日本テレビ系でドラマ化された『セクシー田中さん』(ドラマ『セクシー田中さん』公式HPより)

「ヤバい女になりたくない」そうおっしゃるあなた。有名人の言動を鋭く分析するライターの仁科友里さんによれば、すべてのオンナはヤバいもの。問題は「よいヤバさ」か「悪いヤバさ」か。この連載では、仁科さんがさまざまなタイプの「ヤバい女=ヤバ女(ヤバジョ)」を分析していきます。

第96回 セクシー田中さん騒動

 このまま、終わりにしてしまってよいものなのかー。人気漫画家・芦原妃名子さん『セクシー田中さん』(小学館)のドラマ化に関わった脚本家や編集者のコメントを読んで、そんな気持ちになったのは、私だけではないはず。

 まずは脚本家の相沢友子氏。昨年、ご自身のインスタグラム(現在は閉鎖)で、「最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら急遽協力という形で関わることになりました」と“原作者めんどくさい”と言わんばかりの嫌味たっぷりの投稿をした後、沈黙を守っていましたが、ここにきて、ようやくコメントを発表しています。

脚本家・相沢氏が謝らない気持ちも理解できる

 ドラマ化に際しては、芦原先生は小学館の編集者を通して、「場合によっては、原作者が脚本を用意する」と条件を出し、製作者にOKをもらっていたそうです。しかし、相沢氏にはこれらの条件が伝わっていなかったようで、「私にとっては初めて聞くことばかりで、それを読んで言葉を失いました」「いったい何が事実なのか、何を信じればいいのか、どうしたらいいのか、動揺しているうちに数日が過ぎ、訃報を受けた時には頭が真っ白になりました」と発表しています。芦原先生を侮辱したと言われても仕方のないコメントを投稿したことについては、「もっと慎重になるべきだったと深く後悔、反省しています。もし私が本当のことを知っていたら、という思いがずっと頭から離れません。あまりにも悲しいです」とも綴っています。

 全くの推測ですが、芦原先生の掲げた条件を相沢氏が何も聞かされていなかったというのは、本当ではないかと思います。なぜなら、フリーランスにとっては人脈も業績のうち。芦原先生のような人気漫画家との仕事は相沢氏にとってメリットがありますから、その相手をSNSで悪く言うとは考えにくい。フリーランスの掟を破るほど、腹立たしい情報を相沢氏に囁いた人がいるのではないでしょうか。しかし、仮にそうであったとしても、相沢氏が個人が特定できる形で、芦原先生の人格を貶めるような発言をしたことは事実なわけです。ですから、この行動に関してはきちんとした謝罪があってしかるべきだと思いますが、その一方で自分だって被害者なんだと言って相沢氏が謝らない気持ちも私には理解できるのです。

 もしここで相沢氏が「SNSで芦原先生を侮辱したこと」のみについて謝ったとしても、ネット民は拡大解釈して「ほら、やっぱり脚本家がヤバかったんだ、すべては脚本家が悪かったんだ!」と猛バッシングすることは目に見えています。売れっ子とはいえ、相沢氏はフリーランスですから、弱い立場です。本当のことを知られるとまずい人達にとっては、「脚本家が暴走して、原作をぶっ壊した」とすべての責任を相沢氏になすりつけて、とかげのしっぽ切りできたら好都合でしょう。そうならないための自衛が「簡単に謝らない」ことで、これはフリーランスでないとわからない感覚かもしれません。

相沢氏は「言われたとおり、ちゃんとやった」

 相沢氏と言えば、漫画をドラマ化する際に筋書きを大きく変えることから、彼女を原作クラッシャーと呼ぶ人もいるようです。しかし、これも大きな誤解と言えると思います。クリエイターは自分の思ったとおり、自由に創作していいんだと思っている人もいるかもしれませんが、プロデューサーの方針や許可の下に創作するわけです。原作がぶっこわされたように見えたとしたら、それはプロデューサーがそれでいい、もしくはそれがいいと判断したというわけで、相沢氏は「言われたとおり、ちゃんとやった」と言えるのでは、ないでしょうか。

2013年、WOWOW『男と女の熱帯』舞台挨拶&試写会に出席した脚本家・相沢友子氏

「セクシー田中さん」の版元である小学館は会社としてのコメントを避けていますが、現場の編集者たちは、プチコミック公式サイト内で「第一コミック局編集者一同」として、コメントを発表しています。引用を含めてまとめると、以下の二点になると思います。

