《私の夫はすい臓がんを患っています。診断を受けたのは最近ではありません。昨年です。(中略)今も、逡巡はあります。だって、普通に暮らせているから》
10月11日、「X」(旧ツイッター)にて、漫画家の倉田真由美さんがこう打ち明け、反響を呼んでいる。
叶井俊太郎が選んだ“残りの時間”の使い方
倉田さんの夫とは、映画宣伝プロデューサーの叶井俊太郎さん。2001年には社会現象ともなった映画『アメリ』(フランス)で興行収入16億円の大ヒットを飛ばしたこともある、映画業界では知らない人がいないという人物だ。
そんな叶井さんが、記者の目の前で飄々と語る。
「去年の6月ごろから顔色が悪いと周囲に言われ始めて、ついには黄疸が出たんです。妻と病院を回って検査をしてもらったら、3か所目の病院で『膵臓がんです。余命は半年もつかどうか』と言われました。同席していた妻は即号泣ですよ。でも俺は、全然実感が湧かないから、泣くどころかぽかんとしていましたね。その当時は大した自覚症状はなかったので」
その後、がんが肥大化し体調の変化が訪れたものの、選択した最新治療と気力の賜物か、宣告された余命のリミットから1年近くがたとうとしている。
彼が自身の“残りの時間”に充てようと決めたのは、のんびりとしたリタイア生活でも、家族との特別な思い出づくりでもなく、“仕事”だった。
その一環として、11月には旧知の文化人たちとの対談集『エンドロール! 末期がんになった叶井俊太郎と、文化人15人の“余命半年”論』(サイゾー刊)を発売する。
「末期がん患者との対談集って、なかなかないでしょ? でも今は医師に年内もつかどうかと言われているので、この本が書店に並ぶころは死んでいるかも(笑)」
確かに、ここまで“末期がん患者らしくない末期がん患者”も珍しい。その境地に至った理由とは? 現在の心境を聞いた──。
抗がん剤の治療はしないと決めた
「まだ毎日、電車で会社に通っています。ここへきてめちゃくちゃ仕事を振られてるんです。俺、末期がん患者なのに(笑)。最近は宣伝プロデュースをしているすべての映画のエンドロールに“叶井俊太郎に捧ぐ”と入れてるんですよ。だから、公開した段階でまだ生きていたら“死ぬ死ぬ詐欺状態”ですよね。ちなみに、関わっている映画の中に来年9月公開というのがあって、それが公開されるころにはさすがに死んでると思うんだけど(笑)」
抗がん剤治療は、選択していない。
「最初の告知のときに、『抗がん剤治療をしてがんを小さくして手術することになるけれども、成功率は20%程度』と言われて、確率低すぎじゃん!て思って。抗がん剤って毛が抜けるし具合もかなり悪くなるっていうじゃないですか。治る確率も低くて動けなくなるなら、動けるところまで動いていたいし。何はともあれ、ハゲるのは嫌ですしね」
「死にたくない!」という、絶望感は一切抱かなかった、という。
「20代からいろんなことをやってきたし、特に我慢をしてきたこともない。この世に全然未練がないので。今回は親しい人たちと対談もできたし、よかったですよ」
叶井さんが映画業界で有名なのは、その破天荒な生きざまも大きな要因だ。
自分の興味の赴くまま、海外から変わった映画を中心に買いつけては宣伝を担当。結果的に大ヒットとなったものの、前述の『アメリ』は内容をまったく勘違いして買いつけた作品だった。一躍脚光を浴びたそのエピソードがもととなり、'03年の月9ドラマ『東京ラブ・シネマ』(フジテレビ系)の主人公のモデルとなったことも(主演は江口洋介)。しかしその後、設立した会社を倒産させ、自己破産も経験。現在は転職先の映画配給レーベルで宣伝プロデューサーの職を続けている。
私生活では3度の結婚・離婚を経て、'09年に倉田さんと4度目の結婚をした。なお、これまで関係を持った女性は600人以上だという。
「10代のころから遊んでいたけれど、社会人になってからは(『アメリ』のヒットで脚光を浴びた)あのころがいちばんブイブイ言わせてましたね。昨年から映画業界では“性被害”という言葉が駆け巡っていますが、俺はすべて“性合意”でしたから。がんを公表してから、SNSのDMにそんな“性合意”をした女性たちから連絡が来るんですよ。『ニュースを見ました。覚えてますか?』って。ごめんなさい、覚えてないんです……」
そんな波瀾万丈の人生にはつきものともいうべき、細かい処理が続いている。
「3番目の元妻との間にいる子どもの、養育費が滞ってしまっていて。調停員さんから『養育費の件で……』と連絡があって、『すみません、今末期がんなんで、もうすぐ死んでしまうんですよ、ごめんなさい』と言ったら先方が絶句していましたね。本当ですからね。仕方がない」
がんが泣いて治るなら泣くけれど
あまりにも達観している叶井さん。ネガティブな感情を探すのが難しいほどだ。
「がんが大きくなってしまって、胃を半分切り取って小腸と直結する手術をしたんですね。だからおかゆみたいなやわらかいものしか食べられない。あと、今はまだ大丈夫なんだけど、もっと末期になると背中に激痛が走るらしいんですよね。そうなるとモルヒネの出番になるみたいなんですけど。痛いのは、嫌ですね。まあ、末期がん患者ですから。他の人よりちょっと早く死ぬだけだから」
とはいえ、倉田さんをはじめ、家族の心情は察するに余りある。
「くらたま(倉田さん)は今回、保険が利かない免疫治療の治療費も出してくれたし、感謝しかないですね。そもそも、借金まみれだった俺と結婚してくれたのがすごいよね。
(作家の)中村うさぎさんの紹介で、初めて会ったときから気が合って、この俺が結婚生活を15年も続けてるんですから。結婚してから浮気したかは『ノーコメント』にしておきますが(笑)。
今は、俺のがんのことでよく泣いているけど、申し訳ないとは思いつつ『泣いて治るなら俺も泣く』って言ってるんですけどね。
でも、娘はドライですよ。今中学2年なんだけど、部活や友達と遊ぶのに忙しいみたいだし。彼氏もいるみたいで楽しそうにしてるしね。まあ、ひきこもられても困っちゃうから、外でハジけていてほしいですね。
この前、新しい洋服が欲しいと言うので渋谷で待ち合わせて、一緒に買い物に行ったんですよ。2軒お店を回ったんだけど、俺もう体力ないから歩いていたら途中で疲れてしまうんですよね。そうしたらそれを察したのか、俺に手を置くようにと、自分の肩をすっと差し出してきてね。なんかそういったところを気遣える子になってよかったな、と思って」
これまでの出来事をすべて生きた証しとして受け入れ、“今”だけを生きる。
「あなたはひとつの人間界の『希望の光』だよね。そう思うよ」
『エンドロール!』の中で、作家の中村うさぎさんは叶井さんをこう評した。
「この世にまったく未練はない」と叶井さんは言う。
でも、その叶井さんに対して“未練を持たない”ということは、残された人たちにとってはなかなかできないことも、事実だ。
『エンドロール! 末期がんになった叶井俊太郎と、文化人15人の“余命半年”論』(サイゾー刊 税込み1650円)鈴木敏夫、奥山和由、岩井志麻子、中村うさぎといった、叶井さんと親しい文化人たちとの対談集。あとがきは妻の倉田真由美さんが執筆している。
(取材・文/木原みぎわ)