「私はヤバい女じゃない」という発言自体が、ヤバい人間だという証明になっていることに、早く本人に気付いてもらいたい。
元・モーニング娘。(以下、モー娘。)の加護亜依(35)が、10月11日に自身のSNS「Threads(スレッズ)」に投稿した発言が物議を醸している。
《私の事を何も知らない人達に私の人間性を語られても、全く当てはまってないと言いたい》
《きっと私のイメージは、とにかくヤバい女なのだろう。違う、私はヤバい女じゃない。どちらかというと、めちゃくちゃ男前な性格なのだ!》
《そして純粋でまっすぐな天真爛漫なのだ!(キリっ)》
世間からのイメージに反論した形だが、彼女が起こしてきた数々の騒動を振り返って、冷ややかな視線を浴びせる人は少なくないだろう。
加護亜依が起こしてきたスキャンダル史
加護といえば、今年8月に韓国のカジノ付き高級ホテルで、暴力団幹部の男性と行動を共にしていたと写真週刊誌『FLASH』が報じたのは記憶に新しいところ。報道では、男性とは旅行前からの知り合いで旅費を出してもらっていたと記されていたが、加護は現地で初めて知り合った人物で旅費は自分で払ったと否定していた。
だが彼女が起こしたスキャンダルは枚挙に暇がない。
2000年、わずか12歳のときにモー娘。でデビュー。しばらくは人気絶頂で順風満帆だったが、未成年だった2006年と2007年、二度に渡る喫煙報道が出てしまい、事務所を解雇される。
2009年には共演者だった年上俳優と不倫スキャンダル。2011年には交際相手だった経営者が逮捕され、加護は薬物を大量摂取し緊急搬送されるという事件も。しかし、その年の年末に逮捕された経営者と結婚している。
2012年には第一子を出産するも、2015年には夫から暴行を受けたと警察に被害届を提出しており、その後に離婚。
2016年には現在の夫と再婚。2017年には第二子を出産しており、今度こそ平穏で幸せな家庭を築いているかと思いきや、今年になって前述の暴力団幹部との旅行疑惑が飛び出したというわけだ。
今振り返ると最初の未成年喫煙騒動なんてかわいらしいもので、その後は男性絡みの騒動で何度も世間を騒がせてきたことがわかるだろう。
堂々と否定しているのがヤバい人間の証明
こうして加護の起こしてきた騒動を振り返ると、「私はヤバい女じゃない」といった一連のSNSの発言に、呆れてしまう人が多いのも頷けるのではないだろうか。
さて、筆者はカウンセラーとして、LINE公式サービスにて年間1000件ほどの恋愛相談・人生相談を受けているが、はたから見て「ヤバい」と思う言動をしている人間は、自覚がないというケースが非常に多い。
そもそも「ヤバい」行為をきちんと「ヤバい」と認識できていれば、たいていはストッパーがかかって「ヤバい」ことはしないもの。ガチでヤバい人ほど自分のことを常識人で正常だと思い込んでおり、だからこそ平気でヤバい行動ができてしまうという構造である。
つい不安になって、「もしかして自分はヤバい人間なんじゃないか?」と自問自答できるなら、その人はたぶん、そんなにヤバくない。
逆に加護のように、「私はヤバい女じゃない」と堂々と否定できてしまうことこそが、ヤバい人間の証明になってしまっているのだ。
実は、言葉にはたいして“意味”がない
また、こういう場合、往々にして言葉にはたいして“意味”がない。
女性からの恋愛相談を受けていると、相手男性がカネ目当ての結婚詐欺師やカラダ目当てのナンパ師だったというケースも珍しくない。だが、そういった下心のあるクズ男ほど、「好きだよ」「愛してるよ」といった甘い言葉で女性を惑わせるのである。
結婚詐欺師やナンパ師の「愛してる」に意味がないということは、誰しもがわかるはず。
今回の加護の“私はヤバい女じゃない。私はまともです。信じてください”という趣旨の発信は、結婚詐欺師がもう全ての策略が暴かれた後に、悪あがきで言う「俺は詐欺師じゃない。君を愛してる。信じてくれ」という発言に似ている気がしてならない。
厳密に言うと、言葉だけの場合は意味がないということ。きちんと愛情をともなう誠意や責任意識を感じられる行動があったうえでの「愛してる」は、とても意味が大きくなる。その言葉に意味を持たせたいのであれば、きちんと行動で示さなくてはいけないということだ。
つまり、加護が本当に「ヤバい女じゃない」ということを信じてもらいたいのであれば、言葉だけを発信するのではなくて行動で示していかないといけなかった。けれど、残念ながら彼女は行動がついてきていないので、説得力が皆無なのである。
「ヤバい女」のイメージが固まるのは当然
だから、8月以降の彼女の騒動や発言は、非常にもったいないなとも感じる。
2016年の再婚以降は目立った騒動を起こしておらず、ようやく平穏な幸せを手に入れたのだというイメージが少しずつ浸透してきた時期だったからだ。2016年以降、長い年月をかけて地道に行動で示してきており、「昔はヤバかったけど常識ある大人になったんだな」と世間が認め始めていた頃合いだっただけに、とても残念。
ちなみに、「私の事を何も知らない人達に私の人間性を語られても」という彼女の言葉は、一理あるとは思う。
確かに大衆は、実際には一度も会ったことのない「加護亜依」という人物をあれこれと語っているわけで、数々の報道をベースにしているとしても憶測の域を出ないのは否めない。
そのため、実際に加護亜依がヤバい人物なのかかどうかは、深くかかわったことのある周囲の人間にしか、本当のところは判断できないことだろう。
ただ、加護本人と深くかかわることはできない大衆が、これまでのスキャンダルをもとにして彼女の内面を想像してイメージを固めていくのは仕方のないこと。要するに、彼女が実際にヤバいかは置いておくとしても、「ヤバい女」というパブリックイメージが形成されるだけのことを本人がしてきたのは事実ということだ。
いずれにしても、ヤバいかどうかは本人が決めるものではなく、周囲にいる人物が決めること。本人の自己申告ではなく他者が評価するものだということを、加護は早く気づいてほしい。