今年8月、ご静養のため上皇さまと4年ぶりに長野県軽井沢町を訪問された美智子さま

 11月20日、皇宮警察本部の音楽隊設立70周年を記念する演奏会が皇居内で行われた。天皇、皇后両陛下、上皇ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、佳子さまが出席され、“ご一家大集合”となった。

皇族大集合となった演奏会

11月20日皇居内で行われた皇宮警察音楽隊の演奏会に両陛下や上皇ご夫妻、秋篠宮ご夫妻などの皇族方が一堂に会した(写真/産経新聞社)

三家族がおそろいになるのは、新年一般参賀以来のことでした。このようにご一家が集合すると、皇室の一体感がうかがえますね。もしかすると、これは美智子さまのお計らいかもしれません。

 というのも、美智子さまは家族のどなたかが苦しい状況にあるときには、“それは家族全体の苦しみ”だと捉えておられます。眞子さんの結婚騒動以降、マイナスなイメージがつきまとう皇室の現在を案じ、団結を図られたようにも感じられます」(皇室ジャーナリスト、以下同)

 皇后として30年間、責務を全うされてきた美智子さま。その功績はある意外な場所にも残っている。

'17年11月、初のベトナム公式訪問のため、政府専用機で羽田空港を出発される上皇ご夫妻

「ベトナムでは美智子さまの誕生日である10月20日を“子どもの本の日”と定められています。今年は首都・ハノイで、美智子さまの誕生日前後に“絵本ウィーク”が開催され、日本の絵本や、ベトナム語に訳された絵本が多数展示されました」

 このきっかけとなったのが、美智子さまが自身の子ども時代の読書の思い出を綴った著書『橋をかける』だ。

「'17年に、在位中だったご夫妻はベトナムを訪問されました。当時のベトナムは長く戦争が続いた影響で、絵本がまったく普及していなかったそう。それを知った美智子さまは帰国後、大使館を通じて『橋をかける』を贈呈。それがベトナム語に訳され、それ以降、ベトナムで日本の絵本が広まったんです。このことが“子どもの本の日”の制定につながったのです」

美智子さまは、国内の人々にも幸せを

'18年8月、北海道の竹内農園にて花豆の説明を受けられる上皇ご夫妻

 美智子さまは、国内の人々にも幸せを与えてこられた。

 '18年8月、北海道北広島市の竹中農園を訪れた上皇ご夫妻(当時、両陛下)の案内を務めた竹内巧さんはこう振り返る。

おふたりのご来訪は光栄なことと感じつつも、大変緊張していて。ですが、やわらかい雰囲気にいつの間にかリラックスしていました。

 美智子さまのお印は白樺ですが、うちの畑の周りにも白樺の木がたくさんあるんです。花豆の白い花と、白樺の木が立ち並ぶ夏の風景に、美智子さまが並んでいらっしゃる光景は、とても綺麗で記憶に残っています。今思うと、それも何かの縁だったのかなと感じますね」(竹内さん、以下同)

 この時、竹内さんにはある印象に残る出来事があったそうで、

「うちの農園で栽培している花豆の説明をした際、上皇さまが“花豆というのは、うーん……”と、少し考え込まれたんです。そのとき美智子さまが“軽井沢でも作っているものですね”と答えられて、上皇さまは腑に落ちたご様子でした。この何げないやりとりから、美智子さまは常に上皇さまをそばで支えておられるんだなと感じて、心が温まりました」

 上皇ご夫妻の在位中の国内移動距離は約62万キロメートル。これは実に地球15周半にも及ぶ。

 気が遠くなるほどの長い道のりを、上皇さまと共にし、支え続けた美智子さまだが、今年で89歳を迎え、昨今は体力の低下が心配されている。

「美智子さまは立ち上がったり、歩いたりという日常動作がままならないことが増え、それに対し、上皇さまから“大丈夫?”とお声をかけられることがあるそうです。ほかにも、以前より耳が聞こえづらくなっているといいます」(前出、皇室ジャーナリスト)

 そんな中でも、ご友人との交流は続けておられるようだ。

 '68年ごろから美智子さまと交流のある絵本編集者の末盛千枝子さんは、今年6月に美智子さまを訪ね、お住まいの仙洞御所に赴いたという。

「前々から、上皇后さまより“東京に来るときは必ず連絡くださいね”とおっしゃっていただいておりました。今年4月から6月にかけて千葉県で私と家族の展覧会を開催することをご連絡し、“最終週に東京に参りますが”という連絡だけ差し上げたんです。すると“何日の何時ごろでどうかしら”という案内をいただき、伺いました」(末盛さん、以下同)

赤坂御用地の仙洞御所へ

 ご夫妻は昨年4月、港区高輪の仮御所から赤坂御用地の仙洞御所へ移られた。

「お部屋には聴力をサポートする道具をいくつか置かれていました。上皇后さまは以前から補聴器をおつけになっていましたから、生活しやすいようになさっているのだと思います。応接間の壁には大きな水槽が埋め込まれていました。そこには上皇さまの研究対象であるハゼが何種類も泳いでいて。“もしかしたら上皇后さまが上皇さまのためにお作りになったのかもしれない”とも思いましたね」

 数年ぶりの再会を美智子さまは大変喜ばれたそうで、

「帰り際、迎えの車まで侍従が、私の乗る車いすを押してくれようとしたんです。すると、上皇后さまが“私が押します”とおっしゃって……。おそれ多いことではありますが、上皇后さま自ら車いすを押してくださいました。

 スロープに差しかかる際に、侍従が“ここからは私が”と交代されましたが、上皇后さまも玄関までお見送りに来てくださって。車に乗り込む私に“今度はいつ会えるのかしら”といった少し寂しげなご表情で見守ってくださいました

 別れが名残惜しいほど、長年のご友人である末盛さんとの会話は貴重な時間だったのだろう。

「共通の友人が他界して、だんだんいなくなることや、世界のあちこちで戦争が起きていることについてお話ししました。本当に心を痛めておられるご様子でした。IBBY(国際児童図書評議会)の活動で、インドのニューデリーやスイスのバーゼルにご一緒したことなど、いろいろな思い出がありますが、当時は今ウクライナなどで起こっているような紛争に巻き込まれることがなかったので、“あの時代は本当にいい時代だったのね……”と」

 変わりゆく国内外の動静に目を向け続けられる美智子さま。そうした事柄だけでなく、末盛さんにはいつも変わらずお話しされることが。

「お目にかかるたびに“陛下を最後まで見守るのが自分の何よりの務め”とおっしゃるんです」

 上皇さまをそばで支え続けるという敬愛は、今も揺らがない─。