「やっぱ、俺ダメだ!」
ステージで突然、泣き崩れた近藤真彦。2023年11月28日、東京・府中市で行われたライブのクライマックス。『愚か者』を歌おうとして突然、座り込んでしまった。この曲の詞を書いた伊集院静さんが4日前に亡くなっており、感情を抑え切れなかった。2分後、ようやく歌い直すも、声はずっと震えたまま。「こんなマッチ初めて見た……」と、客席のファンは驚きの声を漏らした。
マッチをよみがえらせた『愚か者』
伊集院さんは、1992年に小説『受け月』で直木賞を受賞。人気作家として筆を執りながら、『伊達歩』名義で作詞家としても活躍した。
「マッチは、1980年に『スニーカーぶる~す』で歌手デビュー。16歳でミリオンヒットを飛ばします。そのカップリング曲『ホンモク・ラット』の作詞が伊集院さんでした。1981年に出した『ギンギラギンにさりげなく』はマッチのヤンチャなイメージとシンクロして代表作になりました。伊集院さんの斬新な言語感覚が光る名曲です」(音楽ライター、以下同)
アイドルとしての人気が陰りを見せ始めた1987年に、伊集院さんが彼をよみがえらせる。
「それが『愚か者』でした。夜の酒場をさまよう男を描いた詞で、悲しみと人生の苦さを歌いました。それまでの元気で軟派なイメージから脱却し、渋い大人の魅力を見せたのです」
“借金だらけの生活が楽になった”
伊集院さんと近藤の絆が深かったからこそ生まれた名曲。2人は互いのことを“兄弟”のように感じていた。
「マッチは22歳のときに母親を亡くしています。落ち込む彼を一晩中、見守って慰めたのが伊集院さんでした。伊集院さんの弟は10代で遭難死しており、つらいことがあっても弟に恥ずかしくない人生を送りたいと思って乗り切っていると語りかけたそうです」
近藤をよく知る音楽業界関係者は、2人の関係は特別だったと語る。
「マッチは人を憎まないし、裏切らない。だから年上、年下を問わず、誰からも好かれています。黒柳徹子さんや森光子さんは、マッチの母親代わりになっていた。伊集院さんも同じでしょう。間違いなくマッチの兄貴的な存在であり、父親の部分もあったかもしれません」
どちらにとっても、かけがえのない大切な人だった。
「伊集院さんは“マッチの曲が売れて、借金だらけの生活が楽になった”と、感謝していました(笑)。マッチにとっては、人生の節目に厳しくも温かい言葉をくれる人だったんだと思います」(音楽業界関係者、以下同)
冒頭のステージで泣いてしまったのは、頼れる人がいなくなったことを実感したからかもしれない。
「『ギンギラギン〜』を作曲した筒美京平さん、『愚か者』を作曲した井上堯之さんも鬼籍に入りました。伊集院さんが亡くなり、マッチは歌の世界でひとりぼっちになってしまった。2024年にはマッチも60歳。これからは伊集院さんたちの思いを背負って、新しい歌をファンに聞かせていかなければなりません」
伊集院さんはきっと、天国の“愚か者の酒場”から優しく見守ってくれている。