「おひとりさま」が増えている。おひとりさまと称される単身世帯の数は40年で2倍以上になり、増加率も約15%に達する(1980年と2020年の比較。国立社会保障・人口問題研究所の統計データ)。
物価上昇、増税や年金の減少など、独り身の将来不安は募るばかり。そんな中でも力強く生きる、50代のおひとりさま2人に話を聞くことができた。
「結婚はしない、子どもも産まない。物心つくころから自分ひとりで生きていくことを決めていました」
こう話すのは、認知症の母親を介護しながら介護職で奮闘する平岡びょう(以下、びょう)さん(56)。
早くからおひとりさま道を志していたわけだが、びょうさんには結婚歴がある。家賃節約のため20代前半から数年同棲していた男性の親に「みっともないから入籍だけして」とせがまれ、やむなくだったという。
「結婚生活は1年半余りで破綻。『○○さんの奥さん』とくくられることに不快感を覚えたのと、元夫のやっていた飲食店経営が傾いて生活費を入れられなくなったのが原因です」(びょうさん、以下同)
営業職を経て派遣社員として働く30代のころだった。
自立する大切さを教えられて育った
びょうさんの両親も一度離婚しており、びょうさんはそのせいで大学退学を余儀なくされた経験がある。
「両親は私が子どものころから不仲でした。父にモラハラを受けていた母は、結婚せずひとりで生きる力を身につける大切さを私と姉によく説いていたんです。でも夜逃げや離婚を望んだ母は、のちに父と復縁。いま思えば“共依存”の関係だったのでしょう」
そんな複雑な家庭に育ち、自身の離婚後、晴れてひとり暮らしを始めるも、さらに苦しい生活を強いられることに。不況で派遣の仕事が激減したからだ。
「アルバイトをいくつか掛け持ちし、吉野家の牛丼がごちそうというレベルの貧乏生活でした。脱する術ばかり考えていました。それで、中古衣類のネット販売を始めたんです」
ネット販売の個人事業は順調に推移。これから軌道に乗るという矢先、びょうさんは思わぬ知らせを受ける。
「父のがん罹患です。大腸がんで余命半年の宣告でした」
30代半ばのことだ。
末期がんの父をひとりで自宅介護
ショックを受け、放心状態の母親を支えるべく、実家に戻ったびょうさん。頑固で強かった父親も打ちひしがれていたが、抗がん剤が効き仕事復帰を果たす。
しかし余命宣告から約5年後、再びがん細胞が大きくなり入院。その後病院への不信感から、在宅医療へ切り替えたという。
「父が亡くなったのはそれから約1か月後です。姉は家を出ており、母はモラハラだけでなく“乱暴されるんじゃないか”という恐怖から父と距離を置いていたので私ひとりで介護や看取りをしました」
訪問看護の看護師に介護のイロハを教わり、父親の食事から下の世話までサポート。
末期には、尿道から便が出るなど壮絶な症状もあったが、痛みを緩和する麻酔でせん妄状態になりながらも、穏やかな最期だったと振り返る。
「享年84歳でした。人はこうやって終わっていくんだと、父が身をもって死の在り方を見せてくれました。また、このときの介護経験がのちに介護の仕事につながったことにも感謝しています」
母の介護のために夜勤の仕事を選ぶ
父親の死後、実家で母親と暮らす日々を送る。だが平穏な毎日は続かなかった。今度は母親が認知症になったのである。今から6年前だ。
「ひとりで病院にも通えるし、買い物もできたので安心していたのですが……。認知症とわかった後、引き出しから大量の薬や買いだめした鰹節が出てきたりもしました。薬を飲まずにため込んだり、同じ食品を買い続けるのは、認知症の傾向のひとつです」
びょうさんは母親の介護や先行きの生活、自身の老後などを見据え、個人事業をやめて就職することを決断する。
「自営業だと収入は安定しないですし、新しい住まいを借りるのも難しい。母の年金も国民年金のみで生活はカツカツ。就職し厚生年金をもらえる仕事がベストと考えて、介護職に注目したんです」
こうして50歳のとき、介護職に飛び込んだのだ。
なるべく多く稼ぐため夜勤に。ひとり泣きながら奔走する夜も
びょうさんが就いたのは「夜専(夜勤専従)」と呼ばれる介護職。その名のとおり夜勤のみを仕事とし、必要な資格を取得して臨んだ。
「最初は資格がいることすらも知らずに志望しました。父の介護で下の世話は苦ではなかったですし、夜専なら日中の時間を自由に使えます。何より夜専のほうが稼げるんです。
たくさん稼げば不安は払拭され、贅沢もできますからね。実際、夜専で2、3の介護施設を掛け持ちし、月に50万、60万稼ぐ人もいます」
だが夜専の仕事は決して楽ではない。むしろ過酷極まりない。びょうさんはこれまで3つの介護施設で夜専を務め、つらい思いを何度も経験している。
「認知症患者の暴言、暴力に心をえぐられる。噛まれたり、杖で叩かれたり、セクハラ発言も珍しくない。それでも結局は我慢するしかなく、離職者が後を絶たない職場なんです。
2か所目の介護施設は30人の入居者に夜勤は私ひとりでした。泣きながら奔走し、体制変更も聞き入れてもらえない。
