スマホ社会の現代日本。
若者たちは黙々と動画やゲームの画面と向かい合い、用事は絵文字を含む超短文メールを素早く打つばかり。
時間を割いて他人と会って話すのは「タイパが悪い」とすら言う彼らと、「生きた」日本語の距離がいま、信じられないくらい離れたものになっています。
言い換えるならそれは、年配者との間の大きなコミュニケーションの溝。
「日本人なのになぜか日本語が通じない」という笑えない状況は、もはや見過ごせませんが、「その日本人同士と思うところが盲点」と、話すのは、言語学者の山口謠司氏。
『じつは伝わっていない日本語大図鑑』と題された一冊には、日本人ならハッとする指摘が満載。
その中から、会話が通じない「落とし穴」になりがちな日本語の興味深い例を紹介してみましょう。
「暗黙の了解」など、いまや遠い昔のこと
日本一に輝いたプロ野球・阪神の岡田監督による「アレ」の連発は、今シーズン中、大変な注目を浴びました。
「アレ」とは、すなわち「優勝」のことだと言外に込めて、そのワードを一度も発することなく、選手たちを「アレ」に導きました。
かつて、弱かったチームの監督当時、首位に手が届きそうになった際、選手全員が「優勝」を意識しすぎて硬くなってしまった苦い経験から、「アレ作戦」を用いたのだと言われています。
国語の勉強ふうに言えば、「あれ」は「物事を指し示す機能を持つ指示語」と分類されますが、何をピンポイントで示しているかは、人によって思い違いなどもあり、必ずしも全員の答えが合っているとは限りません。
それが、このたびの岡田監督の「アレ」はどうか。
阪神関係者のみならず、日本中が意味を理解。指示語の100%共有は、もう前代未聞(!?)の例でした。
と言うのも――、
今は、指示語のフォローが必要な時代だからです。
つまり、「あれ」だけでは、それぞれの人々の頭の中に浮かぶ事柄を一致させることが難しくなっているのです。
本来、同じ言葉を話し、長らく同じ時代の同じ社会で生活してきた者同士は、そうした指示語が何のことを言っているかを、自然に察知することができます。
ところが、そうした暗黙の了解は、今の若者には通用しません。
スマホ主流の機械的な環境では、「いつものあれ」といったあいまいさを、どう判断してよいやらわからないのです。
現代の若い人たちは、何を、どうしてほしいのか、具体的に言われない限り理解できないと言っても過言ではありません。
もちろん「いい感じで」「ほどほどで」……などは、NG中のNGです。
若者に伝えたいことがあれば、年配者は明確な提示を心がけなければならず、状況を砕いて説明することも、場合によっては必須です。
あいまいな言葉の理解は、各人各様
シニア世代の女性Aさんが、次のような話をしながら憤っていました。
それは、荷物の配達時間に関するトラブル。
そもそも事前に約束したのは19時ちょうど。けれど、彼女は外出先で手間取ることがあったので、帰宅を急いでもその時間にはぎりぎり間に合いそうにない……。
そこで、配達業者に「申し訳ありませんが、19時を回った頃に来ていただけませんか」と電話したら「いいですよ」と。
19時4分頃、何とか自宅に到着できたAさんだったのに、ポストの中に1枚の不在票を発見。
そこには「19時01分」と来訪時間がくっきり記されていたそうです。
確かに、1分でも過ぎたのですから、回ったことに間違いはありません。事実、若い配送業者からは「19時前には行ってないでしょ」と抗弁されたとのこと。
しかし、Aさんをはじめとする昭和世代が認識する「〇時を回る」という言葉には、ゆったりとした「間(ま)」が、その中に含まれているのです。「余裕をもってゆったりと〇時を回った頃」とでも言えば、近いでしょうか。
「昔は、こんな行き違いは、全然なかった」と、Aさんが言う通り、日本中の誰もが共通に持ち合わせていた感覚です。
けれど、昭和から平成、令和へと、時代が移るにつれて、古い言葉や感覚は、彼方に押し出されそうになっているのは、紛れもない事実です。
実際に、若者と年配者の間で、かみ合わない状態が生まれがちな「あいまいな言葉」の例を挙げてみましょう。
かみ合わない言葉とは?
