矢野聖人 撮影/伊藤和幸

 

「タクシーに乗っているときに新宿を通ると“ここであのシーンを撮ったな。あの店で撮影したな”と、当時がよみがえってくる。近くを通るたびに作品を思い出すことができるのって、いいなと思います」

 東京・歌舞伎町に暮らす3人(資産家のゲイ・潤、地方の裕福な家に生まれた大学3年生の真奈美、ホストの聖也)の三角関係から現代の若者の姿を描く青春映画『車軸』。今作のメガホンを取った松本准平監督から直接オファーを受けた矢野聖人が、潤を演じている。

「松本さんとは映画『最後の命』('14年)で初めてご一緒して。それ以降も何度か声をかけてくださったのですが、残念ながら実現しなかったんです。一昨年の夏、松本さんから連絡をいただいて、新宿の喫茶店でお会いしたときに“聖人、映画やろうよ”と渡された台本が『車軸』でした

独特な役作り

 迷うことなく挑戦した潤というキャラクター。“ラポールメソッド”と呼ばれる役作りの方法論を取り入れ、役柄と自身をつなげていった。

「撮影の1か月ほど前から僕と、真奈美役の(錫木)うりちゃん、聖也を演じる(水石)亜飛夢くんの3人と監督で定期的に集まるようになりました。そこで、演技レッスンのようなことをしたんです。ある日は動物になってみて、別の日は火になったり、水になったり。みんなで相撲を取ることもありました。“エンプティ・チェア”といって、イスに座る僕の前にイスを置き、実際は誰も座っていないその席に潤が座っているとイメージをして会話をすることもありましたね。自分が役に近づいているのか、その逆なのか。潤と自分の境目がわからなくなっていく感じで。とても、いい経験でした」

 初めてだったという役へのアプローチ方法。

潤は、男性でも女性でもないキャラクター。これまでに出会ってきたゲイの方に感じた印象や、自分の想像力を働かせて作り上げていきました。クランクイン前から、かなり潤が身体に入っていたので、撮影の合間に話をしていたとき、うりちゃんから“いまのしゃべり方、潤みたいでした”と言われることもあって。自分では、まったく気づかなかったのですが」

「車輪がスムーズに」

矢野聖人 撮影/伊藤和幸

 撮影方法も特別だった。段取りやテストは基本的になく、テイクワンを採用する方針で進められた。

「本番直前に相手と台本を手に自分のセリフを棒読みで言い合うんです。台本を閉じて、1分間見つめ合ってと言われて。そのあと、すぐに本番。本当に、特殊な方法だったと思います」

 少数精鋭のスタッフによる、この撮り方だからこそ、歌舞伎町という街での大々的なゲリラ撮影を実現することができた。

 劇中、潤が真奈美と聖也に「3人で、やってみない?」と提案し、実際にベッドを共にする。

「あのシーンは、動きも結構あるので、前もってしっかり打ち合わせをして臨みました」

 すべての撮影が終わったあとに何をしたか、思い出せないと語るほど、全身全霊で演じきった。

 故・蜷川幸雄さん演出の舞台『身毒丸』のオーディションでグランプリを受賞し、19歳で俳優デビュー。以降、演技の道を走り続けている矢野に、俳優としての“軸”は何なのかと聞くと、

「10代、20代の前半は感覚でやっていたことを、理論的に考えるようになりました。そういう意味では、軸を変えたことで車輪がスムーズに回るようになったように思います

「蜷川さんがいなかったら」

 確かな演技力で、作品ごとに強い印象を残す彼は、現在放送中の『王様戦隊キングオージャー』で、ヒール役を演じている。

「自分には遠い存在だと思っていたので、戦隊モノのオーディションを受けたことがなかったんです。それなのに、30歳になってからオファーをいただけた。取材のときによくインタビュアーの方から“驚きました”と言われましたが、自分でも驚いたし、うれしかったです」

 放送を見ている子どもやお母さんたちから声をかけられるのでは?

「それが、まったくないんですよ。お子さんや、お母さんたちがいる場所にいないからなのかな……。キングオージャーを代表して(埼玉西武ライオンズ対福岡ソフトバンクホークス戦の)始球式をやらせていただいたのですが、“ラクレス!”と役名を叫んでくださったのは、大人の男性でした(笑)

 30代となったいま、いろいろなことに挑戦していきたいと語る。彼にとっての新たな挑戦のひとつ『車軸』が「大事にしたい人、感謝したい人を思い、人生を大切に生きるきっかけになれば」と語る矢野に、まっさきに頭に浮かぶ感謝したい人は誰かと聞くと、

「蜷川さんですかね。蜷川さんがいなかったら、僕、この仕事をやっていないと思うので。蜷川さんが亡くなって以来、舞台に立っていないので、もう10年ほど離れていると思います。そろそろ舞台をやりたいな、やらなくちゃな、と思っています」

映画『車軸』

映画『車軸』(TOHOシネマズ新宿ほかにて全国公開中)
配給:CHIPANGU/エレファントハウス (C)「車軸」製作委員会 (C)小佐野彈