ステージIVでがんと闘う三井里美さん(39)。5年前の、2018年のことだった。北海道の学校で教諭をしている里美さんが出勤しようと髪を整えていると、合わせ鏡の中に見覚えのないものを見つけた。左頭頂部のつむじのあたりに、見かけないホクロを発見したのだ。周りには色素がにじみ出たようなシミがあり、どこか禍々しい。
「母に連絡して“こんなところにホクロなんて、小さいときからあったっけ?”と聞くと、“なかったよ”。それで“あれ、おかしいな”と思いました」(里美さん、以下同)
当時は教師として担任をしていた。近くには大きな病院がなく、精密検査を受けようと思えば、片道5時間かけて都市部まで行く必要がある。
「おかしいな、おかしいな、と思いつつも、検査を受けずにいたんです」
この躊躇を、“すぐに行けばよかった”と、のちに深く後悔することとなる。
数か月後、重い腰を上げて札幌の大学病院で精密検査を受けた里美さんは、11月のある日、人生最悪の電話連絡を受け取ることとなった。
「残念ながら悪性です──」
ホクロはメラノーマという皮膚がんで、ステージII。
今に続くがんとの闘いの始まりだった。
一番やんちゃな生徒が里美先生をダンスで応援
すぐに緊急入院となったが、学校側は休職理由を生徒たちには伏せていた。ショックを受けるだろうという配慮だった。
「生徒たちは私が仕事をサボっていると思っていて、生徒のひとりが“なんで来ないんだ!?”と気色ばんで。同僚の先生が“里美先生は今、重大な病気と闘っている最中だから、みんなで応援してあげよう”。それでようやっと理解してくれました」
苦境を知ったくだんの生徒はその後、先生を励まそうと、ダンス動画を撮影して送ってくれたという。その動画を思い出し、目元に光るものを浮かべながら語る。
「クラスで一番やんちゃな子で、赴任してきたばかりのときは、私とよく衝突して指導に悩んだ子でした。そんな子が、“里美先生のために”って……」
生徒たちの願いが天に届いたのか、頭皮を4×6センチも切り取ってがんを切除する手術は無事成功。左わき腹の皮膚を使っての皮膚移植も終えた。
あとは再発を防ぐべく、2年間免疫療法のひとつであるインターフェロンによる治療を続ければいい。自身の免疫システムを活用してがん細胞を攻撃する術後補助療法だ。しかし、がんは彼女を手放さなかった。
「インターフェロン治療を1年半続け、あと半年で終わり。“私たちも子どもを持とう”と夫と相談し始めた2020年6月のことでした。肺と皮膚、肝臓と骨へのがんの転移があり、ステージIVと告げられました。もう手術はできない状態だったんです」
皮膚がんにも良性と悪性があり、大きさと厚みで判断される。
「もう少し早く病院に行くことができていれば、厚みも薄くてステージIで済んでいたかもしれない……」
これこそが、里美さんが早期治療できなかったことを今も悔やみ、人に強く検診と治療をすすめる理由である。
「やりたいと思ったことは全部やる!」
手術によるがん治療が不可能となり、残されているのは化学療法による治療のみ。新薬の分子標的薬での治療は予期しない副作用を引き起こした。以来、副作用を抑える薬も加え、1日20~30錠もの薬の服用が日課となっているのだとか。
教師として現在もバリバリと働ける状況は薬が支えているといっていいが、がんに目覚ましい力を発揮するこの最先端治療は副作用もまた強烈で、皮膚のかゆみや嘔吐感、腸炎などに悩まされる。
「子どもを持ちたいと服用をやめたときもありましたが、あっという間に再発しました。私は生きている限り、薬による治療を続けざるを得ません」
そんながんは、里美さんの人生観を大きくチェンジさせるものともなった。
「ステージIVのがんまで経験すると、明日生きているかわかりません。主治医からは“次の桜(を見るの)は難しい”と言われました。そうした状況に立たされてみると、のちのち“あれもやりたかった、ここにも行きたかった”はイヤだと思ったんです。
やりたいことは先延ばしせず、元気なうちにやろうと思うようになりました」
結婚当時は撮れなかった和装での結婚写真を撮ったのもそのひとつ。
さらにはもっとも欲しかったもの、つまりは子どもを持つことも決めた。現在、念願のわが子を抱くべく、何か方法がないかと探している最中だ。ステージIVで子どもを持つ希望に対してパートナーは同じ目線で寄り添ってくれている。
「いろいろ話をしましたが、“もしも私が死んだらひとりだよ。ひとりで生きていける?”と尋ねました。そしたら(パートナーは)言葉に詰まったんですよね……。“私の代わりにあなたを支えてくれる人がいたらうれしい。私はそれを子どもに託したい”そう言ったら、夫も“オレもそう思う”と言ってくれました」
健康あっての家族と仕事
現在の大きな懸念のひとつが、ドラッグラグの問題だ。
これは、海外ではすでに使われている薬が日本で使えるようになるまでの時間差のことを言う。時間差発生の理由はさまざまだが、皮膚がんの場合、日本では希少がんであることも理由のひとつであるという。患者の数が少ないため、治験を進めたくてもなかなか進められないのだ。
「薬って、効かなくなるときが来るんです。私が今、飲んでいる薬が効かなくなったら、オプジーボやヤーボイという薬での治療に移行することになりますが、もしもそれが効かなかったら打つ手なし。でも、ドラッグラグが解消されれば、選択肢が増えることになるんです」
大病を患った人の例にもれず、健康はなによりも大切と考えるようにもなった。
「私は自分の仕事にかまけていて健康にきちんと向き合うことができなかった。だからみなさんには健康を大切にしてほしい。“迷惑をかけるから仕事を休めない”とはよく聞きますけど、死んだら職場や家族にもっと迷惑をかけるじゃないですか(笑)」
仕事も家族も、当人の健康あってのもの。そして、夫に並ぶ支えとなっているのが生徒たち。
「普段は私のことをまったく病人扱いしません。だから、教室は自分が闘病中だということを忘れさせてくれる唯一の場所なんです」
一方で、入院中にお見舞いに来てくれた卒業生のひと言が心に刺さる。
「“先生、笑っているといいことあるからさ”と。何げないひと言ですが、そのとおりだなあって」
ステージIVと告知され、うつ状態になったこともある。だがどん底まで来たら、あとはもう、浮き上がるしかない。生徒が発した言葉を信じ、明るく、笑いながら、今日を懸命に生きている──。
(取材・文/千羽ひとみ)