『だれかtoなかい』(フジテレビ系)での真木よう子(41)の炎上発言。これは彼女個人の問題というよりも、放送したフジテレビの問題なのではないだろうか――。
中居正広(51)と二宮和也(40)がMCを務めるトークバラエティ番組『だれかtoなかい』の2月18日(日曜、21時~)放送回のゲストは、真木よう子と、彼女が対面を熱望して出演した新田真剣佑(27)だった。
真木はNetflix配信の実写版『ONE PIECE』で、新田が人気キャラ・ゾロを演じていたのを観て大ファンになったそうなのだが、憧れの人に会える興奮から暴走気味になっており、発言が物議を醸しているのである。
「“はらませられる”と思った」
新田がスタジオに登場する前、真木は彼の魅力を熱弁しており、その流れで、
「エロいんですよ」
「41にして初めて、“はらませられる”と思ったんですよ」
「(『ONE PIECE』劇中のゾロを観て)縛られてる。エッロって思って」
などと性的視点で新田を観ていたことを語っていた。
新田と対面後も真木は好意を一切隠そうとせず、一連の彼女の発言を報じたネットニュースのコメント欄には、次のように不快に感じた人のコメントで溢れていた。
《昨夜の新田さんへのアピールにはセクハラ以外何ものでもないと思いました…よくテレビ局も放送できましたね》
《いやいやいやいや、あれはドン引きだわ。 まっけんもドン引きしてたし》
《だれかtoなかいの真木よう子の絡みは完全にアウトで超セクハラでしたね。男と女が逆だったら放送できませんからね》
ただ、セクハラの線引きが過剰になっていると分析する、次のようなコメントも少なくない。
《犯罪は別だけど、これくらいのことですぐセクハラだ!って騒ぐのはちょっとね》
《放送されてる時点で、相手側も了承してるわけだし、ハラスメントかどうかは当人が決めることで周りがとやかくいうことじゃないのでは、周りがそうやっていうことの方がハラスメントだと思うのだけど》
公共の電波で放送したことが問題
結論から言うと、一番の問題はフジテレビの放送倫理のズレにあると感じた。
まず、ごくごく個人的な感想を言うなら、筆者が新田の立場だったとしたら真木の発言は不快に感じないし、ちょっとエッヂの効いた下ネタだと思うぐらいで受け流せていた。
ハラスメントは受け取り手がどう感じるかが最重要なので、新田も同じように、特に不快に感じていなかったのであれば、第三者の他人がセクハラだなんだと騒ぎ立てる必要はないだろう。
――だがそれは、クローズドな場での出来事だった場合である。
フジテレビは何百万人という視聴者がいる公共の電波に乗せて、この真木の発言を垂れ流したのだ。放送は日曜21時台だし新田は若手人気俳優なので、多くの青少年が視聴していたことも想像に難くない。放送倫理的にいかがなものか。
ネットの声を見ると、今回の真木の発言を不快に思った人は多数おり、そういった層の人たちは一連の発言が自分に向けられたらセクハラだと感じるはずだ。
だが公共の電波で放送するということは、その発言を「問題なし」と見なして許容しているということになり、これぐらいの発言は“セーフ”なのだと思い込む人が出てくれば、世間でのセクハラを助長しかねない。
フジテレビ側が編集でカットしていれば、「当事者の新田が不快に感じていないのなら問題なし」というロジックでいいのだが、放送してしまっていることが問題ということである。
ジェンダーレス的にもまずい判断
フジテレビにはもうひとつ、別の視点からの問題も感じる。
真木の一連の言葉が、41歳男性から27歳女性への発言だったとしても放送していたのか、ということ。
これがオジサンから若い女性に向けられた言葉だったとしても、フジテレビが平気で放送するならそれはそれでヤバいが、おそらく性別が逆だった場合なら“アウト”発言と判断して、放送していなかったのではないだろうか。
仮にフジテレビが、「性別が逆だったら“アウト”だけど、女性から男性への発言ならこのレベルはまだ“セーフ”」とジャッジしていたのだとしたら、ジェンダーレス社会を目指すいまの時代の価値観についていけてない。
要するに、その発言が男だろうが女だろうが放送していたのなら、セクハラ助長の観点からまずいし、性別逆転の場合はカットするということであれば、ジェンダーレス的な観点からまずい、というわけだ。
そのため、真木よう子の問題というより、価値観のアップデートができておらず、時代とズレているフジテレビの問題だと感じたのである。