・メディア担当者と編集者がテレビ局の意向を伝えて、出来上がったのはドラマ版『セクシー田中さん』である

・「著作者人格権」という、著者が持つ絶対的な権利について周知徹底し、著者の意向は必ず尊重され、意見を言うことは当然のことであるという認識を広げることが、再発防止において核となる

 芦原先生はドラマ化に対し、いくつかの条件を提示していましたが、これはワガママではなく、著者として当然の行為であることであるとして芦原先生の名誉を守り、編集者たちもきちんとやるべきことをしたという主張だと私は理解しました。

 それでは、脚本家も出版社も「ちゃんとやった」のに、どうしてこんなことになってしまうのでしょうか。脚本家に指示を出せる立場であり、出版社とやりとりをし、かつドラマの最高責任者であるプロデューサーは何らかコメントを出してしかるべきと思いますが、おそらくこのままだんまりを決め込んで、人の記憶が薄れるのを待っているのではないでしょうか。

 現場で仕事をしていた相沢氏や小学館編集者のコメントを読んで、私はこの問題は今後も起きる可能性がある。そして、今後追い詰められるのは原作者だけでなく、編集者である可能性もあるなと私は思いました。なぜなら、性善説に頼りすぎているというか、「話が違う」時に対する備えがないからです。

私たちは気を抜くとヤバいことをする

2006年、映画『LIMITOFLOVE海猿』

 今回のことを契機に、『海猿』(小学館)の作者・佐藤秀峰氏をはじめとした人気漫画家たちがメディアミックスにおいて、原作者がどれだけ軽んじられているか内情を告白しています。

 経験者たちの苦渋の告白により、今後、漫画がドラマ化されるときは、原作者は遠慮せずにいろいろな条件を言えるようになるでしょう。それは当然の権利なわけですし、喜ばしいことですが、原作者とテレビ局の間で調整をする編集者の負担はかなり増えることでしょう。

 特に問題なのはテレビ局との間に「話が違う」ということが起きた時。編集者は原作者を守るために間に入るでしょう。しかし、実際にドラマを作るのはテレビ局ですから、いろいろな理由をつけて思い通りにすることは不可能ではないでしょう。こういう時、編集者はテレビと原作者の間で板挟みになることが予想されますし、原作者との信頼関係にヒビが入ってしまう可能性があります。こうなると、真面目に取り組む編集者ほど心身ともに追い込まれてしまうのではないでしょうか。また人を介してやりとりすると、微妙に話のニュアンスがずれていったり、意図的に話をねじまげる人がいないとは言い切れない。そういったことを防ぐためには、やりとりを可視化させることがポイントになるのではないでしょうか。

 具体的に言うと

・ドラマ化にあたって罰則も明記した契約書を弁護士の指導の下に交わすこと

・出来上がった脚本を原作者に見せて、ドラマ化の許可をもらうこと(原作者も許可するかどうかの判断がしやすくなるでしょうし、脚本家に対する誹謗中傷を防ぐ効果もあります。この方法をとるなら、未完の作品はドラマ化の対象外となります)

・原作者の代理人を編集者にするのではなく、原作者本人が代理人を立てて、原作者の利益を守ることに専心すること

 などが思いつきます。

 私は人は誰しもヤバいものとだと思っています。善良な人でも、大組織に属していると会社の名前を武器に居丈高にふるまったり、権力を手にするとパワハラやセクハラを行うこともある。ですから、「私たちは気を抜くとヤバいことをする」という前提で、約束が守られなかったら、違反があったらどうするのかに備えてしっかり契約し、役割分担をはっきりさせなくてはいけないのではないでしょうか。かわいそうだった、さみしいなど、お涙頂戴の言葉で風化させていいことでは、決してないと思うのです。

<プロフィール>
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ。会社員を経てフリーライターに。『サイゾーウーマン』『週刊SPA!』『GINGER』『steady.』などにタレント論、女子アナ批評を寄稿。また、自身のブログ、ツイッターで婚活に悩む男女の相談に応えている。2015年に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)を発表し、異例の女性向け婚活本として話題に。好きな言葉は「勝てば官軍、負ければ賊軍」