雅子さま(60)

 '24年元日、新たな年の到来に喜ぶ声もつかの間、予想だにしない大災害が発生した。

両陛下のご意向

「午後4時ごろ、石川県能登地方を震源とする地震が発生し、一部地域では最大震度7を観測しました。地震に伴い、津波や火災が起こるなど被害は甚大で、こうした状況を鑑み、2日に予定されていた新年一般参賀の中止が宮内庁から発表されました。中止の判断には、両陛下のご意向が反映されたそうです」(皇室ジャーナリスト、以下同)

 一般参賀は、毎年1月2日に皇居内で行われる。天皇、皇后両陛下が皇族方とご一緒にお出ましになり、新年の祝賀をお受けになる行事だ。

「コロナ禍の'21年と'22年は感染症対策のため取りやめとなりましたが、自然災害の発生を理由とする中止は初めてのこと。今年は4年ぶりにほぼコロナ禍前の状態に戻して行われる予定でした」

 以前から皇室の方々は、自然災害等での被災者たちへ心を寄せられてきた。

「'95年1月、阪神・淡路大震災が発生。上皇ご夫妻(当時天皇、皇后両陛下)は、そのわずか14日後、まだ余震が続く被災地を訪問されました。おふたりは避難所の体育館へ赴き、被災者の話に耳を傾けられました。その際、スリッパも履かれず、冷え切った床に膝をついて被災者の目線に合わせ、背中をさすって励まされたことは、これまでの皇室像を覆すものであり、多くの人の印象に残りました」(地方紙記者、以下同)

 特に美智子さまの振る舞いは話題を呼んだ。

「被災の心労からか、美智子さまの前で女性が急に泣き崩れるというハプニングが起こりました。しかし、美智子さまはその女性を抱きとめられ“つらかったでしょう”とお声がけされたのです。

 また、被災地を後にするためバスに乗り込まれた美智子さまは、見送りに来た人々へ窓越しに“がんばってください”という意味の手話を繰り返されていたそうです」

東日本大震災発生時にもたゆまぬ支援

阪神・淡路大震災の避難所で膝をついて被災者を励まされた('95年1月)

 '11年3月に東日本大震災が発生した際も、ご夫妻はたゆまぬ支援を続けられた。

「地震発生直後、おふたりは“できるだけ早く見舞いたい”とのご意向を示されていたそうです。そのお言葉どおり、3月末から5月にかけて、7週連続で福島県や宮城県などの避難所を訪問されました。困難な状況にいる国民に対して常に心を寄せる“共感”の姿勢は、上皇ご夫妻が始められたのです」(前出・皇室ジャーナリスト、以下同)

 こうした平成流の交流は、雅子さまにも継承されている。

「阪神・淡路大震災発生後、両陛下は海外訪問の日程を途中で切り上げて帰国し、2か月連続で被災地を見舞われました。雅子さまも美智子さまと同じように膝をついて被災者にお言葉をかけられました」

 その姿勢は皇后になられた今でも変わらない。

'23年6月、岩手県にある復興のシンボル『キャッセン大船渡』を訪問された両陛下

「昨年6月に開かれた『全国植樹祭』へのご出席のため、両陛下は岩手県を訪問されました。1泊2日という短い日程の中、東日本大震災からの復興の象徴となった陸前高田市にある『奇跡の一本松』をご視察。さらに、復興のシンボルとして整備された商業施設『キャッセン大船渡』も訪問され、雅子さまは、そこで働く被災者たちに、終始穏やかな表情で激励のお声がけを行われていました」

 皇后となり、“美智子さま流”を受け継ぐ雅子さまだが、

「かつて、おふたりの間には確執があると噂されていました。そのきっかけとなったのは、雅子さまのお世継ぎを巡る問題だといわれています。雅子さまはなかなか子宝に恵まれず、不妊治療や流産を経て、ようやく愛子さまご誕生に至りました。

 しかし、その後も男子のお世継ぎを求める強いプレッシャーは収まらず、雅子さまはご体調を崩されてしまう事態に。この一端が、美智子さまによるものではとの臆測が飛び交い、おふたりの“不仲説”が囁かれたのです

美智子さまへ敬愛の念

'23年12月、上皇さまのお誕生日写真。美智子さまの近影に心配の声も

 しかし、雅子さまは皇室に入られてからずっと変わらず、美智子さまへ敬愛の念を抱かれている。

「お代替わりを直前に控えた'18年5月、美智子さまは自身が名誉総裁を務められていた日本赤十字社の全国大会にご出席されました。降壇の際、美智子さまはある意外な行動を取られたのです。次期名誉総裁となることが決まっていた雅子さまを傍らに呼ばれ、会場にいる人々に紹介するようなしぐさをなさいました。この出来事について雅子さまは“認められたようでうれしかった”と周囲に漏らしていたといいます」(宮内庁関係者、以下同)

 しかし現在、美智子さまの体調が不安視されている。

「昨年末、上皇さまのお誕生日に際して、ご夫妻の写真が公開されました。そこに写る美智子さまは以前よりも、かなりお痩せになっていて……。また、耳の聞こえが悪くなられていることに加え、立ったり座ったりといった日常動作もままならず、上皇さまが“大丈夫?”とお声がけされることもあるそうです」

 名古屋大学大学院の河西秀哉准教授は体調不良の原因について次のように分析する。

「30年間皇后を務められ、平成の時代からすでに満身創痍だったと思います。史上初となる民間出身の皇太子妃として注目を集めた美智子さまは、ご公務で国内外問わず、いろいろなところに赴かれました。皇太子妃時代から無理をされてきて、退位後にどっと疲れが出たことも原因のひとつでしょう。最近は美智子さまへの誹謗中傷が絶えません。こうした状況も負担となっておられるのでしょう」

 そんな満身創痍の美智子さまを支えているのが雅子さまだという。

「コロナ禍で美智子さまは、ご家族やご友人と会うこともままならなかったと推察します。ご交流ができなかったことも、ストレスになっておられるのでしょう。去年、美智子さまのお誕生日に雅子さまや愛子さまがお訪ねになるなど、現在の天皇家は、ふだんから美智子さまの心の支えになっておられるのではないでしょうか」(河西准教授)

 美智子さまから受け継がれた平成流とともに、令和の国母は輝き続ける─。

河西秀哉 名古屋大学大学院人文学研究科准教授。象徴天皇制を専門とし、『近代天皇制から象徴天皇制へ―「象徴」への道程』など著書多数