「私は、非常に楽しみにしているということですね」
佳子さまが生まれる約1か月前の1994年11月、29歳の誕生日を前にした記者会見で記者たちから「2人目のお子さまを持たれる心境をお聞かせください」などと尋ねられた秋篠宮さまは、このように新生児へ期待を寄せた。会見に同席した紀子さまも、同じ質問に次のように答えた。
紀子さまのお言葉
「娘の眞子のときと同じように、子を迎える親の幸せな喜びの気持ちは同じでございます。(略)体調も比較的安定しておりますのでありがたく思っております。身体に気をつけながら穏やかな気持ちで大切な日を迎えられますよう心がけております」
'90年6月29日に結婚した秋篠宮ご夫妻だが、翌'91年10月23日には長女・小室眞子さんが生まれた。新聞などによると、2人目のお子さまを妊娠した紀子さまに'94年12月28日午前の定期健診で本人が自覚しない程度の弱い陣痛が確認され、この日の午後、皇居内の宮内庁病院に入院することとなった。彼女はクラシック音楽のCDを聴いたり、読書をしながら穏やかな時間を過ごし、年の瀬が迫った翌29日午前9時20分、女の子(内親王)を出産した。
身長50・5センチ、体重は2766グラムの内親王に29日午後、上皇さま(当時は天皇陛下)から守り刀と袴が贈られた。夕方には、秋篠宮さまと眞子さん、上皇ご夫妻と黒田清子さん(当時は紀宮さま)、それに天皇、皇后両陛下(当時は皇太子ご夫妻)が紀子さまを見舞った。
年が改まった'95年1月4日、一般のお七夜にあたるこの日、紀子さまが入院する宮内庁病院で「命名の儀」が行われ、次女の名前は「佳子」に決まった。宮内庁によると、年末年始、両殿下が相談して紀子さまと同じようにまず、2音の名前を考えたらしい。
「佳」には「美しい」「すぐれている」などの意味がある。健康で素直で思いやりがあり、心身ともに「佳(よ)い子」に育ってほしいという、両親の願いが込められた。
身の回りの品につける「お印(しるし)」は「ゆうな」に決定した。「ゆうな」はハイビスカスの一種「オオハマボウ」の沖縄地方の呼称である。暖かい地方の海岸近くに生える小高木で、夏に淡く美しい黄色の花をつけるが、南国の花のイメージが強い「ゆうな」を秋篠宮ご夫妻はとても気に入っていた。
佳子さまは、連続8人目となる女性皇族
6日午前、紀子さまの腕に抱かれた佳子さまが宮内庁病院を退院した。身長は誕生時と変わらなかったが、体重は2848グラムと、出生時より82グラム増え、成育は順調だった。
《皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する》と現行の皇室典範に定められ、女性皇族は天皇になる資格がなく、結婚すると皇室を離れることになる。こうした男性中心の皇室にあって1965年11月30日の秋篠宮さまの誕生を最後に、2006年9月6日、佳子さまの弟である悠仁さまが生まれるまで丸41年近く男子の誕生はなかった。皇位を安定的に継承する上で危機的な状況が続いていた。ちなみに佳子さまは、連続8人目となる女性皇族の誕生だった。
こうした状況を受け、皇位の継承者である男子の誕生を待ち望む国民の声は次第に大きくなり、宮内記者たちもそうした事情を考慮していろいろと質問を試みていた。前述した
'94年11月の誕生日会見で秋篠宮さまは、「今度のお子さまは男のお子さまがよろしいか、女のお子さまがよろしいか、何かご希望はございますか」と、記者たちから尋ねられている。これに対して、
「男親としては何となく女の子が欲しいような気がしているんですが、間近になってきますとですね、やはり、何ていうんでしょうかね、元気な子であれば、もうそれは男女の性別ということではなくて、それでいいのではないかなと、そういうふうに思っております」と、答えている。
皇室は男性中心の世界であると前に述べたが、実は上皇さまも秋篠宮さまも、かねて女性皇族の存在や役割を高く評価しているのだ。'05年12月、誕生日を前にした記者会見で上皇さまは次のように女性皇族へのエールを送っている。
「皇室の中で女性が果たしてきた役割については私は有形無形に大きなものがあったのではないかと思います。(略)女性皇族の存在は、実質的な仕事に加え、公的な場においても私的な場においても、その場の空気に優しさと温かさを与え、人々の善意や勇気に働きかけるという、非常に良い要素を含んでいると感じています」
「女性皇族、男性皇族という違いはまったくない」
また'06年11月、誕生日を前にした会見で、秋篠宮さまもこのように述べている。
「女性皇族の役割についてですけれども、私は私たちと同じで社会の要請を受けてそれが良いものであればその務めを果たしていく。そういうことだと思うんですね。
これにつきましては、私は女性皇族、男性皇族という違いはまったくないと思っております」
'23年の佳子さまは多忙だった。7月、「東京都障害者ダンス大会ドレミファダンスコンサート」に出席し、パフォーマンス終了後、障害のある参加者たちと懇談した。8月には「全国高校生の手話によるスピーチコンテスト」に出席し、手話でおことばを述べるなど、国内各地の行事に精力的に参加した。
そして11月1日から10日まで、日本との外交関係樹立150周年の節目を迎えた南米ペルーを公式訪問した。ボルアルテ大統領を表敬訪問し歓迎の昼食会や記念式典に出席し、両国の友好親善関係が末永く続くようにスピーチするなど国際親善に尽力したのだ。
ニュースなどで伝わってくるペルー訪問時の佳子さまは、まさに行く先々で「その場の空気に優しさと温かさを与え、人々の善意や勇気に働きかける」存在だった。さらに20代の若さが、彼女に輝きを与えていた。多くの国民は、若い女性皇族に大いに期待しているに違いない。'24年は国内や国際舞台で、佳子さまの活躍の場が大きく広がるはずだ。
<文/江森敬治>