在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。54歳でスナックをオープンし、店のママとして奮闘する。娘はアメリカに渡り、新たな挑戦を始めた。
きっかけは『鋼の錬金術師』の主題歌になった『Motherland』
「『あなた、クリスタル・ケイでしょう?』と、LAで突然黒人の女性に呼び止められたそうです。
『黒人と韓国人のミックスのあなたが、遠い日本という国で歌を何十年も頑張っているなんてすごい!』
と声をかけられたと。
『それでみんなにどれだけ大きな希望を与えているか、あなた知っているの?』
と言われたと、うれしそうに報告してくれました。海外での知名度はおそらく『鋼の錬金術師』の主題歌になった『Motherland』がきっかけでしょう。『鋼の錬金術師』は海外にもファンが非常に多く、知らず知らずアメリカにもクリスタルの存在を知る人が増えていたのかもしれません。
娘は相変わらずアメリカと日本を行き来する日々です。年末には恒例の『Billboard』でのライブがあり、その準備のため帰国しました。来年、娘はデビュー25周年を迎え、ツアーを計画しているところです。またしばらくは慌ただしい生活が続くでしょう」
シングルマザーとして、シンガーの先輩として、娘と2人、寄り添い生きてきた。娘に託す思いは人一倍強いという。
娘と二人三脚で歩み続け来年でデビュー25周年
「自分自身に対する欲というのはあまりないけれど、娘に対する欲はすごく強いと思います。娘には歌をずっと続けてほしい。いつか結婚をしてほしい。そしてできれば子どもも産んでほしい。私もそうだったけど、やっぱりわが子が一番の味方だと思うから。
ひと言でいうと、娘には幸せになってもらいたい。60歳になったときに、“ああすればよかった、こうすればよかった、なんであのときできなかったんだろう”とは言ってほしくない。“あー楽しかった、一生懸命やった、そして今も幸せ”という未来であってほしいから。
でもそのためには必死に進んでいく必要がある。娘にとって今がそのときなのかもしれません」
歌手は一生、歌をやめない人が多いんです、とシンシア。メジャーからは退いたが、シンシアも歌は続けていた。
「個人事務所でクリスタルのマネジメントを手がけながら、私も歌はずっと歌っていました。新宿の小さなライブハウスやコンサートなど、呼ばれればあちこち行きました。地元の横浜では定期的に出ているお店もあって、長者町の老舗ライブハウス『フライデー』では2年歌い、馬車道の『パラダイスカフェ』では、かれこれもう10年以上歌っています。
とはいえステージに立つのは1〜2か月に1回程度。歌で食べられるわけではなく、それどころか手弁当で出かけたり、ギャラが出ないようなケースもよくあります。娘が1回しか着ていないドレスを着て、衣装代を浮かすのもいつものこと。曲はどんなジャンルでも歌います。ポップス、フォーク、昭和歌謡も歌えば、最近のヒット曲も、アメリカの曲も何でも歌う。
今は何より自分のライブが一番楽しい。歌を歌うのは純粋に楽しい。でも楽しいと思えたのは本当にこの10年くらい。
クリスタルをLDHに託したあたりからでしょうか。業界から離れ、ひとつ吹っ切れたのかもしれません。声が出る限り、歌はこれからも続けていくつもりでいます」(次号最終回)
<取材・文/小野寺悦子>