ワンオペ夜勤中に転倒し気を失ったことがあったんですが、同様の状況で亡くなった女性のニュースを見て、もう限界と思い、今年の2月に今の職場に転職しました」
元気でいられるあと10年を大切に
人生100年時代といわれ、超高齢社会に突入している。しかしびょうさんはそう捉えていない。
「介護の現場にいると、60代くらいで脳梗塞などを発症する人をよく目にします。人生100年に現実感はなく、50代のいまから実際に身体の自由が利くのはあと10年程度と痛感しますね。だからこそ、好きなことを早いうちに楽しみたいと思っています」
夜勤や母親の介護の一方、旅行やドライブ、美術鑑賞など多くの趣味をひとりで満喫。誰かのためではなく、自分のために存分に時間を費やせる喜びを味わっている。
「本音を言えば、遊びより仕事に楽しさを見いだしたいです。お金がないと遊べないですが、仕事ならお金はいらず経験を積めるので。介護職がなくなった場合の次なる職として、タクシーの女性運転手はどうかなと考えています」
寂しいでしょって言われるけれど、いまが一番満ち足りていて幸せ
50歳のとき、1LDKの中古戸建てを購入し、お気に入りの住まいでおひとりさまライフを送るrumae(以下、ルマエ)さん(57)。もとは夫と娘の3人暮らしだったが、1つ年上の夫に先立たれ、いまは愛犬とともに過ごす日々。
「25歳で結婚し、29歳で長女が誕生しました。主人とは39歳のときに死別しています。もともと肝臓に持病があったんですが、こんなに早く亡くなるとは思っていませんでした」(ルマエさん、以下同)
そこから女手一つの子育てが始まる。ひとり娘は当時9歳。パート先で正社員に登用してもらった給料と遺族年金を得てやりくりしたが、長女が私立高校に進んだため家計は火の車となった。
「高い授業料のほか、塾や習い事代で教育費の負担が大きい。働きづめの毎日でした。体調が悪くても仕事を休むことができず、家事も全部ひとりでこなさないといけない。そういった大変さを理解してくれる相手がいなかったのもつらかったですね」
加えて、子どもの反抗期に悩まされたという。
「仕事が忙しく、娘の学校行事に十分参加することができなかったからでしょう。また、ひとり親のコンプレックスもあったはずです。いまでも娘に『愛情が足りなかった』などと言われるので。
ただ仕事を頑張ったからこそ、娘の希望の高校や専門学校に通わせることができた。そう話すと納得してくれます」
就職と同時に子どもは家を出て独立。そのころ50歳目前だったルマエさんに更年期障害の症状が現れるように。不調に苦しみ、病院通いの日々を送る中、大きな転機が訪れる。
「“断捨離”をしたんです。ミニマリストさんのブログを見て、すごく心地いい暮らしをしているのが伝わってきたから。かたや自分の部屋はモノだらけで気持ちも鬱々としている。ひとり暮らしになったので終活も兼ね、身軽になりたいと思って実行しました」
ベッド、食器棚、チェストなど大型家具を処分。アクセサリー、カバンや洋服類など不用品は宅配買い取りで現金化。2年余りかけて断捨離したら、次々とツキが巡ってくるようになったそうだ。
小さくて落ち着く終のすみかとの出会い
「まず転職に成功しました。仕事量の多さと責任の重さでストレスフルだった職場から、居心地のいい、いまの職場に運よく移れました。次に新しい住まいとの出会い。これが一番の幸運ですね」
冒頭、紹介した中古戸建てのことだ。老親が暮らす実家近くと予算内の条件でネット検索したら、築20年、20坪の敷地に立つ掘り出し物件を発見。
「内覧してひと目で気に入りました。木目調の室内に気持ちが落ち着き、2階のリビングは20畳と広く、1階の和室も10畳もある。価格はお手頃の1400万円。20年ローンで買いました」
このとき入れた頭金500万円は断捨離のついでに、個人年金保険を解約して得たもの。家財だけでなく家計の断捨離も行ったのだ。さらに前述した不用品売買で得たお金などを元手に投資にも挑戦。老後資金を順調に増やしているというからすごい。
一方で愛犬2匹には保険代などそれなりにお金がかかるが、これは必要経費と認識しているとか。
「保険は年8万円かかることもあり、おひとりさまの私には安い金額ではありません。でも犬は癒しの存在ですし、この子たちがいるから仕事を頑張れる。生きるモチベーションになっているんです」
仕事から帰宅し、家事などの用事を全部すませ、犬に囲まれて好きな映画やドラマを見るのが至福の時という。
「周囲に『ひとりだと寂しいでしょう』と聞かれますが、そんなことは一切ありません。穏やかでストレスフリーないまが一番幸せ。思えば主人にも気を使い、夫婦関係も良好ではなかったので」
再婚への考えはないものの、週一で会って時間を過ごせるようなパートナーに出会えたらと夢見るルマエさん。
「ないものねだりなんですけどね(笑)。この家でのひとりの時間が大切なんです」
取材・文/百瀬康司