小説家でフリーライターのこかじさらさん(65)は、大学進学以来、千葉の実家を出て東京で暮らしていたが、今から6年前のある日、両親の異変に気づいた。
5年前の食品が実家にあふれて
母親が腹痛で緊急入院し、急きょ帰省したこかじさんが実家で目撃したのは、賞味期限切れの食品でいっぱいの冷蔵庫だった。
「腐った野菜、5年前の冷凍食品などが無秩序に詰め込まれていました。台所の棚に、買い置きには多すぎる大量のラップが山積み。これは認知症の初期症状に違いないと、腹をくくりました」(こかじさん、以下同)
近くには実兄もいるが、自営業を営んでおり、細かいサポートはできない。こかじさんは南房総にある実家にUターン移住することを決める。
「まだ両親は自活できていたし、いずれ介護も必要になるだろうけれど、最後の親孝行になればと移住をしました。仕事もリモートでできる著述業ですし、ここで故郷に戻るのもいいな、くらいに考えていました」
ところが、いざ同居を始めると想像を超えたストレスフルな日々が始まった。まず驚いたのは、元来ものわかりはよかった父親の変貌ぶりだ。
あるとき千葉県を猛烈な台風が直撃し、千葉県全域が3、4日も停電したことがあった。実家はたまたま通電していたが、アンテナが傾いたのかNHKが映らなくなった。
「すると父が『相撲が見れないじゃないか。早く電気屋を呼べ』と言うんです。でも周辺は信号も止まり、電気屋さんどころかコンビニも開いていない緊急事態。説明しても、10分おきに『まだ電話していないのか』と私を責めました」
母親も停電騒ぎなどおかまいなしに、「ヨーグルトを買ってきて」と言って聞かない。
非常事態にもかかわらず、周りの状況把握ができていないばかりか、自分のことしか考えられない両親に、「ここまで認知機能が衰えていたとは……」と、いら立ちと戸惑いを覚えたという。
こかじさんが介護する4人の家族
実父(93歳)
もともと神経質で気が短いところはあったが、加齢に伴い、状況にかまわず我を通そうとするように。
実母(91歳)
気が強く買い物好き。できないことが増えているにもかかわらず、「自分が正しい」とゆずらない。
叔父(90歳)
職人気質で穏やかだが、アルツハイマー型認知症が進み、無免許運転、保険など手続きもれの問題発生。
叔母(90歳)
おしゃべりで外出好きだが、世事に疎く、何事も人まかせ。家事全般が苦手で家はゴミ屋敷状態に。
人の話を聞かない待てない親に辟易
両親の老いをしっかり認識することになったこの時期、近所で暮らす叔母夫婦にも同様の異変を感じた。二人に子どもはいない。
「私が叔母夫婦の一軒家に足を踏み入れたときは、すでにゴミ屋敷一歩手前でした。冷蔵庫は実家よりもひどく、開けた瞬間にとんでもない異臭がする。中からはカビだらけの食品がいくつも出てきました」
入浴もままならないのか、汗臭さと加齢臭がまざったような嫌な臭いが家中に蔓延(まんえん)していた。
「驚いたのはこの当時、叔父が接触事故に遭ったとき。自動車免許を更新しておらず、半年も無免許で運転していたと発覚しました」
すでに冷静な判断ができず、時に狂暴化する両親に、自分たちで身の回りの世話ができなくなってきた叔母夫婦。かくして4人同時介護という地獄が始まった。平均年齢は91歳。1人の世話だけでも大変なのに、その現実は想像以上。
「介護を甘く見ていた」と述懐するこかじさん。何より予想外だったのは、はた目には些細(ささい)なことと思われるトラブルでも、四六時中続くと、いかに精神的なダメージが大きいかということだ。
「あるとき、母が山芋を食べて口がかゆいから皮膚科に連れて行けと。仕事があるから待ってと言うと“おまえは肝心なときに役に立たない”と憎まれ口を言うんです」
実母の身勝手さは日ごとに強くなっていく。大量のパンを買ってくるので「冷凍したら?」と言うと「私に指図するな!」、料理を手伝おうとすると「年寄り扱いするな!」と返される。
「あなたが年寄りじゃなかったら、誰が年寄りなんですかって言い返したくもなりますよ。人の事情や気持ちなんてまるで考えない。デイサービスに行ってもらいたくても断固拒否です。
母はもともと気が強い人でしたし、実の母娘ならではの遠慮のなさもあるでしょう。わかってはいても、万事この調子ではイライラが否応なくどんどん蓄積されて、ボティブローのようにメンタルがやられてしまいました」
必需品の調達も4人分だ。介護用品も状況に合わせて買い足さなくてはいけない。
「叔母夫婦はぼろぼろの下着しかなく、高齢者でもラクにはける股引(ももひ)きや股上の深いズロースなんていうものを初めて買いましたよ。
父が背骨の圧迫骨折でトイレまで歩けなくなったときには“尿瓶(しびん)を買ってこい!”と言われて探したり。すべて初体験なので、どこで買ったらよいのかわからず、あわてて介護経験者に聞いてまわりました」
