在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。シンシアが社長に就き、個人事務所『グレートプロダクション』を設立。娘と二人三脚の日々が始まる。
個人事務所を立ち上げゼロからのスタート
「離婚成立と前後して、個人事務所を立ち上げました。ゼロからのスタートでした。私自身シンガーとして活動はしていたけれど、マネージメントに関しては何もわかりません。まずは名刺を作り、ご挨拶回りから始めました。
社長といえど、個人プロダクションです。私も都度クリスタルの現場に付き添います。スケジュールを頭に入れて、ヘアメイクを押さえて、車やホテルの手配をして……。何かミスがあってはいけないと、常に緊張感がつきまといます」
アーティストが万全のコンディションでステージに立つには、その背後で綿密なサポートが必要になる。
「栄養バランスに配慮し、なるべく手作りのものを食べさせる。マッサージを呼ぶ時間がなければ、私が代わりにしてあげる。それは母娘だからできたことかもしれません。
マインドのキープも大切です。クリスタルには常に『あなたなら大丈夫だから』と言い続けました。
母親がそばにいることで、心強くもあったと思います。
ただいくら信頼している人がそばにいても、いざステージに上がるとひとりきりになる。すごく孤独で、押しつぶされそうになる。それは私も歌っていたからわかります」
東日本大震災で仕事がすべてキャンセルに
「現場に入ると、まずどんな状況か隅々まで見て回るのが私のルーティン。そしてその様子をクリスタルに説明します。
『今日のお客さんはみんな応援してくれるから大丈夫!』ということもあれば、
『今日はアウェーだけどみんなお芋だと思え!』ということもある。震える手をぎゅっと握りしめ、ハグしてステージに送り出す─。毎日が怒濤のように過ぎていきました」
手探りで始めた個人事務所も、やがて軌道に乗り始める。気づけばメジャーデビュー10周年が過ぎていた。クリスタルの仕事は順調で、新曲の録音にコンサート、プロモーションにイベントと多忙な日々が続いていた。
「ところが2011年春の東日本大震災をきっかけに、仕事が全部ストップしてしまった。自粛ですべてキャンセルになり、あれだけ埋まっていたスケジュールが真っ白になってしまいました。
先の見えない状況に、精神的に追い詰められていきました。髪がごっそり抜けて、鬱にもなりました。個人事務所というのはこういうときバックアップがないから弱い、そう思い知らされた。
再び仕事が動き出したのは震災の7か月後で、そのころには蓄えがすっかりなくなり、生活費にも事欠くような状況でした。
そこで助けてくれたのが母でした。窮地に陥っていた私を見かね、お金をポンと手渡してくれた。
マネージャーやスタッフのお給料をそれで支払い、なんとか事務所を再開することができました。けれどいざ仕事をしようにも、ヘアメイクやスタイリストさんを雇うお金がありませんでした。ミックスのクリスタルのヘアメイクは扱いが難しく、プロのヘアメイクさんでもできる人は限られてしまいます。ならば私が自分で娘のヘアメイクをすればいいと考えた。
ヘアメイクの道具を一式買いそろえ、衣装も私が選び、経費を浮かせることにした。やはりこれも母親だからできたことかもしれません」(次回に続く)
<取材・文/小野寺悦子>