荻野目洋子『ダンシング・ヒーロー』、キャンディーズ『年下の男の子』、榊原郁恵『ROBOT』、松田聖子『裸足の季節』、中森明菜『十戒』、森高千里『ザ・ストレス』、はっぱ隊『YATTA!』……などなど、それらすべての振り付けをしたのは、キャリア50年を超える振り付け界のレジェンド・三浦亨さん(77)。
キャリアのスタートとなる1970年から現在に至るまで、錚々たるスターたちにダンスや立ち居振る舞いを教え続け、現在も精力的に活動中。そんなご自身の歴史から、今だから話せる(?)芸能界の裏話まで、たっぷり語っていただいた。
振付師のレジェンド・三浦亨
「踊りは好きだったけど、仕事になるとは思ってませんでしたね」
宮城県で生まれた三浦さんは、石巻高等学校を卒業後、日本大学芸術学部・演劇学科への入学をきっかけに上京。在学中に公開された、アメリカ映画の『ウエスト・サイド物語』を見て「これからは踊りができないとダメだ」と、卒業後はダンサーとして活動する。
その後、郷ひろみやキャンディーズの振付師だった故・西条満さんに師事。のちには西条さんのアシスタントとして、渡辺プロダクションのタレントにダンスを教える講師となる。
「教えていた中に天地真理ちゃんがいてね。彼女は踊りが苦手なわけですよ。だから知っている人が振り付けたほうがいいだろうということになって、7枚目のシングル曲の振りを俺がつくることになったんです」
こうして、当時人気絶頂のアイドル・天地真理の『恋する夏の日』発売の1973年、振付師・三浦亨が誕生した。
ダンサーとしてデビューして以降、ずっと続けているのが「夜遊び」。
「ディスコ仲間はたくさんいます。アン・ルイスもディスコ仲間のひとりでした」
インターネットもない時代、洋楽最新ヒットを聴きたければ夜遊びをする必要があった。業界の大物もよく来ていたという。
「ピンク・レディーの振り付けを担当していた土居甫先生は、当時流行ってたディスコダンスをよく取り入れてたし、渡辺美佐さん(渡辺プロダクション名誉会長)も、最新の流行を知るために新宿のディスコによく来ていました。そこじゃ、ドナ・サマーなんかも日本で流行る前から聴けたからね」
そんな「ディスコの後輩」の中には、TRFのSAMや、EXILEのHIRO、旧ジャニーズ事務所で数多くの振り付けを手がけたサンチェ氏もいるという。
「ジャニーズといえば、少年隊の『ABC』は俺も振り付けをしていて、実は何バージョンもあるんです。『すぐショーパブでまねされちゃうから』って、ニッキが怒っていてね。だから、まねされたころに新しい振り付けを披露するってことをやってたんです」
松田聖子と中森明菜、2人のトップアイドル
その後、歌手やアイドルなど錚々たる顔ぶれに振り付けをすることになる三浦さんだが、当時はダンスパフォーマンスを前面に押し出す作品は少なく、あくまでも振り付けは「歌手の表現の方法のひとつ」だと振り返る。
「歌手は詞を伝える“ストーリーテラー”だと、俺は思っているので、いかに彼らが楽に歌えるかを考える。お芝居に近い感じですね。例えば“あなた”という言葉を伝えるときに手を差し伸べるなら、どれくらいの高さでやれば相手に伝わるか。テレビのときとコンサートのとき、会場の大きさでも変わるから、そういうことを大事にしてきました」
永遠のアイドルである松田聖子のデビュー曲『裸足の季節』も担当した。
「聖子の場合、ガーッと売れちゃって、彼女に振りを伝える時間が30分しか取れなくなっちゃったんですよ。化粧品のCMで、歌詞に『エクボ』って言葉が出てくるから、そこだけ決めればあとはどうでもいいやって(笑)。彼女は自分でできる子でしたからね」
そして当時ライバル的な存在だった中森明菜の『十戒』も三浦さんの振り付けである。
