田原俊彦(62)撮影/アライテツヤ

 アイドル黄金時代の'80年代をトップで駆け抜け、還暦を超えても「元気印」のトシちゃんこと、田原俊彦。2023年も全国16か所のツアーを敢行し、12月にはクリスマスディナーショーが控えている。TikTokで見せるダンスも好評。歌って踊って魅せるトシちゃんのハッピーになるインタビュー。

「15歳の時にこの世界を目指したの。テレビを見てて、“あ、俺、こん中で暴れてやろう” って思ったんだ。

 あの頃は今みたいにSNSもなかったしテレビが王様だったんで、ブラウン管の中がとてもキラキラ輝いて見えたし、夢がいっぱい詰まってた。もともと体を動かすのが大好きだったし、かっこいいなあ、踊りたいなあってのがきっかけ」

アラ還・田原俊彦

田原俊彦(62)撮影/アライテツヤ

 アラ還・田原俊彦が元気だ。2023年も全国16か所のツアーを敢行し、12月にはクリスマスディナーショーが控えている。TikTokで見せるダンスも好評だ。

──本当に楽しそうに踊っていますね。

「TikTokは踊らないとバズらないから踊ってるの。つまんないことしても伸びないからふざけてる(笑)。だって1分ぐらいでパッと覚えるからさ。難度の高い踊りをやるってなったらきっちり練習しなきゃいけないんだけど、本格的なやつは自分のステージでしっかり見せるんで」

──やっぱりお客さんが待っている、見たいって言ってくれるのがモチベーションなんですか?

「うん。それはそうなんだけど、僕が一番できることなんだよ。歌って踊って魅せる! これが一番好きな仕事なの」

──あのトレードマークの足上げポーズを、失礼ですがこのおトシになっても……

「いくつだっけ? 忘れちゃったよ。62か!(笑)」

──ずっとやってる予定だったんですか?

「いやいや。子どものときはそんなこと考えてもいなかった。とりあえず10年はやんなきゃいけないなって。

 まず15のときに事務所の門を叩いて直談判ですよ。だから普通のやつらとは気概が違うの。みんな “お姉ちゃんが履歴書送って” とか、わけのわかんない言い訳してるけど、僕に言わせれば “やる気あんのか!? ” って話でね(笑)。僕は “自分がスターになる。スターになるぞ!”って決めていた。それで実際になれたから。

 そのころって、僕はバックボーン的にはゼロだったの。親父が小1で亡くなって、母子家庭で育って。お姉ちゃん2人と妹1人がいて、おふくろがめちゃくちゃ苦労してたのをリアルに見てた。絶対おふくろだけは幸せにしなきゃなっていう、そのエネルギーがめちゃくちゃ強かった。ハングリー精神と気合いですよ。

 でも、そのぐらいのメンタリティーがないと、やっぱりスターにはなれないでしょ?」

──強気ですね。

だって芸能界は競争の世界だから、“そこどけ!”ってね(笑)。 “そこ俺の席だろ!”って、そんぐらいの気持ちがないとダメじゃん。

 もうそれは男とか女とか関係なくてさ、実は女の子だってそういうメンタルだからね。聖子ちゃんだって、あんな可愛い顔してたってやり手よ。ワハハハハハ(笑)」

うらみごとを言ってるイメージがないトシちゃん

田原俊彦(62)撮影/アライテツヤ

──それにしても山あり谷ありでしたが、うらみごとを言ってるイメージが全然ない。

「まあね。だって、ぜんぶ自分がやりたいように、やりたい放題でやってきたから。僕は本当にゴーイング・マイ・ウェイで、場面場面でいろんな人に迷惑もかけたしね。大変な思いをさせたと思うんだけど、ひっくり返せばぜんぶ自己責任。勝った負けたはあったとしてもすべて飲み込んで、やり返すぞって気持ちで頑張るしかないじゃないですか。人のせいにはできないし」

──長い人生で “人のせい” もあったと思うんですけど。でも言わないですよね。

「うん。だっていいじゃん。ね? 結果は70で出るから。あ、もう近いな(笑)」

──自分で決めてきた人生だ、と。

「そうそう。自分で決めたことを人のせいにするわけにいかないじゃん。事務所をやめた時もそう。あの時代(1994年)に事務所を蹴るってのはさ、今とは訳が違うからね」

──あらためて訊きますけど、なんでやめたんですか?

「やめたいからやめたの(笑)。だってもう10周年ぐらいの時から、自分でショーも作っていたし、ドラマやれば当たるし。もうすべて教わることは教わったったなと」

──自分1人で力を試したい気持ちに?

「ま、試したいっていうか、もう卒業していいかなって。正直あまり先々のことは考えていなかったよ(笑)」

43年たっても『哀愁でいと』で 「I SAY!」

田原俊彦(62)撮影/アライテツヤ

──今は年末のディナーショーの準備中ですか?

「うん。11月までは全国ツアーをやってたし、1年間ずっと動いているよ。自分でも本当にタフだなって思うしね。ちょっと自慢話をさせてもらうとデビューから40年以上、毎年必ずシングルをリリースしてきたっていうのと、毎年ちゃんとステージをやってきたっていう自負はある。

 ほら、だいたい少し休んだりとかさ、いろいろあるじゃない? 女性だったら結婚したりとかね。僕はそういうのがないし、たぶん心配性なんだろうね。休んだらどうすんだって、その時間何したらいいんだろうってのもあるし」

──ほかに特別やりたいことがない?

