在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。54歳のとき会員制スナックをオープン。ママとして奮闘し、'23年の1月、60歳の還暦を迎えた。
60歳の還暦をクラブでお祝い
「『クラブ(ディスコ)でやればいいじゃん! クラブで60歳の誕生日とか聞いたことないじゃん!』。クリスタルにそう言われ、60歳のバースデーパーティーをクラブで開こうと決めました。とはいえ娘にそのアレンジができるはずもなく、私自身ですべて手はずを整えています。
私の誕生日は1月で、準備に取りかかったのは前年の秋から。会場は麻布十番の有名クラブを貸し切りました。
会場はミラーボールがきらめくディスコティックな雰囲気で、クリスタルがDJをして盛り上げてくれました。ドレスは衣装さんに頼んだもので、赤のボディコンシャスなミニに赤い羽根のストール。赤いちゃんちゃんこならぬ、赤いベティちゃんのイメージでしょうか。
当日は業界関係者の方、ディスコ時代の友達、お店のお客さんなど、200人以上の方が駆けつけてくれました。みんなと記念写真を撮っては、乾杯して、大笑いして。私は始まって1時間で早くもベロベロになっていたようです。
記念すべき夜だったはずなのに、思い出そうとしてもほとんど記憶がありません」
60歳の節目を迎えたシンシア。改めてこれまでの道程を振り返る。
ディスコで還暦パーティー「娘に生かされた人生」
「この60年間を振り返り、あのときこうしておけばよかった、ということはほとんどありません。これまでの人生に後悔はなし。ひとつだけ言うならば、勉強はもっとしておけばよかった。17歳で学校をドロップアウトしたことを、今になってちょっぴり悔いています。
破天荒に生きてきました。家を飛び出し、親も泣かせた。娘を授かり、シングルマザーとして必死に生きてきた。裏切られ、打ちのめされ、もう死んでしまいたいと思ったことが何度もあった。私がここまで生きてこられたのは、やっぱりクリスタルがいたから。クリスタルがいるから頑張れる。娘に生かされている感がある。もし娘がいなければ、こんなダメな女はとっくにこの世から消えていたはずです。
世の母というのはそういうものなのか、人によっても違うでしょう。ただ私たちは、We only have each other。私と娘は2人きりで、ずっとお互いしかいなかったから」
手探りで始めたスナックで、第二の人生を切り開いてきた。60歳を機に、この先の人生に思いを馳せる。
「店をオープンしたとき、とりあえず5年頑張って続けてみようと決めていました。実際60歳になったとき、感覚としてまだあと5年は頑張れそうだと思った。今はとりあえず65歳まで頑張って店を続けようという気持ちでいます。
65歳になったとき、また改めてその先どうするか考える。横浜に戻って違う店をやるかもしれないし、このままここで店を続けるかもしれない。もしかしたら店を畳むかもしれない。
でもいろいろな占い師にみてもらったところ、私は死ぬまで働くと、口をそろえて言われます。はたしてどうなるのか、先のことはわからない。これまでも直感に従って生きてきました。だからこの先どこに向かって進むのか、私自身もわからない。今はただ次のひらめきを待っているところかもしれません」(完)
<取材・文/小野寺悦子>