「愛子さまは学習院初等科3年生のころ、管弦楽部に所属されていました。朝7時半から始まる朝練に遅刻しないようにと、陛下は何度も学校へ付き添われ、愛子さまがチェロを演奏される姿を見守られていたのです。
陛下も演奏会でビオラを披露したことがあるほど、音楽に造詣が深く、ご自分と同じ趣味を愛子さまが持たれたことがうれしかったのでしょう」(侍従職関係者)
愛子さまの幼少期、天皇家は苦難の連続
昨年、22歳になられた愛子さま。日本赤十字社への就職も内定し、順風満帆に見えるが、愛子さまの幼少期、天皇家は苦難の連続だった─。
「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りします」
約30年前、陛下のこの言葉に心を打たれ、雅子さまが結婚を承諾されたのは有名な話。
「陛下はこの約束を真摯に守ってこられました。愛子さまがまだ幼いころ、雅子さまは適応障害を公表されるなど、体調は今よりも波がある状態でした。そんな雅子さまに代わって、陛下は積極的に育児に取り組まれていたんです」(宮内庁OB)
『皇室の窓』(テレビ東京系)で放送作家を務めるつげのり子さんは、陛下のイクメンぶりについて、印象に残っているシーンがあるという。
「愛子さまがまだ生後8か月のころ、ご一家は静養のため、栃木県那須郡を訪問されていました。滞在中、『沼ッ原湿原』を散策されたのですが、その際、愛子さまを乗せたベビーキャリーを陛下が背負われていたんです。
このお姿に、普段から率先して子育てをなさっているのだと感じました」
陛下と愛子さまにも深い絆
児童向け施設に陛下が付き添われたことも。
「愛子さまが初等科4年生のときに、陛下は愛子さまとそのお友達を連れ、『キッザニア東京』をお忍びで訪問されました。6時間ほど滞在され、さまざまな職業の疑似体験を楽しまれる愛子さまを、陛下は微笑ましく見守られたのです。
天皇ご一家といえば、雅子さまと愛子さまの姉妹のような仲の良さが注目されがちですが、陛下と愛子さまも深い絆で結ばれている印象です」(前出・宮内庁OB、以下同)
雅子さまは'03年に帯状疱疹からご静養に入り、'04年には病名を適応障害と発表。療養に入り、子育てがままならない時期もあったという。そんな中、雅子さまを守ると決めた陛下は、愛子さまに“特別な一皿”を─。
「雅子さまはできるだけ自分で料理をお作りになっていましたが、療養に入られて以降、ご体調には波があり、起き上がることすらできない日も。雅子さまがおつらい日は、陛下が愛子さまのため、朝食をお作りになっていたそうです。あるときは、目玉焼きに焼きウインナーを添えた“ウインナーエッグ”をご用意されたと聞きました」
初等科2年生のころ、「一部に乱暴な生徒がいる」などの不安から学校を欠席がちになっていた愛子さまや、ご病気の影響で皇族としてのお務めを十分に果たせず苦しまれた雅子さまをいちばん近くで支えてきたのは陛下だった。
公務と宮中祭祀をお務めになり、家族への献身的なサポートも欠かさなかった“父”のおかげで、今日のご一家があるのだろう。
陛下のお話で気持ちが和らぐ愛子さま
前出のつげさんは、お代替わりの2年前、愛子さまをフォローされる陛下のお気遣いに心動かされたそうだ。
「'17年5月、ご一家は車いすバスケットボールの大会を視察されました。試合終了後、選手たちと懇談されましたが、
そんな雰囲気を察したのでしょう。
陛下は〝
ユーモアで愛子さまを和ませるご姿勢は、即位後もお変わりない。
「'19年8月、那須でのご静養のため、那須塩原駅に到着されたご一家は、駅に集まった人々と交流されました。このときも愛子さまは大変緊張されたご様子で……。
その日は猛暑日でしたから、陛下はハンカチを取り出され、額の汗をぬぐいながらふと“ハンカチ王子”とつぶやかれたんです。これには雅子さまも愛子さまも思わず吹き出されていました。一瞬で、愛子さまや周囲の緊張を解きほぐす、陛下のお気遣いだったのでしょう」(つげさん)
そんな愛子さまも3月に学習院大学を卒業され、今春から日本赤十字社へ就職される。
「愛娘の新たな門出に、ご両親の感慨もひとしおでしょう。日赤と皇室の関係は古く、昭和22年に香淳皇后が名誉総裁に就任して以降、総裁職は美智子さま、雅子さまへと引き継がれています。愛子さまが就職先として日赤を選ばれた背景には、そうしたつながりも挙げられるでしょう」(皇室ジャーナリスト、以下同)
愛子さまはこれまでも、国民に寄り添ってこられた。
「成年皇族になった際に制作することが慣例のティアラも、愛子さまは物価高に伴う国民の窮状を慮って、制作を辞退されました。今回のご就職も、20代の貴重な時間を学業でなく、社会や人々のために使いたいとお考えになられたのかもしれません。そんな“国民ファースト”な愛子さまを支持する人は多く、日ごとに“愛子さまを天皇に”という声が大きくなっているように感じます」
そうした声に、陛下はかつて“意思”を示されたことがあったという。
「10年以上前、陛下に近い皇室関係者たちの間で“愛子さま即位の可能性に関する話”が持ち上がったんです。その議題を耳にされた陛下は、“ちょっと待ってください”と女性天皇の実現に逡巡されたことがあったそう。万世一系の男系が途絶える可能性を危惧されたのかもしれませんが、一方で、“娘には結婚後、皇室を離れ、一般的な生活を送ってほしい”と願われているのだと推察します」
今後は日赤の職員として、愛子さまが陛下を支える日がくるのも、遠くはないだろう。