NHK連続テレビ小説『ブギウギ』の第25話が3日放送され、主人公スズ子(趣里)が所属する梅丸少女歌劇団のストライキを主導するなど、ドラマ前半で重要な役だった大和礼子(蒼井優)に注目が集まった。
以下、ネタバレを含みます。
蒼井優演じる大和礼子が病死
3日の『ブギウギ』で、蒼井優演じる大和礼子が幼い子を残して病死した。蒼井優は、今回が朝ドラ初出演。ストライキの責任をとって歌劇団を引退したときにもSNS上では《蒼井優、もっと見たい》《まさか、もう出てこないわけじゃないですよね…》といった声が投稿されたが、今回の病死でさらに悲痛な声があがるだろう。
だが、蒼井優の早々の退場劇をはじめから予想していた人がいる。
「蒼井優さんが演じたのは大和礼子というトップスター役でしたが、じつはモデルがいます。飛鳥明子さんという実在の女性で若くして病死しているので、蒼井優さんも早めにドラマから降りるのではないかと思っていました」(テレビ誌ライター、以下同)
NHKはモデルと認めていないが
蒼井優演じる大和礼子のモデルが飛鳥明子(あすか・あきこ)さんだということは、NHKは公式には認めていない。だが、2人には共通点が多いという。
「大和礼子は梅丸少女歌劇団の初期のスターとして描かれていましたが、飛鳥明子さんも、梅丸少女歌劇団のモデルである大阪松竹歌劇団の前身・松竹楽劇部の初代トップスターです。《ダンスの神様》と呼ばれていたといいます。また、2人とも歌劇団の『桃色争議』というストライキで責任をとって引退し、その後、座付き楽団のミュージシャンと結婚しています」
NHKの朝ドラ制作スタッフが、放送スタートするよりかなり前に、大阪松竹歌劇団に詳しい人物に飛鳥明子さんのことを聞き取り調査していたともいうから、大和礼子というキャラクターを作るうえで参考にしたことは間違いないだろう。
飛鳥明子さんは明治40年12月14日生まれ。実家は大阪府高石の開業医で、大阪の金蘭会高等女学校に学んだ。大正11年、松竹楽劇部の創設と同時に同部に入団、関西でのクラシックバレエの草分けで、つま先立ちになるトゥダンスがとても得意だったという。
飛鳥さんの稽古の様子をのちに後輩が回想している。
《楽劇部の稽古場は松竹座の5階にあり、飛鳥さんはいつも一人で練習されていました。他の生徒は邪魔しないように立ち入らず、非公開でしたね。ダンスへの熱い思いが背中からビンビンと伝わってきました》(松本茂章著、『大阪人』連載「OSKストーリー80年の夢」より)
蒼井優演じる大和礼子にも、梅丸少女歌劇団の稽古場で同じようなシーンがあったことは『ブギウギ』ファンなら思い出すだろう。
趣里演じる福来スズ子のモデル・笠置シヅ子も、『東京ブギウギ』が大ヒットしたあとに飛鳥さんのこう述懐している。
《私、飛鳥さんにとてもかわいがられたものですから、いまだにいろんなことが耳に残っています。それが私の舞台に立っている一生に、どれだけ役に立っているかわからないです》(『芸術新潮』1950年7月号より)
飛鳥明子も、幼い子を置いて病死
実在のモデル飛鳥明子は、松竹座の座付き楽団のギタリストだった片野実雄と熱烈な恋に落ちて25歳で結婚するも、幸せは4年しか続かなった。当時は“不治の病”と怖れられた結核にむしばまれ、昭和12年8月15日、29歳の若さでこの世を去ったのだ。葬儀の際に飾られた写真には、親族に抱かれた幼い女の子が写っていたという。のちに、そのひとり娘が回想している。
「その写真は生後8か月の私です。母は結核だったので感染しない配慮から、母に抱かれている写真は一枚もありません。生前の母の思い出がない分、しのぶ気持ちは人一倍強くて……」(松本茂章著、『大阪人』連載「OSKストーリー80年の夢」より)
長女を出産したとき、母恋しさから母の名と同じ「明子」と名付けたという。きっと、今回の朝ドラで描かれた蒼井優演じる母の姿を、目を細めて見たに違いない。
このあとドラマはいよいよ、主人公スズ子のモデルである笠置シヅ子が歌でスターの階段をのぼっていく東京へと舞台を移す。今後の展開が楽しみだ。