そうだね。可愛い子と遊ぶぐらいしか考えてないし(笑)。ゴルフもやめちゃったしなあ。

 ゴルフは16〜17年前にやめた。東京からだとゴルフ場が遠いんだよ。だいたい夜中の3時4時に寝てるのにさ、6時には起きなきゃいけないじゃん(笑)」

──はたから見るぶんには、ぜんぜん心配性に見えないんですけど。

どうなんだろうね。心配性っていうか、休むのがあんまり好きじゃない。年間のタイムテーブルとしては、だいたい夏から秋にかけて全国をツアーで回って、それが終わったらクリスマスのディナーショーの準備でしょ。もう年末からは来年にリリースする曲を仕込み始めているよ。

 新曲のリリースは毎年6月が多いけど、曲を選んで、オケを作って、歌詞を決めて、レコーディングに入って、ミュージックビデオを撮って……っていうのがあるから休んでいる暇がない。そういう仕事のルーティーンが決まってて消化しないと納得いかない。それはお客さんが待ってくれてるってことも含めてだけど」

──それが励みになっている。

「そうだね。やっぱりエンターテインメントってのは、みんなを明るくハッピーにして、夢を与えるものだと思ってるんで、その使命を全うしていきたいなあって。僕は19歳で『哀愁でいと』でデビューしたけど、43年たってもいまだに『哀愁でいと』で “I SAY!” って言ってて。“ハッとして!” って言って、“1本でも妊娠、ニンジン” とかね(笑)。それが僕も楽しいし、お客さんも楽しいらしいよ」

──デビュー当時に聴いていて、最近また戻ってくるお客さんもいますね。

うん。女性のファンの方はもちろん男がすごい来るようになったんだけど、ある男のファンが “やっぱり『哀愁でいと』聴きたいんですよ”って言ってくれたの。『哀愁でいと』を聴いてると涙が出てきて、自分が中学生の頃の気持ちに戻るんだって。中学の時に付き合ってた彼女が俺のファンで、すげえ頭にきたとか。夏休み終わったら田原俊彦の下敷き持ってたとか、めちゃくちゃ目のカタキにしてたらしいんだけど(笑)」

 そういうフラッシュバックじゃないけど、パーンと一瞬で戻るみたいね。それがやっぱり昭和の歌の強さだよね。そのぐらい、みんなの脳裏に強く焼き付いている。それが青春の多感な時期に聴いた音楽だったらなおさらでしょ? 僕らも百恵さんの歌や沢田(研二)さんの歌を聴いてしびれてた。今でもカラオケで、パッと歌えちゃったりする。それと同じ感覚だと思うんだけど、その男性のお客さんに気づかされたね」

歩くパワースポット・田原俊彦

──自分が田原俊彦であることに、運命を感じたりしますか?

うーん、運命って自分でわかんないんだよ。でも、たぶん僕は運が強いんだよね。みんな人生一度きりなんだけど、こうして自分のやりたいことをやれて、なりたかったものになれてさ。自由に泳いでいられるって幸せじゃない?

 僕は田原俊彦になれたわけだから、これをしつこく! しつこくやりますよ(笑)」

──最近では “歩くパワースポット”とも言われています。

「ああ、なるほど! 自分でもそうありたいね。きっとみんなは僕にハッピーをもらいに来るんだよね。ライブとかでも僕がやっぱり明るく楽しくハッピーにしてるから、それをしっかりファンの人が受けとめて、みんな元気になって帰っていく。

 しかもファンの人だけじゃないんだよ! バーで会う子とか、たまに街で会う女の子とか、“なんかトシさんと会うと元気になる~” って。自分じゃ全然サービスしてるつもりもないし、“なんだ、このヤロー!”とか言ってんだけど(笑)。

 でも、それっていいことだよね? みんなが楽しく明るくなるっていう。なんでそれを僕は習得しただろうなっていうのは、ぜったい生活環境もあると思うんだよね。子どもの時に女の子たちに囲まれて……」

──お姉さんと妹さんと。

そうそう。家で女の裸も見慣れてるし、裸で歩くし(笑)。それがもう普通の感覚。
だから中学生になって女の子に話しかけるのも怖くないし。チョコレートもらって、“うわあ、うれしい” って素直に言うし(笑)。そういうのもあるんじゃないかな

──そのノリで80年代女子アイドルをバーッと行ってました?(笑)

「それはノーコメント(笑)」

──で、来年のデビュー45周年も行っちゃうと。

「もちろん! もちろん行くよ。来年出すのがキリよく80枚目のシングルだしね。ま、別に特別なことはね、ないと思うんだけど」

──ないんですか!?

「まあ、いつもより頑張るよ。ハハハハハ(笑)。また50周年もあるし。いいじゃん、そのぐらいで(笑)。40周年も楽しかったし、還暦ライブもやらしてもらったしね。いい感じにきてるんでね、このまま止まらず、みんなに元気を届けられる男でいたい。
それはもちろん自分のためだけど、やっぱり僕が頑張ることでみんなが喜んでくれればベストなんじゃないかなと思うよ。
明るく楽しくハッピーに行きましょう!」

クリスマスディナーショー
『TOSHIHIKO TAHARA CHRISTMAS DINNER SHOW 2023』
12/14(木) リーガロイヤルホテル(大阪)
12/20(水) 名古屋 東急ホテル
12/23(土)、24(日) ウェスティンホテル東京

インタビュー(別バージョン)は『すてきな奥さん 2024年新春1月号』にも掲載中
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<取材/大野奈緒美>