ソジュンとの結婚式は韓国で盛大に行いました。家族以外にも多くの友人知人が韓国での式に参加してくれました。このときは本当に幸せでしたとクリスタル・ケイの母、シンシア

 在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。クリスタルの13枚目のシングル『恋におちたら』が大ヒット。そんな中、《クリスタル・ケイの母がホスト通い!》とスクープされる。

再婚相手はホストクラブで出会った韓国人男性

再婚相手はリ・ソジュン。ホストクラブで出会った韓国人男性です。でも結婚生活なんてほとんどない。彼はビザが欲しかっただけでした。

 幼なじみのケンとの別れが傷となり、引きずっていたころでした。ケンと別れてから数年後、大手術をしています。20代のときステージから落ちて腰を打ち、すべり症になっていた。そこにケンから蹴りを入れられたことで、徐々に悪化していたようです。あるとき失禁をして病院に診てもらったら、即手術と言われました。

 失禁が手術の目安だといいます。左脚には麻痺が出て、かなり差し迫った状態でした。手術は相当大がかりなもので、腰にボルトを入れています。手術は成功したものの、痛みは続き、心身共にボロボロになっていた。そんなとき優しくしてくれたのがソジュンでした

 ある夜、気分転換にと友人に誘われ、韓国ホストクラブに繰り出した。韓流ブームの走りのころだった。

席についたとたん『僕があなたの担当です』と言われ、ぎゅっと手を握られた。その日のうちに食事に誘われ、すぐ付き合いが始まりました

14歳年下の韓国人男性と再婚し幸せな日々も

「ソジュンは韓国生まれで、まだ日本に来てそんなに日はたっていなかったようです。韓国ではDJをしていて、『今、日本に行けば稼げる』と仲間に誘われて来たそうです。彼はとにかく優しかった。靴まで履かせてくれたりと、まるでお姫様のように扱ってくれた。そんなことは初めての経験で、ついホロッとなってしまった。

 当時私はシンガーとして表舞台から退き、娘のバックアップに徹するよう努めていたころでした。自分を押し殺す日々が続いていた。新しい男と一緒になれば、人生やり直せるかもしれないと考えた。私は男に逃げたんです」

 付き合い始めて間もなく入籍。シンシア42歳、彼は14歳年下の28歳だった。

「『僕はビザがない。籍を入れなければ日本にいられない』とソジュンに言われ、早々に入籍を決めました。クリスタルと3人で、横浜の私の家で暮らしを始めます。クリスタルに『彼はこんな仕事だけど、これからまじめに働くと言っているから』と伝えると、『わかった。幸せにしてやってね』と彼に言ってくれました。

 最初は本当に幸せでした。彼はホストクラブを辞めて、家で料理や掃除をしてくれたりと、とことん尽くしてくれた。けれど入籍の3か月後、事件が起きた。

 突然ソジュンが韓国へ送り返されてしまった。彼は『入籍すればビザが手に入る』と言っていた。だけどそうはならなかったようです」

 ソジュンは韓国へ帰ったが、入籍は済み、婚姻関係は成り立っている。韓国と日本の遠距離婚が始まる。

入籍したのだからしょうがない、このまま頑張って結婚生活を続けよう、と腹をくくりました。韓国と日本を行き来する二拠点生活の始まりです。彼は韓国で仕事を探していると言っていた。仕事が見つかるまでということで、私が月々の仕送りをしてソジュンの生活を支えていました。しかし、いつまでたっても彼が働く気配はありません。そのうち嘘が見え隠れしてきました」(次回に続く)

<取材・文/小野寺悦子>

 

ディズニーランドで全国の高校生が集まりマーチングする企画がありました。娘は勉強以外に、バスケや鼓笛隊なども一生懸命でした

 

男と不倫していたころですが、クリとは変わらず仲良く、よく2人でおそろいの服を着ていました。デニムの形も当時の流行を感じさせますね

 

娘が中学生のころ、知り合いのお茶の会に参加させてもらったとき。私たちが着物を着ることなんてなかったのでとても新鮮でした

 

私は30歳くらいで、歌手活動をしていました。2枚目のシングルを出したころ。娘は10歳くらいで、まだあどけなさがありますね

 

7月に母と客船クルーズで旅をして、その途中で沖縄に。6時間ほどしか滞在しませんでしたが、海に入ったり、ソーキそばを食べたり楽しみました

 

7月中旬、母と2人でクルーズ船に乗り旅行へ出かけました。沖縄、台湾などを周遊し、夏らしくリラックスした旅ができました

 

7月8日、クリスタルはLAで開催されたドジャースvsエンゼルス戦で国歌独唱を務めた(c)Los Angeles Dodgers

 

横浜のバーで歌っていたころのシンシア。娘のクリスタルには歌を教えたことはないというが、気づけばその遺伝子を継いでいたよう

 

幼少のころから才能を感じさせていた娘のクリスタル・ケイ。家には楽器などもあり音楽には慣れ親しんでいた

 

ニュージャージーで結婚式に参列したときの写真。娘のクリスタルはいつも男の子っぽい服装を好んだけど、珍しく女の子らしい服

 

アメリカのドラマに登場しそうな広い芝生の庭に大きな家。写真に写っているのは娘のクリスタル・ケイと、愛犬のデューク

 

クリスタル・ケイが1歳のときに引っ越してきたという住宅地区は、根岸にあるアメリカ海軍の専用地

 

20歳ごろのシンシア。トニーがドライブデートの際に撮った写真。ファーに白のパンツやブーツという格好が懐かしく時代を物語る

 

横浜で歌っていたころのシンシア。『マジック』や『BarBarBar』などは業界関係者がよく出入りして、デビューの足がかりの場になっていた

 

ついに待望の女児を出産。3980gで「とにかく大きな子だった」というシンシア。健康に生まれてきてくれたことにホッとする

 

20歳くらいにフィルと付き合っていたころのシンシア。横須賀にあったバーガーショップ『アンディーズバーガー』で働いていた