細川たかし

 名刺代わりの、とか挨拶代わりの、といった表現がある。プロ野球で外国人選手の来日初本塁打を「名刺(挨拶)代わりの一発」と呼んだりするのが代表例だ。

 歌手でいえば、最初のヒット曲がそれだろう。

 その点、細川たかしのデビューヒット『心のこり』はインパクト抜群だった。なにせ、歌い出しが「私バカよね おバカさんよね」だ。なかにし礼が書いたこのフレーズが強烈すぎたため、約半世紀たった今も、筆者にとって彼は「私バカよね」の人である。

乗り越えてきたピンチ

 そんな細川が、昨年6月に結婚していたことを公表。相手は22歳下の会社経営者で、一昨年10月まで千葉県君津市の市議会議員も務めていたという。細川にはデビューの時点で妻子がいたが、2018年にその妻が病死。所属事務所によれば、

「来年の芸道50周年に向けて、新しい伴侶と歩んでいくことを決めました」

 とのことだ。

 これは一大転機にも思えるが、彼にとってはそうでもないかもしれない。長い芸能人生、さまざまなことがあり、時には大きなピンチも乗り越えてきたからだ。

 '07年に電子マネー『円天』をめぐる金銭トラブルで『NHK紅白歌合戦』の連続出場がストップ。翌年も暴力団との交際発覚により、復帰できなかった。しかし、そこから返り咲いたり、今回の結婚がちゃんとニュースになるようなステータスも維持できている。

「バカ」になれる強み

 それはバラエティー番組などで、この時期についたイメージをうまく払拭したからだろう。キティちゃん好きをアピールしたり、レイザーラモンRGのモノマネに乗っかったり。後者は何かと話題になるユニークな髪形までいじるような攻めたモノマネだが、

「オレの歌をよく覚えた、大したもんだ」

 と、シャレのわかるところを示した。

 これにはおそらく、若いころの成功体験が関係している。

 2年目以降しばらく、大ヒットに恵まれなかったが、塩入り歯磨き粉のCMで「ハァ~しょっぱい」とコブシを回し、笑いをとった。さらに『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系)にレギュラー出演してコントをやり、これが『北酒場』の大ヒットにつながる。この『北酒場』で日本レコード大賞を史上初の連覇。その次の年には『浪花節だよ人生は』もヒットして、不動の地位を確立した。

細川たかし

 芸能界で大切なのは、フットワークの軽さと切り替えの早さ、彼はそんなことを悟ったのではないか。

 興味深いのは、デビュー曲自体、そういう作品だったことだ。『心のこり』というタイトルが示すように、男に棄てられた女の未練心がテーマだが、細川が歌うとなぜか明るく、もうすっかり吹っ切って次の幸せに旅立とうとしているようにも聞こえる。不祥事が続いたときも「私バカよね」と自嘲しながら、あっさりと次の展開を目指したのではと、想像してしまうのである。

 '21年には3人の弟子たちと『細川一門』を結成。『夢グループ』の石田重廣社長や保科有里とも組んで、コンサートを開いている。

 彼がちょくちょく見せてきた面白戦略は、イメチェンというより、原点回帰のようなものだろう。いざというとき「バカ」になれる強み、それをデビュー曲によって啓示されたかのような細川は実に幸運で「おめでたい」人なのだ。

 結婚公表後にぶち上げた「100歳まで歌います!」という宣言も夢ではなさそうである。

ほうせん・かおる アイドル、二次元、流行歌、ダイエットなど、さまざまなジャンルをテーマに執筆。著書に『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)。