戦場カメラマン・渡部陽一 撮影/山田智絵

 思わず笑ってしまうほどのスローな口調と、優しい笑顔が印象的な戦場カメラマン・渡部陽一。

今年の8月にもウクライナへ

 バラエティー番組では「戦場」とはかけ離れたユーモラスな姿を見せるが、実際は紛争地域での取材歴、30年以上。これまでシリア、コロンビア、ルワンダ、パレスチナ、イラク、アフガニスタンなど世界中の戦地を飛び回ってきた。

 まさに今、戦禍にあるウクライナにも、2022年2月の開戦以来、幾度となく渡航を繰り返す。

「戦争前からすでに、私はウクライナの虜(とりこ)になっていたんです」と語るように、ウクライナには特別な思い入れがある。

 戦争が長期化し、遠く離れた日本で関心が薄れゆくなか、報道では見えてこないウクライナの“今”や、戦地への思いを語ってくれた。

「昨年の2月24日にロシアによるウクライナ侵攻が起こったあと、5月に現地入りしました。その当時は完全に戦時下状態。首都キーウは閉鎖され、周辺のイルピンやブチャにはロシア軍による残虐なジェノサイド(集団殺戮・さつりく)の爪痕が残っていました」(渡部、以下同)

 開戦からこれまで、日本とウクライナを何度も往復。直近では、今年の8月にもウクライナ入りした。

「この1年半で、街の様子もずいぶん変わってきました。最悪だったイルピン、ブチャの街が片づけられ、何より、避難していた住民らが故郷に戻ってきました。支援物資を届けるルートが構築され、教育、医療の水準も少しずつ戻りつつあります

 そもそも、なぜこんなにもロシア・ウクライナ戦争は長期化しているのか。まずは簡単におさらいしておきたい。

 開戦のきっかけは、ロシアによる一方的なウクライナへの攻撃だった。その圧倒的兵力から「首都キーウは3日で制圧される」と、短期決戦が見込まれていた。しかし予想に反するウクライナの猛反撃により、キーウの制圧には至らず。

 その後は、アメリカ、イギリスを中心に、多数の西側諸国が次々とウクライナに軍事支援を表明。最新兵器が続々と供与される一方で、ロシアはソ連時代の古い兵器頼み。おまけに兵員不足も相まって、今では苦戦を強いられている。

 とはいえ、ウクライナの反転攻勢もロシアの防衛により停滞が続いており、1年半が過ぎた今も争いの終わりは見えない。

「ロシア軍はこの夏に、キーウの電力施設やガス供給施設などを集中的に破壊しました。これから厳しい冬を迎えるにあたり、ウクライナの国民が暖房などライフラインの供給不足に苦しめられるおそれがあります」

鹵獲されキーウに搬送されたロシア軍の戦車に乗るウクライナ青年 撮影/渡部陽一

ロシア人も受け入れる寛容性の国ウクライナ

 今回の戦争の要因のひとつが、2014年のロシアによるクリミア併合だ。国際的にもウクライナの領土とされていたクリミア半島が不可解な独立宣言をし、結果的にロシアの領土に加わることになった。

「このころから、僕は何度もウクライナで取材を重ねてきました。現地の人たちと深くふれ合うにつれ、その国民性や暮らしそのものに引き込まれ、いつの間にか僕はウクライナが大好きになっていたんです」

 ウクライナには、キーウの聖ソフィア大聖堂やリビウの歴史地区など複数の世界遺産がある。花であふれ、オペラやアートが生活に溶け込む美しい国だ。戦争前は、観光客はもちろん留学生も多くいた。

「ウクライナ人には、他所から来る大勢の人を受け入れる寛容性があります。たとえ他宗教、他民族の人であっても、極端にいえばロシア人ですらも、やわらかく迎え入れる。国際結婚も多くて、すごくオープンマインドなんです」

 キーウへの取材のため、ポーランドの国境から夜行列車に乗り込んだことがあった。車内には、避難先のポーランドから祖国へ帰るウクライナ人らも大勢いたという。

キーウ中心駅で家族を迎える父親 撮影/渡部陽一

「日本人の僕のことも、ごく自然に受け入れてくれるんです。およそ16時間の道中、この戦争についてどう思うか、なぜ祖国に戻るのか、一晩中語り合いました。取材というより、まるで僕もみんなと一緒に祖国に戻るような感覚でした」

