2人に1人がかかる国民病“がん”。以前は「死の病」と言われるほど死亡率が高かったが、いまは、がんになっても65%の人が5年以上生きている。もはや「がん=死の病」ではなくなった。
「5年どころか、10年20年生きる人も珍しくありません。がんサバイバーとして日常の暮らしを長く送るうえで、日常生活の悩み、たとえば日々の食事は何に気をつければいいのかといったことが気になる人もいます。実際、私も患者さんからそういう質問を受けることもあります」
と言うのは、がん専門医で、産業医科大学病院の佐藤典宏先生だ。ところが……
質問に答えない医者たち
「がんを再発させないためには何を食べたらいいですか?」
「がん患者におすすめの食材ってありますか?」
これらの質問に、多くの医師は残念ながら答えてくれない。医師は患者の治療や、自分の専門分野の研究で忙しく、それ以外のことについて勉強する余裕がないというのが理由のひとつ。だが、もっと大きな理由があるという。
「『がん患者さんはこれこれを食べるといいですよ』などと医師が食事に関して何か言うと、そのとたんに“インチキ”や“やぶ医者”というレッテルをまわりの医師から貼られてしまうのです」(佐藤先生、以下同)
一部の医師が「これを食べれば、がんが消える」といった情報を流しており、苦しい抗がん剤治療やリスクのある手術をしなくても「食事だけでがんが治る」と、安易に治療を放棄してしまう患者さんが一定数いるという。
「特定の食事でがんが消えると断定できるような科学的根拠はこれまで一切証明されていません。がん治療の選択は命に直結することですから、そういう不正確な情報を医師が発信するのは大きな問題だと思います」
そのため、多くの医師は食事に関して言いたがらないのだ。
「私も最初はそうでした。しかし、患者さんから食事について聞かれることも増え、『食べ物はがんの治療とは関係ないので何を食べてもいいですよ』とか、『バランスよく食べていれば大丈夫です』としか答えないのは、医師として無責任なのでは、とあるとき思ったのです」
近年急増した「食事とがん」の研究データ
佐藤先生がこう思うようになった背景には、がんになったお母さまの存在もあるという。
「私が高校生のころ、母親が乳がんになり、昔のことですから乳房をすべて切除しました。術後は再発の不安におびえる日々。やはり、どんな食事がいいのか気にしていました。ただ、インターネットもまだなく、周囲の人の情報などから怪しい健康食品に手を出したことも……。もしそのときに、食事に関する知識が自分に少しでもあれば、母をもっと安心させることができたかも、という思いもあります」
佐藤先生は6~7年前からがんと食事の関係を積極的に調べるようになった。すると、以前にはあまりなかった食事に関する科学的なデータが近年になって急増していることがわかったのだ。
「これまでは、食事の研究にお金を出す企業は少なく、研究そのものがあまり行われていませんでした。ですが、アメリカやヨーロッパを中心に食事が関係していると思われる大腸がんが増えているせいか、近年、食事の研究にも研究費がつくようになっていたのです」
研究が増えたおかげで、キャベツやブロッコリーといったアブラナ科の野菜に含まれる成分にがん細胞の増殖を抑える効果が見つかったり、大豆などに含まれる成分には、がん細胞が栄養を集めるのを邪魔する効果が判明した。
「いまあるがんを消しはしませんが、がんのリスクを下げる効果のある食材が、徐々にですが、科学的に認められてきたということです」
また2022年には、ノーベル賞を受賞したことでも話題になった免疫チェックポイント阻害薬の治療効果が腸内環境と密接に関係しているという報告が。腸は食事の影響を直接的に受けるので、ふだんの食生活によって薬の効き目が変わってくる可能性があるということだ。
「今年に入ってからも、果物や野菜、魚、オリーブオイルやナッツなどをよく食べる“地中海食”と呼ばれる食事スタイルが、がん患者の治療効果を高め、生存率をのばしたという研究結果がアメリカの科学誌で報告されています」
佐藤先生はいまなら食事とがんに関して役立つ情報を伝えられると考え、診察室で患者さんに伝えつつ、書籍やYouTubeでも積極的に発信するようになった。
「患者さんからは『大半のがんの医者は食事の大切さを教えてくれないので助かります』といった声をいただいています。なかにはSNSで『トンデモ医者がまたいい加減なこと言ってる』といった批判的なコメントをもらうこともありますが、がん患者さんの日々の暮らしの役に少しでも立てたらと思い、これからも情報を発信していきたいと考えています」