関口宏

 関口宏がかつて俳優だったことを覚えている人はどれくらいいるだろう。

 今から60年前、ドラマでデビュー。映画全盛期の二枚目俳優として知られる父・佐野周二さんと共演した。

 が、3年後には司会業に進出。1979年スタートの『クイズ100人に聞きました』(TBS系)で独自のスタイルを確立し、'80年代半ばからは司会が本業になった。

 36年続いている『サンデーモーニング』(TBS系)をはじめ『わくわく動物ランド』『東京フレンドパーク2』(ともにTBS系)『知ってるつもり?!』『どっちの料理ショー』(ともに日本テレビ系)といった数々の番組をヒットさせ、名司会者として君臨してきた。

やりとりが噛み合わず

 そんな関口が地上波のテレビから消える。10月22日の『サンモニ』で、

「来年の3月いっぱいで世代交代することにいたしました。引退するわけではございません(笑)」

 と、報告。その後のレギュラー番組はBSだけになるようだ。

 別の場では「まだまだ自分は元気」とも語っているが、さすがに80歳ともなると衰えは隠せない。共演者との噛み合わないやりとりや単純な言い間違いも目立ち、最近は口数自体が減っていた。

 とはいえ、衰えていない才能もある。ウェブサイトでは「テレビ屋」という肩書でコラムを執筆中。作詞家としての実績も持つ人だけあって、これがなかなか味わい深い。

『サンモニ』と個人事務所の関係

「巨泉氏へのご報告」と題した回では、今は亡き大橋巨泉さんに語りかけるスタイルでコロナ禍やウクライナの戦争を嘆いたり。また「テレビ70年」と題した回では、こんな思いも吐露している。

《放送開始から70年。テレビビジネスが軌道に乗ったのが放送開始から10年目あたりだとして、テレビ離れ現象が起こり始めたのが10年以上前のことになりますから、こんなに華やかで、メディアのトップランナーと自他共に認められたテレビの全盛期は、50年もなかったのかと、考えさせられてしまいました

 全盛期が50年近くも続けば十分だし、自らの働き盛りとそれが一致した彼は幸せ者だと思うが、その「華やか」なテレビのど真ん中にいたからこそ、寂しさもひとしおなのだろう。

 

 そういう意味で、今回の『サンモニ』勇退発表は象徴的な出来事だ。テレビというメディアの斜陽化は、彼が師のように慕っていた巨泉さんのセミリタイアも暗示していたし、いつかは訪れる黒柳徹子の退場によって大きな区切りがつきそうだが、その中間に位置づけられるものかもしれない。

 なお、一人息子の関口知宏も俳優としてデビュー。その後、旅番組のリポーターとして活躍したものの、ここ数年はほとんど見かけなくなった。父が会長を務める事務所「三桂」からも離れたようだ。

 ちなみに、関口の個人事務所として出発した「三桂」は『サンモニ』が始まって以降、その出演者の所属先として機能するようになった。かつては高木希世子、斎藤英津子、浅井慎平、3月までサブキャスターだった橋谷能理子といった人たちが所属していたし、現役出演者の唐橋ユミ、中西哲生らが今も所属中だ。

 が『サンモニ』の司会を引き継ぐ膳場貴子は「三桂」の所属ではない。番組の最後に「協力」としてクレジットされる「三桂」の名がリニューアル後は消えることも考えられる。

 関口宏という大物が第一線から退くということは、さまざまな人生に影響をもたらすことでもあるわけだ。

ほうせん・かおる アイドル、二次元、流行歌、ダイエットなど、さまざまなジャンルをテーマに執筆。著書に『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)。


『サンデーモーニング』関口宏の言い間違い&珍発言集

 

直撃を受ける張本勲。「喝!」を彷彿とさせる鋭い眼光をみせた(2019年)

 

直撃を受ける張本勲。「喝!」を彷彿とさせる鋭い眼光をみせた(2019年)

 

張本勲(2019年)

 

2022年3月上旬、ゴミを出すため自宅から出てきた張本勲

 

2022年3月上旬、ゴミを出すため自宅から出てきた張本勲。番組についての質問には口を閉ざした

 

『サンモニ』卒業について張本勲に話を聞いてみると……。(2021年)