「『十戒』は『発破かけたげる』ってところでピンときたのが“往復ビンタ”。似たような手を振る動きが『少女A』にもあったんですけど、それまでは振付師の言うままに動いてたんじゃないかな? だから『これは往復ビンタだからな』って説明してね。
俺は明菜に対してこの1曲だけしか(振り付けを)やっていないんです。でも、俺の振り付け指導を受けた芸能人は、それ以降表現の幅が確実に広がっていると、マツコ(・デラックス)やミッツ(・マングローブ)なんかも言ってくれていますね」
確かに、彼女のその後の表現力・活躍は、読者の皆さんの知るところである。また、対照的な2人として印象に残っているのは早見優と堀ちえみだ。
「優は俺が『そんなんじゃ練習やめるぞ!』って怒ると、むしろ喜んでやめちゃうんですよ。だから、おだてておだてて、なんとかやってもらう。
ちえみは逆で、ガツンと言わないとやらない(笑)。リハーサルの初日とかなんて、はしゃいで全然覚えないんですよ。怒るとボロボロ泣くんだけど、でも次の日にはちゃんと覚えてくる。それが定番になっていました」
『ダンシング・ヒーロー』は“遊んでる”からつくれた!?
枚挙に暇がない三浦さんの仕事だが、代表作のひとつといえるのが、荻野目洋子『ダンシング・ヒーロー』だろう。今でこそ「バブリーダンス」の印象が強いが、スタンドマイクで歌う姿はどこか“夜”を感じさせる、アイドルの歌としては画期的な作品だった。
「あの曲の振り付けは、たぶん平ちゃん(荻野目が所属するライジングプロダクション社長・平哲夫氏)から直接話が来たのかな。俺が『振付師の中で一番遊んでる』から頼もうと思ったって、聞いたことがあります(笑)。本当かどうかわからないけど、確かに遊んでるんで(笑)そういう平ちゃんのセンスは、昔から尊敬してますね」
レコード会社の担当者を交えて話した結果、「見たことがないものをやりたい」という話になったとか。
「当時はみんなマイクを持ってただ歌っていて、積極的に踊る歌手ってのがほとんどいなかったじゃない。だからスタンドマイクで踊ることにした。最初にスタジオでこの振りを見た平ちゃんは、『悪いけど(振り付けを)全部変えてくれ』って言ったんですよ。彼にとって『見たことないもの』すぎたんだと思う」
だが結局、振り付けは変えることなくそのままでOKとなり、『ダンシング・ヒーロー』は荻野目のターニングポイントにして代表作となった。
現在、活動休止中の氷川きよしにも、三浦さんが振り付けを手がける曲がいくつかある。氷川には、演歌だけではない新しい表現方法についてもアドバイスをした。
「印象的なのは、『限界突破×サバイバー』のとき。最初の衣装のボトムが中途半端な丈で、俺から見て“ちょっとなあ”と思った。本人は脚がきれいで自信もあるのに、もったいないな、と。そこで『目いっぱい脚を出したほうがいいぞ』って。結果、いい方向にいったよね」
限られた時間の中で、表現者たちがもっとも映える動きやファッションを見いだし、方向性を示す。それこそが振付師の枠に収まらない、三浦亨の“すごさ”でもあるのだ。
「廊下で5分しかなくても、できるだけのことをやります。カッコいいこと言いますけど、引き出しをいっぱい持ってないといけない。踊りがどうあれ、彼らの魅力が引き出せればいい、そう思っています」
現在は「YOSAKOIソーラン祭り」の振り付けなど、ボランティアに近い形での仕事を受けることも多いという。
「『何かやりたい』って人がいたら、そういう人をどんどん手伝いたいですね。『大御所だからギャラが高い』なんて思われちゃってるんだけど(苦笑)、ソーラン祭りなんて運営側に『コスパがいい』って言われてますから(笑)」
仕事も夜遊びもまだまだ現役! さすがのレジェンドである。
取材・文/高松孟晋