12月9日、雅子さまが還暦を迎えられた。
お誕生日に宮内庁から毎年発表される雅子さまの“生の声”からは、皇室に入ってからこれまでのお気持ちの変遷をたどることができる。
若くして国民から大注目の雅子さま
雅子さまは、'87年の12月末に発売された『週刊女性』で“浩宮さまのお妃候補”として急浮上。愛車も注目され、同じ車種の人気が急激に高まるなど、若くして国民から大きな注目を集められた。'93年6月に結婚の儀が行われ、正式に皇室入りされた。目まぐるしい日々が続いた当時。'93年、結婚後に初めて迎えられた30歳のお誕生日には、
「無我夢中で過ごしてきた」
と、皇室に入られてからの時間を率直に振り返られた。その後、さまざまなご経験を重ねられると、お誕生日のお言葉にも変化が見られた。
35歳では「公務にも慣れ、楽しく感じるゆとりも生まれてまいりました」と思い返すことも。適応障害と診断された'04年に迎えた40歳では、文書も写真もお休みになったが、それでも、5年後の'08年には「久しぶりの行事への出席が励みになりました」と、ご回復ぶりを示された。
平成最後の'18年、当時の天皇、皇后両陛下への感謝と敬意を表しながら、
「国民の幸せのために力を尽くしていきたい」と、今後築かれていく新たな時代に思いを馳せられていた。
30年前から変わらない天皇陛下への思い
皇室で歩まれた長い時間と共に変化してきた雅子さまのお気持ち。それでも、30年前から変わらず触れられているのは天皇陛下への思いだ。
「皇太子殿下には、何事においても良き相談相手となってくださり、大きな力で私を支えてきてくださいました」
と述べられたのは30歳のとき。取り巻く環境が何もかも変わってしまった雅子さまを支えられた陛下のお姿が偲ばれる。
雅子さまが陛下について語られる際、頻繁にお使いになられる“励まされ”“見守ってくださり”という表現。55歳を迎えた'18年には、
「少しでも皇太子殿下のお力になれますよう、そして国民の幸せのために力を尽くしていくことができますよう、研鑽を積みながら努めてまいりたいと思っております」
と述べられた。令和という新たな時代の幕開けとともに、より“ふたりで”という気持ちを強くされたのだろう。
“古希”“傘寿”と、おふたりの歩みは永遠に刻まれていく――。