2004年、連続ドラマ小説『天花』撮影時の財津一郎さん。写真は2003年12月に撮影

 

 財津一郎さんが10月14日、慢性心不全のため亡くなった。89歳だった。

「当初、ミュージカルの舞台に立ち歌手としての活動をしていた財津さんは、'62年に吉本新喜劇に加入してコメディアンに転身。'65年からは、コメディー番組『てなもんや三度笠』に出演。番組では“ヒジョーにキビシーッ!”や“助けてチョーダイ!”などのセリフで人気者に。俳優としても活躍していました」(芸能リポーター)

 そんな財津さんを強烈に印象づけたのが、

「ピアノ売ってちょうだ~い」と歌った『タケモトピアノ』のテレビCMだった。

契約終了になった経緯

 ピアノの買い取りなどを行う同社は、財津さんを起用したCMを23年間にわたって放映していた。同社の竹本功一会長は、こう話す。

今年の9月で、財津さんとの契約を終了していました。本当は7月に終了の予定だったんですが、いろいろな思い出が詰まっているこのCMを、私はどうしても残したくて……。なんとか継続する方法はないかと、社内で反対されながら、私ひとりジタバタして9月まで延長していたんです。ですが、社員から“会長、ダメですよ”と言われてしまって……

『タケモトピアノ』CM撮影時は、まだ60代だった財津一郎さん

 同社は、財津さんのCMと、共に歩んできた。

 イメージの刷新を図るため、新CMを放映したら、

「子どもが喜んでいるCMを何でやめるんですか」

 と、視聴者から抗議の電話を受けた。赤ちゃんが泣きやむCMとして、テレビ番組に取り上げられると、

「何時何分にCMが放送されるか教えてください」

 そんな問い合わせが殺到したことも。

そのたびに契約延長を決めてきました。しかし、20年以上という時間が過ぎ、CMのターゲット層も変わってきました。そこでいろいろ見直そうと、契約終了となりました。だから心残りで……。財津さんには、本当にありがとうございましたという気持ちばかりです」(竹本会長)

「母を支えることが、父の活力でした」

 財津さんは体調不良のため、'11年のドラマ出演を最後に、仕事のオファーを断っていた。その後、転倒して骨折した妻ミドリさんの介護をしていたが、彼女は'20年に他界する。財津さんのひとり息子は、

「母を支えることが、父の活力でした」

 と週刊女性に明かした。財津さんは自分を支え続けたミドリさんへの感謝の思いがある。

 財津さんが売れる前のこと。一家はすきま風が吹き、畳の腐った寺の納屋で生活していたことが。ミドリさんは実家から持参した着物をお金に換えて生活を支えた。だからこそ恩返しをしたかった。が、もうできなくなった……。そして財津さんの息子はこんなエピソードも語った。

母が亡くなってから、ゴルフには必ず母のドライバーを持っていくんです。体格が違うので、クラブのサイズも合わないのですが、ここぞという場面では“ここはママのでいくよ”と使っていました

 財津さんは、孫で俳優の財津優太郎のことも気にかけていた。しかし、優太郎が出演する連ドラの初回放送の前日、静かに息を引き取った。

「もう大丈夫だ」

 そんな思いが、財津さんをミドリさんのもとへ向かわせたのかも。天国でも夫婦仲よくしてチョーダイ!

TBS『日曜劇場 下剋上球児』に出演する、財津一郎の孫・財津優太郎

 

2003年12月26日、NHK連続ドラマ小説『天花』ロケで主演女優の誕生日を祝う、出演者たち。左から財津一郎さん、紗栄子、藤澤恵麻、香川照之

 

2004年、連続ドラマ小説『天花』撮影時の財津一郎さん。写真は2003年12月に撮影

 

「ピアノ売ってちょうだ~い」のフレーズでおなじみ『タケモトピアノ』のテレビCM。20年以上にわたって財津一郎さんが出演する映像が使われている

 

財津一郎さんが出演する『タケモトピアノ』のテレビCMは、赤ちゃんがピタリと泣き止むCMとして話題になったことも

 

『タケモトピアノ』CM撮影時は、まだ60代だった財津一郎さん