佳子さま

「ええ、あのおー、まあ、前回と同じように私に似て(います)……」

秋篠宮さまたちの表情やしぐさからわかる情報

“お宮参り”にあたる宮中三殿ご参拝に臨んだ紀子さまと佳子さま(1995年3月)

 佳子さまが誕生した日の様子を映像であらためて確認すると、秋篠宮さまや上皇ご夫妻と取材する記者たちとの細かいやりとりや秋篠宮さまたちの表情、しぐさ、その場の雰囲気など、新聞や雑誌の記事からではうかがい知ることのできないたくさんの情報にあふれていて、とても興味深い。

 1994年12月29日、佳子さまが生まれた後、皇居内にある宮内庁病院で佳子さまと初めて対面した父・秋篠宮さまは長女・小室眞子さんが生まれたときの様子と比べながら、冒頭のように笑顔で答えた。

「殿下、おめでとうございます」「可愛い赤ちゃんですか?」「どんな赤ちゃんですか」などと記者たちから矢継ぎ早に質問が飛ぶ中、「もう(佳子さまを)お抱きになられたのですか」と尋ねられ「ええ」とだけ短く応じ、「紀子さまはどんなご様子ですか」と体調を気遣う問いかけには「元気です」と語り、病院前から車に乗り込んだ。

 紺色のブレザーにグレーのズボン、えんじ色のネクタイ姿の彼は、車に乗る際に笑顔を見せ、記者たちに丁寧に会釈をした。

佳子さまが誕生した当日、宮内庁病院へ紀子さまをお見舞いに訪れた天皇陛下と雅子さま

 別の映像では同日の夕方に秋篠宮さまと眞子さん、上皇ご夫妻と長女、黒田清子さん(当時は紀宮さま)、それに天皇、皇后両陛下(当時は皇太子ご夫妻)が相次いで病院を訪れ、紀子さまを見舞う姿が。病院を出る上皇ご夫妻と黒田清子さんを、秋篠宮さまと眞子さんが見送った。当時、3歳の眞子さんは、妹ができ、姉となったのがとてもうれしかったのか、病院内から飛び出してきた。その後も、1人で玄関ポーチをバタバタと音を立てて歩き回るなど、少しもじっとしてはいない。

「陛下、おめでとうございます」。記者がこのように声をかけると「どうもありがとう」と上皇さまは答えた。「赤ちゃんのご印象はいかがですか」との質問には「ええ、とても元気そうな」と話し、続けて、美智子さまが「元気そうないい赤ちゃんでした」と語り、笑顔を見せた。

「眞子ちゃんに似ていますか?」と聞かれた美智子さまは、とっさに眞子さんを目で追いかけるが、彼女はそばにおらず、跳び歩きながら車のところに行ってしまっていた。瞬間、記者たちから笑い声が起きて、上皇ご夫妻も笑顔を見せた。上皇ご夫妻と黒田清子さんは同じ車に乗り、病院を後にしたが、眞子さんは「バイバイ」と、小さな手をさかんに振りながら車が見えなくなるまで見送っていた。

記者たちの笑いを誘った秋篠宮さま

1994年11月、29歳の誕生日に際し記者会見に臨む秋篠宮さま。第2子誕生を待つ思いなどを述べた

 紀子さまを担当した医師の会見では、佳子さまが生まれてすぐに「オギャー」と泣き、とても元気だったことが明かされた。母親が抱きかかえ、それからお湯で身体を洗った後、佳子さまに母乳をあげたことなどを医師は説明した。

 '95年1月6日、佳子さまが母親に抱かれて宮内庁病院を退院する映像を見た。玄関に医師や看護師がズラリと並び、2人を見送った。秋篠宮さまが付き添っていた。「佳子さまのご様子はいかがでございますか」。このように記者から問われたが、ピンクのスーツ姿の紀子さまは、はにかみながら笑顔を見せただけで直接、質問に答えることはなかった。「佳子さまのことを何とお呼びしているのですか」。記者の問いかけに、今度は秋篠宮さまが「今は『かこちゃん』と呼んでいます」と応じる。「眞子さまと似ていらっしゃいますか」と尋ねられた父親は「そんなに似ていないんじゃあないですかね」と話し、記者たちの笑いを誘った。

 秋篠宮さまと紀子さまの結婚('90年6月29日)の前から、'91年10月23日、眞子さんが誕生した後まで、私は宮内庁取材を担当する記者だった。長女が生まれ、見舞いに訪れた秋篠宮さまを、記者のひとりとしてやはり宮内庁病院前で取材した経験を持つ。それだけに、佳子さまが生まれたとき、病院前で繰り広げられた秋篠宮さまと記者たちが受け答えする動画がとても懐かしく、記者たちはかなり緊張して声をかけていたことなどを思い出した。

 現在、佳子さまは29歳で独身だが、秋篠宮さまが同じ29歳のときは、すでに結婚し2人の娘を持つ父親だった。そんな彼が'94年11月、29歳の誕生日を目前にした記者会見で記者から「20代最後の一年を迎えるにあたっての抱負をお聞かせください」と尋ねられ、このように答えた。

「早いもので、あと一年で三十路の大台ということになるわけですけれども、今後も今までと同様にですね、頼まれたり、それから与えられたりした仕事を一つひとつ大切に務めていきたいと思っております」

秋篠宮さまが答えた佳子さまへの期待

 実は昨年11月、58歳の誕生日会見で、佳子さまの今後の活動への期待について尋ねられた秋篠宮さまは次のように答えている。

「(略)やはりいろいろなところから声をかけていただいているわけですし、それぞれの、主催している人たちにとっては大変大事な催しが多いわけですね。ですので、引き続き一つひとつ、声をかけていただいた仕事に対して真摯に取り組んでいってもらいたいと思っております」

2人目の孫となる佳子さまと初めて対面した上皇ご夫妻。うれしそうな眞子さんの姿も

 29年前の発言とほぼ同じ内容で私は驚いた。秋篠宮さまの公的な活動に対する姿勢は若いころからブレることなく一貫している。この姿勢は子どもたちにも受け継がれているだろう。今、佳子さまに同じ質問を投げかけたとしたら、おそらく父と似たような答えが返ってくるに違いない。

 佳子さま出産後、天皇陛下と皇后雅子さまも紀子さまの見舞いのため宮内庁病院を訪れたことは先に述べた。陛下と光沢のあるオフホワイトのスーツ姿の皇后さまが病院を後にするとき、見送りは秋篠宮さま1人だけ。映像で見る限り、このとき記者たちとのやりとりはなく、2人は無言で車に乗り込んだ。眞子さんが跳びはね、明るく和やかな雰囲気だった上皇ご夫妻たちとは対照的な見送りの光景である。

 当時、結婚して1年半が過ぎたが両陛下に子どもはなく、長女の愛子さまが生まれる2001年12月1日まで待たねばならない。'65年11月30日の秋篠宮さま誕生を最後に、天皇になる資格を持つ男の子が生まれておらず、男子誕生が長年、多くの国民に待ち望まれていたと前回、この連載で記述した。佳子さまが生まれてもこうした状況は改善されなかった。秋篠宮さまに見送られる両陛下の静かな映像と重ね合わせながら私は、大きなプレッシャーがのしかかっていたのではあるまいかと当時の2人の心中を思いやった。

 29年前を動画で振り返ると、忘れかけていた思い出や記憶、感情などが意識の底から次々と浮かび上がってくる。

 そして、皇室の来し方や行く末について深く考えさせられた。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はフリージャーナリスト。著書に『秋篠宮』(小学館)、『美智子さまの気品』(主婦と生活社)など