「朝の8時からラジオを聴いていたんですが、なかなか流れなくて。やっと歌が聴けたのは、9時半ごろかな……」
中森明菜のファンが、今か今かと待ちわびた彼女の歌声が、10月30日にラジオ番組で6年ぶりに流れた。
「本当によかったですよ。曲調は変わって静かな感じになっていましたが、声は出ていた。明菜にもし会えたら“まだまだ十分にやれるじゃん”って褒めてあげたいですね」
冒頭から続けて、喜々としてそう話すのは、明菜の実兄。
1周年を迎えるファンクラブは
「'17年末のディナーショー以来となる明菜さんの歌声が話題になっています。楽曲は、
'84年にリリースされた『北ウイング』です。作曲家である林哲司さんのデビュー50周年を記念して作られたトリビュートアルバムに、約40年ぶりに新たにレコーディングしたセルフカバー『北ウイング-CLASSIC-』が収録されました。曲調も大幅に変わり成熟した“大人の明菜”を感じさせます」(スポーツ紙記者)
放送後には、SNSにファンたちの喜びの声が続々と投稿された。
《声を聞いた瞬間に鳥肌が立ち嬉しくて涙しました》
《耳にずっと残ってる。スローモーションとかも今の明菜さんの声で聴きたいなぁ》
《今の明菜ちゃんの声が優しくって、聴いてて涙が出てきちゃった》
ゆっくりと、でも着実に歩みを進める明菜。新たに立ち上げたファンクラブも、今年12月で1年を迎える。
「最近、ファンクラブ会員の更新についての連絡がありました。初年度はファンのためサービスしてくれていたみたいで、来年から消費税分が値上がりするみたい。ファンクラブの会員限定サイトでやっている“ラジオ”風の音声配信も面白いし、これからどんどん活動は活発化していくはず。ファンクラブをやめる人はいないんじゃないかな? 更新した人には、レコーディングする明菜ちゃんの未公開映像が先行配信されますしね。私はもちろん更新する予定です」(ファンの女性)
ファンたちの応援にも熱が入り、次はいよいよ表舞台への復活が期待される。その一方で、家族とは断絶したまま。
「明菜さんが最も大切にしていた母の千恵子さんが'95年に亡くなってから、その関係は途絶えています。その原因について明確な理由は不明ですが、スターとなった明菜さんが得た莫大なお金を、家族が使い込んだとも囁かれました」(前出・スポーツ紙記者)
しかし、明菜の兄は週刊女性の取材にこう明かしていた。
「税金対策として、当時の明菜の所属事務所から提案され、家族でカラオケスナックを経営していました。明菜は、私たちの給料に自分のお金が流れていると思ったようです。実際は、店の売り上げから、ごく普通の金額を給料としてもらっていただけなんです。不動産を購入したのは確かに明菜のお金ですが、歌手として売れなくなったときに明菜が家賃収入で暮らしていけるようにと思って、父がしたことでした」
8年間にわたって家族との間にできた“溝”
明菜が稼いだお金を家族が使い込んだわけではないと主張する兄。実際、明菜がどう思っているかはわからない。しかし、28年間にわたって家族との間にできた“溝”は、今も埋まっていない。
「父は骨折をして入院した後にコロナに感染し、さらに内臓も悪くしてしまったんです。回復しつつありますが、まだ病院に入院しています。今後入所する予定の介護施設は決まっていません。来年1月、父は90歳の誕生日を迎えます。家族みんなで卒寿のお祝いをするときには、明菜にも来てほしいと思っているんですが……」(同・兄、以下同)
2人の姉と兄を持ち、妹がいる6人きょうだいの明菜。
'19年に妹の明穂さんが亡くなったことを、家族が所属事務所を通して連絡するも、明菜は葬儀に姿を見せなかった。
「会えるんだったら、もちろん会いたい。けど、難しいならテレビで活躍している姿が見たいですね。'14年も紅白歌合戦に出演したのを見て“元気そうでよかったぁ”って思いました。せめて、テレビに出てくれていれば元気でいるんだとわかるのですが……。明菜が今も療養中というのは、どこが悪いんでしょうか?」
活動休止の理由について、公に説明されたことはない。一部報道では、重度の帯状疱疹を患ったことでうつ病も併発したため、無期限の活動休止に至ったとされる。そして、今も病気と闘い続ける日々が続いていると報じられた。
「明菜はもともと身体が弱かったし、敏感肌なんです。刺激のあるものが身体につくと、その影響ですぐに皮膚が赤くなることはよくありました」
妹をただただ心配する兄の言葉は、もしかしたら、もう明菜には届かないのかもしれない。二度と、会うことが叶わない可能性もあるだろう。物憂げな表情を浮かべていた兄は、今回の新『北ウイング』について問うと、明るい声で話し始めた。
「まるで目の前に明菜がいるような新鮮な感覚でした」
「久しぶりに明菜の歌声を聴き、昔コンサートへ行ったときのことを思い出しました。コンサートでは、初めて耳にする曲を、明菜がいっぱい歌っていたのを覚えています。
新たに声を吹き込んで、ある意味では新しい歌なわけですよね。ラジオからではあるけれど、コンサートで生歌を聴いているような……まるで目の前に明菜がいるような新鮮な感覚でした」
妹を身近に感じたことを明かし、笑みをこぼした。
「実は明菜の歌で『北ウイング』が一番好きなんですよ。情景が浮かぶのと、女性の一途な思いが描かれていて」
同曲は、海外へ行ってしまった思い人を、女性が飛行機に乗って追いかける歌。明菜は当時、恋人だったマッチこと近藤真彦のことを思い、歌っていたのかもしれない。
「明菜も一途でしたからね。“今度、ウチに呼んでもいい?”と明菜がマッチを実家に連れてきたんです。“何か飲み物はいる?”とか“暑くない?”って、明菜はマッチのことを常に気遣っていて、本当に好きなんだなって感じていました。けれど、あんなことになってしまって……」
明菜がデビュー当初から出演していた歌番組『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京系)での共演をきっかけに、ふたりはほどなくして交際を始める。しかし、'89年に破局。ここから明菜の人生の歯車は狂い始めた。兄は、
「ふたりが付き合ったことを家族みんな“よかったね”って、喜んでいたんですけどね」
そう、呟いた。