一度に24枚の書類と格闘するハメに…
諸手続きもできなくなっていた4人のために、こかじさんは役所へ銀行へと奔走。地域包括支援センターに連絡し、4人分の介護保険申請をすると、足腰が弱っていた両親は要介護1、叔父は要支援1(後に要介護1に)、叔母は要支援2になった。
預貯金や保険など金銭管理のフォローも急務だったが、それも一筋縄ではいかない。
「叔母を連れて信用金庫に行くと、総合口座以外に、小口定期が8口あることが判明。今後の生活費に充てるために普通預金にまとめる必要がありました。
通帳の紛失届、再発行届、総合口座への入金と、必要書類は1口につき3枚×8口分で計24枚。氏名のみ本人が直筆すれば他は私の代筆でよいとのことで、住所やら電話番号やらを24枚分書きました」
さらに叔父の家屋には、叔父の両親の荷物も大量に残っていた。
「これだけの荷物をいずれ処分するのは姪である私。その手間と費用に気が遠くなります」
在宅でも施設でも最終的にはカネ次第
高齢者4人の経済状況を把握しても、本格的な問題はそこからだった。
「いったい親自身の年金と財産で今後の親の生活を支えきれるのか……。子どもなら、年齢とともにできることが増えて自立してくれる。
でも介護はその逆で、終わりも見えなければ、できないことが増えていく。金銭的にも追い詰められて、お先真っ暗という感情ですね」
介護サービスの利用には介護保険が使えるが、利用するほど負担額は増加。老人ホームも、介護保険利用で安価に入れる特別養護老人ホームは待機者が多く狭き門だ。こかじさんが住む市内でも100~150人待ちだという。
私営の老人ホームは居住費に食費や諸経費を加えると月額20万円ほどはかかる。年金でまかなえればよいが、不足分は親の貯金を取り崩すか、子が負担せざるを得ない。
「もし両親ともに有料老人ホームに入ろうものなら、月額20万円×2人で月々40万円の出費ですよ。私も還暦を過ぎ、自分の老後資金だって不安なのに。介護を始めて4年目ですが、介護破産する前に“とっとと逝って”と、毎日のように思っています」
“介護はホラー以上”読者から切実な声が
こかじさんは、自身の介護体験記を本にまとめたが、読書感想サイトには“介護はタイヘンどころじゃなく、ホラーよりコワイのが現実”、“親にお金と人生を搾取されている”など切実な書き込みがあるという。
“子が老親の面倒を見るのは当たり前”“お年寄りを大事にしましょう”などというきれいごとではすまない現実があると、こかじさんは語る。
「育ててもらった親に恩返しはしたいですよ。父が蛍狩りに連れて行ってくれたり、母が運動会でお重いっぱいのお弁当を作ってくれたり、いい思い出もたくさん。私も“搾取されている”とまでは思っていません。
でも介護で消耗する日々が続けば続くほど、いい思い出も浸食されていってしまうんだと思います」
こかじさんの友人は、介護ヘルパーに「実際に介護をした人はお葬式で泣かないものよ」と言われたそう。
「病気などで若くして親を亡くした人は“もう少し親孝行したかった”と言う。でも介護を5年、10年と続けた友人は、親が亡くなると皆“正直ほっとした”と言います。
私自身も、彼らから解放されるその日を指折り数えてしまっていますが、罰は当たらないと思ってます」
また、老いていく親を見て、否応なしに考えさせられるのが「自分はどう老いるか」という問題。子が気づいたときには財産管理もできなくなっていたというケースは特に深刻だ。
「親世代は、モノはたくさんあるほうが豊かで便利という価値観だったかもしれません。でも今は私も、財産も含め身辺はすっきりさせておこう、と切実に思います」
昨年には叔父が、今年3月には叔母も自活が難しくなり、こかじさんの手配で同じ介護付き老人ホームに入居。それが可能だったのは、貯金に加え、終身の個人年金に加入していたことが大きい。
「4人の自宅介護が続けばストレスでこっちが先に死んでしまうと戦々恐々だったので、まずは2人を身近で世話しなくてよくなり心底ほっとしました」
ストレス解消にはプチ家出・ソロ活を
叔母夫婦が老人ホームに入居したとはいえ、こかじさんの介護生活はまだまだ続く。
「介護は長期戦。ストレスから身を守るために、腹が立ったらその場を離れるようにしています。実兄に相談した上で、親にだまって温泉地に1週間ほど家出したりもしますよ」
介護中は友人と会うのもままならないという人も多いだろう。その場合は「ソロでも楽しめる時間や趣味を持つのもおすすめ」だそう。
こかじさん自身の趣味は走ること。今もマラソン大会に向けて走り込んでいるとか。
「走ると気持ちが整理されるし、汗をかいてシャワーを浴びるとイライラもすっきりと洗い流せます。介護が頭から離れる日はないけれど、4人を残して私が先に逝くわけにはいかないな……という思いはあるので、心身共に健康でいれたらと」
取材・文/志賀桂子