財津一郎さんが10月14日、慢性心不全のため亡くなった。89歳だった。
「当初、ミュージカルの舞台に立ち歌手としての活動をしていた財津さんは、'62年に吉本新喜劇に加入してコメディアンに転身。'65年からは、コメディー番組『てなもんや三度笠』に出演。番組では“ヒジョーにキビシーッ!”や“助けてチョーダイ!”などのセリフで人気者に。俳優としても活躍していました」(芸能リポーター)
そんな財津さんを強烈に印象づけたのが、
「ピアノ売ってちょうだ~い」と歌った『タケモトピアノ』のテレビCMだった。
契約終了になった経緯
ピアノの買い取りなどを行う同社は、財津さんを起用したCMを23年間にわたって放映していた。同社の竹本功一会長は、こう話す。
「今年の9月で、財津さんとの契約を終了していました。本当は7月に終了の予定だったんですが、いろいろな思い出が詰まっているこのCMを、私はどうしても残したくて……。なんとか継続する方法はないかと、社内で反対されながら、私ひとりジタバタして9月まで延長していたんです。ですが、社員から“会長、ダメですよ”と言われてしまって……」
同社は、財津さんのCMと、共に歩んできた。
イメージの刷新を図るため、新CMを放映したら、
「子どもが喜んでいるCMを何でやめるんですか」
と、視聴者から抗議の電話を受けた。赤ちゃんが泣きやむCMとして、テレビ番組に取り上げられると、
「何時何分にCMが放送されるか教えてください」
そんな問い合わせが殺到したことも。
「そのたびに契約延長を決めてきました。しかし、20年以上という時間が過ぎ、CMのターゲット層も変わってきました。そこでいろいろ見直そうと、契約終了となりました。だから心残りで……。財津さんには、本当にありがとうございましたという気持ちばかりです」(竹本会長)
「母を支えることが、父の活力でした」
財津さんは体調不良のため、'11年のドラマ出演を最後に、仕事のオファーを断っていた。その後、転倒して骨折した妻ミドリさんの介護をしていたが、彼女は'20年に他界する。財津さんのひとり息子は、
「母を支えることが、父の活力でした」
と週刊女性に明かした。財津さんは自分を支え続けたミドリさんへの感謝の思いがある。
財津さんが売れる前のこと。一家はすきま風が吹き、畳の腐った寺の納屋で生活していたことが。ミドリさんは実家から持参した着物をお金に換えて生活を支えた。だからこそ恩返しをしたかった。が、もうできなくなった……。そして財津さんの息子はこんなエピソードも語った。
「母が亡くなってから、ゴルフには必ず母のドライバーを持っていくんです。体格が違うので、クラブのサイズも合わないのですが、ここぞという場面では“ここはママのでいくよ”と使っていました」
財津さんは、孫で俳優の財津優太郎のことも気にかけていた。しかし、優太郎が出演する連ドラの初回放送の前日、静かに息を引き取った。
「もう大丈夫だ」
そんな思いが、財津さんをミドリさんのもとへ向かわせたのかも。天国でも夫婦仲よくしてチョーダイ!