「かけがえのない存在を失ったときに体験する深い悲しみのことを“グリーフ”と言います。悲しみから立ち直るための4つの過程をスムーズに送れない方に寄り添い援助するグリーフケアが大切です」
医師がすすめる“喪失ケア”
と教えてくれたのは、国立がん研究センター中央病院の松岡弘道先生。がん患者の家族や遺族のためのケア外来で診察を担当されている。松岡先生によると、親しい人を失い悲しみに沈んだ際には回復に必要な4つの過程を経ることが大切だという。
1.喪失の現実を受け入れること
2.悲嘆の苦痛と向き合うこと
3.故人のいない世界に適応すること
4.新たな人生を歩み始め、故人との永続的なつながりを見いだすこと
このプロセスをたどる際に一番重要なことが、悲しむ時間と日常生活を送る時間の両方を大切にすることだそう。
「ケア外来にいらっしゃる方はどっちかの時間に偏ってしまう人が多い。ずっと家にひきこもって泣いてばかりの人はもちろんですが、亡くなった直後やお葬式のときは涙も流さずに気丈に振る舞っている方が半年ぐらいしてからドーンと落ち込んでこられるケースがあります。
大丈夫と言う方ほど、喪失を受け入れられていない場合があるんです」
悲嘆のプロセスで取り組むべき課題
第1の課題:喪失の現実を受け入れること
知的に、情緒的に喪失の現実を受け入れるためには時間がかかる。
第2の課題:悲嘆の苦痛と向き合うこと
苦痛を回避、抑圧すると喪の過程を長引かせることがある。
第3の課題:故人のいない世界に適応すること
自らのアイデンティティーや世界観の問い直しが迫られる。
第4の課題:新たな人生を歩み始め、故人との永続的なつながりを見いだすこと
ずっと一緒である、そばで見守ってくれているなど新たな位置づけを。
平野レミさん「骨もちょっと食べちゃったから一心同体」
芸能界には夫と死別した後も活躍を続ける女性は多い。料理愛好家の平野レミさんが夫である和田誠さんとお別れしたのは2019年。
当時の平野さんの様子を義嫁の和田明日香さんは、「お義母さんは本当に抜け殻というか、何日もごはんも食べないし水も飲まないし」と雑誌のインタビューで振り返っている。
憔悴した様子を見せたとき、何も話さず平野さんと2人で抱き合ったのだとか。
そしてその後も2人で泣きながらお酒を飲んだりもするのだそう。松岡先生は2人の行動は「理想的な回復のプロセス」だという。
「まず亡くなったときにご家族が静かに寄り添うというのは非常に正しい姿勢です。悲嘆の最中にいる人はどんな声かけやアドバイスも求めていないという研究結果も出ているのですが、悲しみが癒されるような魔法の言葉はないんです。
ただ支えたいという意思が伝われば最初は十分じゃないかと思います。その後にも故人のお話をし合っているのもとてもいいです。
私たちも診察の中で、アルバムを開いて一緒に故人の話をしたり亡くなったときの状況を話します。これは死を認識する作業にあたり、故人の死を受け入れる大切な過程です」
平野さん自身は「和田さんの骨もちょっとカリカリって食べちゃったからさ。もう、一心同体よ。私の身体のどこかに和田さんが入ってるのよ。うれしいね」と語っていた。
「遺骨の一部を肌身離さず持つようにした行為も、死を受け入れて自分の中で消化させていく意味では必要なステップだったのではないでしょうか。ケア外来に来られる遺族の方にも、遺骨を砕いて一部をペンダントに入れてつけている方がいらっしゃいます。
ご自身の中に亡くなった人を新たに位置づける行為にあたり、故人との特別なつながりを見いだすという意味ではいいことです」
柏木由紀子さん「笑顔になれる日なんて来るわけがないと」
柏木由紀子さんは、夫である坂本九さんを1985年の日航機墜落事故で突然失った。今年の雑誌インタビューでも事故当時の記憶は38年たったいまも鮮明に覚えている、と答えていた柏木さん。
「暑い季節になると、今年もあの日がやってくることを思います。事故からしばらくは『笑顔になれる日なんて来るわけがない』と絶望的な気持ちでした」と当時の心境を語っていた。
柏木さんのように突然の死別だった場合、なかなか現実を受け入れられないケースはあると松岡先生は話す。
「予測しない事態の場合、衝撃も大きいのでグリーフが重症化したり、長引いたりすることもあります。亡くなったということをしっかり悲しまないと、人は前に進めないんですね」
時間とともに悲しみが和らいでいくことで、ようやく笑顔になれたと語った柏木さん。一方で、悲しみが和らぐことに罪悪感を感じる人も多いと松岡先生は指摘する。
「時間がたち悲しみが和らぐことを故人への思いが薄れていくように感じてしまう方がいるんです。でもそれは忘れることではなく、グリーフから回復するために必要なプロセス。
ケア外来では、罪悪感を抱く必要はないです、しっかり自分の人生を送ることが大切ですよという話をさせてもらっています」
山本由美子さん「開催してよかった “文さん引退式”」
31歳の年の差婚が話題となった山本文郎アナウンサーと妻の由美子さん。2014年に肺胞出血という突然の病に倒れた山本さんと死別した後しばらくは「身体中の涙が全部出るほど泣いて暮らした」という。
夫の幻覚を見るくらい落ち込んでいた由美子さんは、「引退式」というお別れの会を催したことで少しずつ気持ちが落ち着いていったそう。その引退式の準備に携わってくれた方々に、ネクタイや服を渡していったという。
松岡先生によると、亡くなったあとの葬儀や法要がグリーフから回復するステップの役割を持つ。「引退式」というのは独特だが、納骨式や一周忌といった故人を偲ぶ会は行うほうがよさそう。
「法要などの追悼行事のたびに、故人を失ったこととしっかり向き合って、少しずつ別れを告げられるようになるといわれています。由美子さんにとっても、そういう心の準備段階であったのかなと思います。
こういった法要を通じて、故人のために十分なことをしたという思いになりますから、初七日や四十九日などをきちんと執り行うのは、遺された側にとっても大切なことなんです。
手続きや準備をすることで、悲しみに浸る時間だけの偏った生活から日常生活を取り戻していくプロセスも踏めるので、実務的にもよい効果があるのかなと思います」
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それぞれの踏み出し方があるが、どうしたらいいのか思い詰めてしまう人も多い。松岡先生は残念ながら日本では遺族のためのケアはまだまだ浸透していないと語る。
「大事な人であればあるほど、悲嘆の状態は長く続いていきます。重症になると何年もうつ症状や不眠に悩まれる方もいらっしゃいます。
ですがグリーフケアが医療従事者の間でも浸透していないことから、抗うつ剤や睡眠導入剤を処方され、症状が改善されずに苦しむケースも残念ながらあります。
特に症状はないけど念のため相談しておこうかな、くらいの感覚でどんどん遺族ケア外来を利用してほしいです」
取材・文/諸橋久美子