合格基準に達すれば希望の大学に行けるシステムになっていて、娘もそれを受けることにした。結果、上智大学に合格。高校も無事卒業し、晴れて娘は女子大生となりました」

娘の曲がヒットし順調な中週刊誌で“ホスト通い”と記事に

 シンシア自身、高校を中退し、大学に憧れがあった。何より大学に行き、世の中を知ることが将来、娘の役に立つと考えた。

基地で暮らす人たちはミリタリーファミリーといわれ、強い絆で結ばれています。

 生活も人間関係もすべて基地内で完結していて、守られている感がある。娘も物心ついたころから彼らの一員として基地で暮らし、アメリカの国旗に向かい胸に手を当てながら育ってきました。離婚後も娘は基地のアメリカンスクールに通ってはいたけれど、それはある意味、夫の厚意でもありました。

 だから高校を卒業したとき、もうミリタリーファミリーではないんだ、民間人なんだと自覚してほしかった。大学で世界が広がり、友達も大勢できたようです。もともと娘は友達の多い子で、それはもう尋常ではないくらい。友達とクラブに踊りに行き、帰りにわが家に集まることもよくありました。

 慌てたのは二十歳の誕生日のときで、友達を11人引き連れて帰ってきた。みんなにラーメンを食べさせ、ありったけの布団を敷いて、なんとか全員寝られたなと思ったら、私の寝る場所がありません。結局その日は友達の家に泊まりに行きました」

 娘は大学生活を謳歌し、仕事もまた順調だった。『恋におちたら』のヒットを機にメジャー路線を進む。

この時代は音楽番組も多く、クリスタルはクリスマスも正月もない状態でした。商業ベースになって一躍注目され、寝る暇もなく、時には逃げ出したいと思うこともあったでしょう。だけど一切弱音を吐かなかった。

 昔も今も娘の弱音を聞いたことはありません。その頑張りは本当に素晴らしいものでした。そんななか《クリスタル・ケイの母親がホストクラブ通い!》と女性週刊誌にスクープされた。こんなことがネタになるのかと驚き、クリスタルに申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。

 けれど記事は事実と違い、決してホストクラブに通い詰めていたわけではありません。ホストは私の再婚相手の男性でした」(次回に続く)

<取材・文/小野寺悦子>

 

ディズニーランドで全国の高校生が集まりマーチングする企画がありました。娘は勉強以外に、バスケや鼓笛隊なども一生懸命でした

 

男と不倫していたころですが、クリとは変わらず仲良く、よく2人でおそろいの服を着ていました。デニムの形も当時の流行を感じさせますね

 

娘が中学生のころ、知り合いのお茶の会に参加させてもらったとき。私たちが着物を着ることなんてなかったのでとても新鮮でした

 

私は30歳くらいで、歌手活動をしていました。2枚目のシングルを出したころ。娘は10歳くらいで、まだあどけなさがありますね

 

7月に母と客船クルーズで旅をして、その途中で沖縄に。6時間ほどしか滞在しませんでしたが、海に入ったり、ソーキそばを食べたり楽しみました

 

7月中旬、母と2人でクルーズ船に乗り旅行へ出かけました。沖縄、台湾などを周遊し、夏らしくリラックスした旅ができました

 

7月8日、クリスタルはLAで開催されたドジャースvsエンゼルス戦で国歌独唱を務めた(c)Los Angeles Dodgers

 

横浜のバーで歌っていたころのシンシア。娘のクリスタルには歌を教えたことはないというが、気づけばその遺伝子を継いでいたよう

 

幼少のころから才能を感じさせていた娘のクリスタル・ケイ。家には楽器などもあり音楽には慣れ親しんでいた

 

ニュージャージーで結婚式に参列したときの写真。娘のクリスタルはいつも男の子っぽい服装を好んだけど、珍しく女の子らしい服

 

アメリカのドラマに登場しそうな広い芝生の庭に大きな家。写真に写っているのは娘のクリスタル・ケイと、愛犬のデューク

 

クリスタル・ケイが1歳のときに引っ越してきたという住宅地区は、根岸にあるアメリカ海軍の専用地

 

20歳ごろのシンシア。トニーがドライブデートの際に撮った写真。ファーに白のパンツやブーツという格好が懐かしく時代を物語る

 

横浜で歌っていたころのシンシア。『マジック』や『BarBarBar』などは業界関係者がよく出入りして、デビューの足がかりの場になっていた

 

ついに待望の女児を出産。3980gで「とにかく大きな子だった」というシンシア。健康に生まれてきてくれたことにホッとする

 

20歳くらいにフィルと付き合っていたころのシンシア。横須賀にあったバーガーショップ『アンディーズバーガー』で働いていた