2022年11月に夫の徹さんを見送った郁恵さん。人を喜ばせることが好きな徹さんは、忙しい中でも家族サービスに熱心だったという。「ずっと共働きで、変なケンカもいっぱいしたんです。でも闘病中ですらずっと明るい人。救われましたね」一周忌を終え、ひとりとなった現在を語る。
結婚したら仕事は辞めるつもりだった
第1回ホリプロタレントスカウトキャラバンで優勝し、アイドルとしてデビューした榊原郁恵さん。一昨年、夫・渡辺徹さんを見送り、昨年は1年間で総公演数450回以上というロングラン上演の舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』に出演。女優として完全復活を果たしている。
「1年間通して舞台に出演したのは初めてでした。主人の看病をしているときにお声がけをいただいたら難しかったかも。キャストの中で私が上から2番目の年齢だったんですが、若手の皆さんから刺激やパワーをたくさんいただきました」(郁恵さん、以下同)
郁恵さんは3月からこの舞台に再出演するまでの間、これまで頑張ってきた自分自身を“甘やかして”いる。
「若いころから突っ走ってきたエネルギーをこの舞台に詰め込んで、出しきったので、燃え尽きたわぁという感じ。そしたら、『まぁ、どこまでダラケるのかしら、私!』っていうくらい、舞台のあとにのんびりしちゃって(笑)。家族と久しぶりにハワイ旅行に行くなど、しばらくは思いっきり休みました」
長男の渡辺裕太さん(34歳)も俳優となり、芸能一家として知られる渡辺家だが、結婚する際、郁恵さんは芸能界の引退を考えていたという。
「結婚したら仕事は辞めるつもりだったんですよ。意外かもしれませんが、私はネガティブな性格。仕事と家庭の両立なんて、私にはできないと思ってたから」
事務所の先輩だった山口百恵さんの、結婚を機に引退する姿を見ていたこともあり、郁恵さんは家庭に入ろうと心に決めていた。事務所にも芸能の仕事は結婚するまでと話していたが、その決意を変えさせたのは徹さんと自身の母の言葉だった。
「主人が『仕事をしているときの君が輝いているから、これからも続けていけばいいんじゃないかな』と言ってくれたんです。所属事務所の偉い人と一対一で話してくれて……。引き続き、お仕事をやっていけるような状況をつくってくれたんです」
デビュー前は芸能界入りに大反対だった母も、仕事を続けられるよう、力になるから、と背中を押してくれた。
結婚後間もない渡辺家で起きた「赤いウインナー事件」
「夫婦共に忙しい時期で、私なりに大変なことはあったけど、協力してくれる人がいっぱいいたんです。ほかの仲間と比べたらずっと恵まれていた。子育ての不安も、母や義理の両親に相談していました」
周りに助けられたという郁恵さんだが、特に大きかったのは、やはり徹さんの存在だった。
「主人はいつも楽天的で、『おまえはこれでいいんだ』と言ってくれたから、自信を持てた。肩に入っていた力も抜け、気持ちもすごく楽になりました」
「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー2021」の受賞など、芸能界きってのおしどり夫婦として知られていたふたり。仲むつまじい姿をテレビ番組でよく見かけていたが、家では夫婦ゲンカも多かった。
「まぁ意見が合わない! 何なんでしょうね(笑)。結婚すると『違う、違う、違う!』って戸惑うことばっかり」
ふたりは考え方の違いでケンカになることも多かったが、そんなときも「もういいよ」とごまかすことなく、お互いに精いっぱいぶつかった。たまにはすぐに仲直りできないような行き違いもあったが、仲直りのきっかけは、いつも「一緒に寝ること」。
「私たちは夫婦の寝室は一緒という考えなんです。ケンカして仲直りのきっかけをつかめないときも寝室が一緒だと気まずいけれど、同じ場所で一日が終わることで“休戦”するというか。目が覚めて次の日が始まると『おはよう』って言葉で、気持ちが切り替わってリセットされるんです」
数多とあった夫婦ゲンカだが、特に記憶に残っているのが、結婚後間もない渡辺家の食卓で起きた「赤いウインナー事件」。ウインナーが好きな徹さんのために、郁恵さんは“高級な”粗挽きウインナーを朝食に出していたが、徹さんが突然怒り出し、「家出してやる」と言い放った。
「最初、びっくりしちゃって。『俺は赤いウインナーが食べたいんだ!』って言って家を出ていって。『何言ってるの? この人……』って」
実は、徹さんはそれまで何度か自分の好みをやんわりと伝えていたが、郁恵さんはそれに気づいていなかった。
「主人は繊細なところもあって、人の言葉の裏側を考えちゃうんだけど、私は裏表のない典型的なB型。遠回しに言われても困るし、別々に育ってきた血のつながらない他人同士が暮らす難しさを悟りました(笑)」
昨年、故人となった徹さんの誕生日には、当人が好きだったマヨネーズをたっぷりかけたゆで卵と赤いウインナーを位牌の前に供えたという。
子育てやお金の使い方は意見が違った
「夫はマヨラーだったんです。もう食事制限する必要もないから、我慢していた分、大好物をあげたくて。いや、赤いウインナーはたまたまスーパーで目に入って。しかもお徳用なんですけど(笑)。若いときにケンカしたことを思い出して懐かしくなったんです。主人は『おまえ、俺がいなくなってからのほうが優しいんだな』って絶対にびっくりしてますよ」
繊細な徹さんと裏表のない郁恵さん。違う考えを持つからこそ、引かれ合っていたのだろう。ふたりは子育てやお金の使い方も意見が違った。
「私は旅行に行くにしても、エコノミーの普通席でいいと思っちゃうんだけど(笑)。主人が『家族で楽しむなら贅沢しようよ』『俺たち、何のために働いているのよ。このときのためでしょ!』って。だから列車はグリーン車にしたり。飛行機に乗るんなら、せっかくだからファーストクラス、海外のホテルはスイートルームを利用していました」
ふたりとも売れっ子だったため、渡辺家が全員そろうのはお正月ぐらい。子どもたちを連れて、日本の各地のお正月を楽しんだそう。
「主人も私も仕事でいろんなところに行って、美味しいものを食べたり、いい景色を見たりするんだけど、今度は『家族にも見せてあげたい!』『食べさせてあげたい』って思うんですね。それに、子どもたちにいろんな経験をさせてあげたかったから、家族で出かける機会はとにかく多かったです」
徹さんが亡くなって1年余り。助けられていた部分や支えられていたことに、改めて気づくことが多いという。
「体調が優れず、つらいときも私たちに心配かけまいと、いつも明るくて。主人に頼っていた自分がいたんですよね。人間関係でもすごくまめ。『徹座(渡辺徹さんプロデュースのお笑いライブ)』や、家族3人で挑戦した『朗読劇』を継続できたのは、そんなまめさのおかげ。彼の“いいな”って思ったところは、まねしていきたいですね」
昨年、夫の後を継ぎ、裕太さんと共に徹さんの故郷・茨城県古河市の観光大使に任命されたことも、徹さんがつないでくれた縁のひとつだ。
「改めて考えてみると、まだ自分発信のものが何もない! いつも家族や周りに助けられていたから。ゆっくりしたペースでしか変われないけれど、主人を見習っていろんな人に気遣いができるようになりたい。自分らしく一歩ずつ進んでいきたいですね」
取材・文/オフィス三銃士
さかきばら・いくえ 1959年、神奈川県生まれ。1976年に芸能界入り。デビュー後はアイドルとして人気を博し、その後舞台やテレビ、ラジオなどマルチに活躍する。3月下旬には舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』へカムバック予定。