YOSHIKI

 X JAPANのベーシスト・HEATHさんが亡くなった。大腸がんによる、55歳での死だ。

 今年8月には、バンドのリーダー・YOSHIKIのディナーショーで「最後の」共演。バンドとしての活動が5年間途絶えていることについて、

「みなさん、コンサートを見たいと思うので、僕たちも頑張ります」

 と、語っていた。

 1989年にデビューしたX JAPAN(当時はX)は'97年に解散。洗脳騒動を起こしたToshlと、YOSHIKIの確執が原因とされる。10年後に再結成されたものの、ここ数年、その確執が再燃しているという。

 HEATHさんとの最後の対面も、鉢合わせを防ぐべく、別々の時間になるよう関係者が配慮したとも報じられた。バンドの潤滑油的存在ともいわれた人の死で、再始動がますます遠のいたという見方もある。

《精神的にショックが大きい》

 ただ、今回注目したいのはそこではない。大切な人に次々と去られてしまうYOSHIKIの数奇な宿命についてだ。今年10月には、同学年でもあるBUCK-TICKの櫻井敦司さんが急死。ビジュアル系ロックを牽引してきた仲間の死について「ショックです」と語った。

 昨年11月には、自らが主催するオーディションで才能に惚れ込み、華々しく世に出そうとしていたボーカリストのYOSHIさんがバイク事故により19歳で夭折。その半年前には自身の母親も他界していたことから、

《アーティスト/友達,を亡くして,精神的にショックが大きい。オーディションを続けるべき?相談相手だった母も、もういない》

 と、悲嘆にくれた。そしてとにかく衝撃的だったのが、今から25年前のhideさんの死だ。X JAPANのギタリストで、ビジュアル系という言葉が生まれるきっかけをつくったともされ、バンド愛も強かったこの人は解散から数か月後に他界。さらに、HEATHさんが加入するまで、ベーシストだったTAIJIさんも2011年にこの世を去っていて、ふたりとも自殺と報じられた。

10歳のときの父親の死

 そんなYOSHIKIの宿命の起点というべきものが、10歳のときの父親の死だ。当時は病死だと説明されたが、中学時代に親戚の家で耳にした会話で、自殺だったことを知ったという。

 こうした少年期の経験が、精神形成に大きな影響を与えたことは間違いない。それ以前はクラシックやジャズを好んでいたが、やがて、耽美や刹那、退廃、慟哭といった要素を持つロックに惹かれ、その体現者となっていく。その成功は同時に、いわば死に近い場所で生き続けるような試練をもたらすものでもあった。

YOSHIKI

 10歳くらいまで小児ぜんそくで入退院を繰り返し、デビュー後も限界を超えたパフォーマンスで首などを痛め、頸椎の大手術を受けるなど、満身創痍で活動してきたYOSHIKI。大事な人に次々と去られてしまうという宿命もまた、成功と隣り合わせだったのだろう。もっとも、同年同月、彼の9日後に生まれて26歳で亡くなった尾崎豊さんに比べると、彼には一種の打たれ強さも感じる。

 それは意外と軽くてちょっと抜けたところがあるからかもしれない。デビュー前、名前を売るため『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)の運動会企画などに出演。今回も喪服姿の自撮りをSNSに上げたことが、なぜ?と騒がれたりした。

 そんなキャラも生かしつつ、芸能人としても人間としても長生きしてほしい。

宝泉薫(ほうせん・かおる) アイドル、二次元、流行歌、ダイエットなど、さまざまなジャンルをテーマに執筆。著書に『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)。