上岡龍太郎さんが亡くなったことが発表されたのは、2023年6月2日のことだった。
「亡くなったのは5月19日で、死因は肺がんと間質性肺炎でした」(スポーツ紙記者)
上岡さんの弟子だったぜんじろうは、発表の少し前に知らされていたという。
“殺気に満ちた目で来たから”
「ただ、お葬式は身内だけで行い、お別れ会もなしだったので、いわゆる“お別れ”はできていません。でも、不思議なことに、亡くなってからのほうが師匠のことを考えるようになりましたね」(ぜんじろう、以下同)
上岡さんに弟子入りしたのは、1987年。
「大阪の街で、初めて見た芸能人が上岡龍太郎だったんです。で、一緒にいた友達を笑かそうと思って“弟子にしてや”とふざけて言いにいったら“いいですよ”って言われたのがスタート。後から聞いたんですが、そのとき“殺気に満ちた目で来たから”というのが理由だったそうです」
師匠としての上岡さんは、
「世間一般の常識を教えてくれるような方じゃない」
のだそう。
「僕はよく遅刻をしていたのですが、普通はまず“謝れ”となりますよね。でも、師匠は絶対怒ったりしないんです」
上岡さんは、次のように口にしたという。
「こういうときこそ、笑かしなさい。勉強できない、スポーツできない、遅刻もする。そういう社会からドロップアウトした人間が、この世界に入ってくるんです。遅刻もせんような人は芸人にならないです。遅刻するようなヤツやからこそ、芸人になりました。そこで謝るんなら今すぐサラリーマンになりなさい」
そして、改めて遅刻の理由を問われると……。
「そこでふっと出たのが“向かい風”でした。それがすごくウケて“合格です”って。もちろん、スベったこともありましたね。そういうときは“おもんないです”って。遅刻したことよりも面白くないことを怒られました」(ぜんじろう、以下同)
“芸人”としての生き方を学びながら、ぜんじろうは20歳を迎えた。
「そのときに、弟子を卒業したと思っています。“君、ちょっと伝えたいことがある”と、新地のクラブに呼ばれて“ま、お酒飲みなさい”って言われて」
《しばしの栄光に酔おうではないか》
そこで伝えられた言葉は、今でも覚えているという。
「つらいときは飲みなさんなよ。お酒を飲んだから楽しいんじゃなくて、楽しいからお酒を飲みなさい。人生もそうです。成功したから楽しいんじゃなくて、楽しいから生きなさい。芸人もそうです。レギュラーが増えたとか、笑いが取れたから楽しいんじゃなくて、楽しいからこの世界でやりなさい」
ただ、弱冠ハタチのぜんじろうには、難しかったそう。
「“おっちゃん、話が長いな”なんて思いながら聞いていました(笑)。でも、改めて思い出すと、すごい哲学を教えていただいていたんだなと思います」
上岡さんは55歳で芸能界引退を宣言。58歳で引退した。
「僕も今、55歳になりましたが、命ある限りは芸人をやっていこうと思っています。最近の若い人は上岡龍太郎を知らないんです。“ヨガの人ですか?”なんて言われるんですが、それ、片岡鶴太郎さんですからね(笑)。なので、上岡龍太郎という素晴らしい芸人がいたことを若い人にも伝えていきたいです。そこでスベったら師匠のせいにしますね! それもあなたの教えですからね!」
ぜんじろうが、宝にしている上岡さんからの手紙には、こう記してある。
《殺気に満ちた目をいつまでも。長いものには巻かれるな。大樹の陰にはよりつくな。いつか落ちるんだ。しばしの栄光に酔おうではないか。上岡龍太郎》─。