【人によって異なる時間の捉え方】
*もうしばらくしたら *あとちょっとだけ *もうすぐ *そろそろ
*〇時を回ったころ *〇時くらいに
*朝イチで *午前中いっぱい
*お昼ごろ *ランチタイムが過ぎた時間で *午後イチで
*午後いっぱいまで *夕方までに *終日 *一日中
*明るいうちに *まだ陽があるうちに *暗くならないうちに
*人けがなくなったころ *夜分に *夜半過ぎに *眠くなる前に
【あいまいな状態・程度・お願い】
*いい感じで *ほどほどで *おおまかで *ゆるゆると
*だましだましで *うちうちで *ないないで
*ちょちょっと *ちゃちゃっと *ちゃかちゃかっと
*気が向いたら *疲れたら
【行為や振る舞いの認識は人それぞれ】
*しゃんとする *しゃきっとする
*ぐずぐずする *だらだらする *ノロノロする *トロトロする
*ピリッとする *パリッとした恰好をする
【自分と他人の「目分量」は違う】
*ほんの少し *ちょっぴり *ほどほどで
*ギリギリまで *いっぱい *なみなみと
他にどんな例があるのでしょうか。
「500円弱」は、500円より少し多い額?
たとえば「500円弱」と聞いて、「500円より少し多い額ではないか」と思う若者がいるようです。
「えっ」と驚く方もいるでしょう。
耳を疑う話ではありますが、「弱」=「少し多い」という意味に捉えている現代の若者が少なからずいるのです。
すなわち「500円弱」なら「500円+弱」であり、さしずめ510円とか520円といったところでしょうか。
NHK放送文化研究所が、「若者と言葉」について最近行った調査結果によれば、たとえば「7割弱」のことを「70%以上」とした回答が、20代では19%あったそうです。では、「7割強」をどう解釈しているかというと、若者全体で「75%~」という、ややオーバー気味の答えが目立ったといいます。
「~弱」や「~強」という言い方も、若者にはあまりなじんでいないのは事実のようですが、いずれにせよ、間違いはきちんと正さなければなりません。
500円弱とは、500円に満たない480円とか490円などのことだと、誰か大人は教えてあげるべきです。
実は、似たような例が、時間の解釈関係でもう一つ存在します。
これもまた上の世代は知っておくべきです。コミュニケーションの溝をさらに深くしな いためにも――。
【時間における若者の解釈:推理クイズ】
問:「6時10分前」を5時50分のことだと思っていない若者がけっこういます。では、何時何分を意味していると思っているのでしょう。
(※答えは、記事の最後に)
では、広がってしまったコミュニケーションの溝を埋めるためには、どのようなことを意識したらいいでしょうか。
会話のズレを防ぐ3つのコツ
(1)「あいまいさの尺度」が必ずしも会話相手と合致するとは限らない、と心得る
自分と他の人との頭の中では、指し示すモノが違っているかもしれないと思えば、選ぶ言葉も自ずと慎重になるはず。
(2)時間や数字などをはっきり具体的に伝える
たとえば「30分後に」「7時から7時15分の間に」などと。
幅を持たせる「くらい」「ころ」の使用は慎重に。「4時くらいに」と言うと、3時半過ぎから範疇内とする人もいれば、4時半まではOKと思う人もいて、さまざま。
(3)共通のモノサシを用いる伝え方も
「夜9時のニュースが始まるまでに」と、共通認識できるものを指し示してもよい。
【時間における若者の解釈:推理クイズの答え】
「6時8分、あるいは9分」
つまり「6時10分の『少し前』」と捉えているのですね。
山口 謠司(やまぐち ようじ)Yoji Yamaguchi
大東文化大学文学部教授
1963年、長崎県佐世保市に生まれる。
大東文化大学文学部中国文学科教授。中国山東大学客員教授。博士(中国学)。大東文化大学文学部卒業後、同大学院、フランス国立高等研究院人文科学研究所大学院に学ぶ。ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現職。
著書にはベストセラー『心とカラダを整える おとなのための1分音読』(自由国民社)、『語彙力がないまま社会人になってしまった人へ』(ワニブックス)などがある。