 キーウ駅に到着すると、多くのウクライナ人男性が花束を持って待っていた。避難先から帰国した妻や子どもを出迎え、家族で抱き合って泣く姿をカメラに収めた。

戦時下で危険だとしても、祖国に戻りたいと考えている人がとても多いんです。それはウクライナ人にとって、みんなと一緒にいることが何よりも大切だから。

 家族はもちろん、友人、親戚、地域の人たちがいつも一緒にいます。誰か困っていたらすぐトラックで駆けつけ、自家発電で電気を起こし、助け合うんです。

 当初、ロシアに比べてウクライナは圧倒的に軍事的兵力が劣っていました。にもかかわらず長期戦を耐え抜くことができたのは、国民が持つ、支え合いの精神が底力になっているからではないかと感じます」

公園で散歩、家族団欒そんな日常にある戦争

 ウクライナを撮影した渡部の写真からは、リアルな現状が伝わってくる。攻撃され、めちゃくちゃに破壊された家や商店。道ばたに放置され残骸と化す戦車。

 だが中には、戦時下とは思えないような都会的なショッピングモールや、のどかなひまわり畑の写真もある。

「どうしても、激しい戦闘の写真や映像が求められがちです。だけど戦場には、残虐性だけではなく、日本と変わらない日常もあります。学校に行ったり、恋人とデートしたり、公園でペットと散歩したり、家族との温かな時間があります。

 でも、みんなで食事をしているときに突然停電になったり、ミサイル警報が出されたりもします。そんな戦場の暮らしを、写真を通じて日本の人たち、特に若い世代に知ってほしいんです」

 ウクライナは親日国としても知られる。戦争前は、日本の回転寿司をまねて作った店や、ラーメンバーガーなる奇妙なハンバーガーをおいしそうに食べるウクライナ人の姿があった。浮世絵が飾られたユーモアたっぷりのそれらの店も、今はもうない。

戦地から帰国するたび、日本は奇跡の国だと改めて思います。食べ物があるだけではなく、何を食べるかを選ぶことができる。ほとんどの子どもが学校に通える。ほとんどの大人が、何か仕事がしたいと思えばできる国です。

 戦時下で、幸せとは何かを尋ねると多くの人々が“やりたいと思うことをやれること”と答えます。その幸せの条件が整えられている国が、日本なんです」

 もちろん日本でも、広がり続ける格差など問題は山積みだ。

「実際に世界を見てみると、イギリスやフランスの格差はもっとひどい。アメリカやインドはさらにひどい。中国やロシアはもはや別世界です。決して壊すことのできない階級社会があり、その構造を変えようとする行為は、自分自身や家族の死をも意味します。

 日本の安定性はまさに奇跡ですが、世界からするととてもクローズドな国という一面もある。日本で暮らす外国の方々は大変だと思います」

 今月初めには、イスラム組織『ハマス』が突然イスラエルを攻撃。連日多くの死者を出しており、アメリカのトランプ前大統領は「第三次世界大戦の脅威が迫っている」と発言した。遠く離れた国の戦争は、もう人ごとではない。

僕は戦場の人たちから、家族の時間が何よりの幸せだと教えてもらいました。日本で、平和のために僕たちができる第一歩は、優しい日々を大切にすること、家族を愛することだと信じています」

 戦場の日々を写し取った一枚の写真から何を感じるか。家族や周りの人とともに話し合い、現地の人に心を寄せるだけでも、きっと未来は変わる。

バラエティーで見せる柔和な表情のまま、戦場で見た光景や感じたことを熱く語る戦場カメラマン・渡部陽一 撮影/山田智絵
『晴れ、そしてミサイル』戦場となったウクライナを通して「戦場は日常でできている」と、ニュースやSNSでは知ることができない姿を渡部が伝える最新著書。(ディスカヴァー・トゥエンティワンより電子版、書籍ともに発売中)※画像をクリックするとAmazonの商品ページにジャンプします。
『晴れ、そしてミサイル』
戦場となったウクライナを通して「戦場は日常でできている」と、ニュースやSNSでは知ることができない姿を渡部が伝える最新著書。(ディスカヴァー・トゥエンティワンより電子版、書籍ともに発売中)

取材・文/植木淳子

 

鹵獲されキーウに搬送されたロシア軍の戦車に乗るウクライナ青年 撮影/渡部陽一

 

キーウ中心駅で家族を迎える父親 撮影/渡部陽一

 

バラエティーで見せる柔和な表情のまま、戦場で見た光景や感じたことを熱く語る戦場カメラマン・渡部陽一 撮影/山田智絵

 

戦場カメラマン・渡部陽一 撮影/山田智絵

 

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