「サンキュー、トーキョー!!」
1月24日、東京ドームで2時間半にわたる来日公演を締めくくった世界的人気の米歌手、ビリー・ジョエル。
ビリー・ジョエルの日本公演に槇原敬之の姿
「16年ぶりの来日公演でしたが『One Night Only』、つまり“一夜限り”と銘打たれており、チケットは即刻ソールドアウト。今年5月で75歳という年齢もあり、今回のライブが最後の日本公演になる可能性が高いと言われていました」(レコード会社関係者)
デビューして50年以上、全世界でCD、レコードの総売り上げ1億6000万枚以上を誇るヒットメーカーのステージは、名曲のオンパレード。『オネスティ』『ハートにファイア』『アップタウン・ガール』といった人気曲を圧巻のピアノと大迫力の声で熱唱。
日本全国から集まったファンを沸かせたが、その中には日本の“ピアノ・マン”こと、槇原敬之の姿もあった。
「槇原さんは、2020年に覚せい剤取締法違反で逮捕されて、執行猶予付きの有罪判決を受けました。都内の渋谷区一等地に建てて住んでいた大豪邸を2021年に売却して、その後は京都に移住したと聞いています。2023年に執行猶予期間があけてから、大阪のラジオ局でレギュラー番組を始めています」(音楽業界関係者、以下同)
東京ドームに足を運んだ理由
そんな槇原は、2014年に発売されたビリー・ジョエルのトリビュート・アルバムに参加。ビリーの代表曲『素顔のままで』をカバーしている。憧れのミュージシャンのライブということで、東京ドームに足を運んだと思われるが、実は槇原の胸中には、もう1つの理由があった。
「2023年11月に、61歳で他界したシンガーソングライターのKANさんは、ビリー・ジョエルから音楽的に大きな影響を受けたと公言していました。1981年に初めて見たというビリー・ジョエルのライブが“私の音楽家への決意を確固たるものにした”と語っており、以後すべての来日公演に駆けつけていました」
1990年にKANさんがリリースした『愛は勝つ』は、翌1991年にフジテレビ系『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』の挿入歌に起用されると大ヒット。同じく1991年に、槇原は『どんなときも。』をリリースして大ブレイク。2人は、その年末の紅白歌合戦に初出場を果たした。
「KANさんと槇原さんは、表立っての交流はありませんでしたが、1990年代初頭に登場したピアノを弾き語るシンガーソングライターとして、ライバルとしても仲間としても、意識し合っていた部分があったようです。そんな2人にとって、時代的にビリー・ジョエルの影響は大きかったでしょう。今回のビリー・ジョエルのライブも、KANさんがもし元気だったら、間違いなく足を運んでいたでしょうね」
同じ時代を駆け抜けた音楽家の“同志”と、憧れの音楽家のライブへ――。ステージ上のビリー・ジョエルを見つめた槇原は、KANさんの分も、その歌声と演奏に酔いしれたに違いない。
槇原の個人事務所に、この日のライブについての感想を求めたが、
「確かに槇原は、ビリー・ジョエルさんのライブを観に行かせていただいておりました。ただ、今回はプライベートで伺ったものですので、コメントは差し控えさせていただきます」
とのことだった。“好きなものは好き”という気持ちを“信じること”に、天国のKANさんも、きっと微笑んで――。