みなさんは「獣医病理医」と聞いて、どのようなイメージを持たれるでしょうか。
獣医病理医の中村進一さんが専門にしているのは、動物の体から採ってきた細胞や組織を調べて、「病(やまい)」の「理(ことわり)」を究明すること。要は「なぜ病気になったのか、どうやって死んだのか」を調べることを生業としています。
そんな中村さんの著書『死んだ動物の体の中で起こっていたこと』(ブックマン社)から、動物の生と死をめぐるエピソードを3回に渡って紹介します。
若いのに骨があちこち曲がって
生後4カ月のビーグルの病理解剖を依頼されました。大きなたれ耳が特徴的な比較的小型の猟犬で、スヌーピーのモデルとしても有名な犬種です。
遺体を持って来られた飼い主さんは、「まだ若いのに骨があちこち曲がってたんだよね。足もひきずっていてさ。先天異常だったと思うんだけど……」と言います。
たしかに、遺体は一見して四肢の骨や背骨、肋骨などが変形して大きく曲がっています。病理解剖を進めると、関節もひどく腫れていることがわかりました。
実は、これは成長期の子犬にしばしば見られる、ある病気の典型的な所見です。骨や軟骨の成長に異常が起きて、骨が湾曲したりすぐに骨折したり関節が腫れたりする病気で、「くる病」と呼ばれます。
この病気は、骨の成長に必要なカルシウムやリンのアンバランス、ビタミンDなどの不足が原因で起こります。
カルシウムやリン、ビタミンDが不足した骨は弱くて軟らかくなり、曲がったり折れやすくなったりするのですね。骨が弱くなることに加えて、関節が腫れたり、筋肉や関節に負担がかかり、歩行障害が起きることもあります。
栄養素の偏った食事で病気に
子犬の場合、極端に栄養素の偏った食事を与えていると、しばしばくる病が起こります。
そこで、飼い主さんに毎日どんなエサを与えていたのか尋ねてみると、案の定「猟犬で丈夫なイヌだし、いつも生肉をあげていた」という答えが返ってきました。
「イヌやネコは肉食動物だから、いろいろ混ぜたエサより肉を食べさせる方がいいだろう」
「加工されたペットフードより、自然のままの生肉を食べる方がイヌやネコも幸せだろう」
そう考えて、飼っているイヌやネコに生肉を与えている飼い主さんが時々います。わざわざ手間と費用をかけて生鮮の肉を与えるわけですから、その動物の幸せを思っての行動なのでしょう。
しかし、肉食動物といっても、実際のところは肉だけを食べて生きているわけではありません。
彼らは野生下で草食動物などを獲物として捕まえたら、肉と一緒に血液や内臓、消化管内の内容物(つまり、半ば消化された草など)も食べているのが一般的です。
したがって、飼いイヌや飼いネコに「生肉だけ」といった極端に偏った食事をさせていると、成長や健康維持のために必要な栄養素が不足して、くる病などの病気になります。また、生肉はぼくたち人間にとっても食中毒のリスクがあるのと同じように、イヌやネコにとっても衛生上の懸念があります。
これが市販のペットフードであれば、各メーカーの長年にわたる研究努力によって必要な栄養素を過不足なく含んでいますから、栄養性の病気の発生リスクはかなり抑えられます。衛生面でも安心できます。
このときのビーグルにしても、飼い主さんが成長期の子犬用のドッグフードを与えて、日光浴や外での運動を十分にさせていれば(骨の成長に必要となるビタミンDは、紫外線に当たると皮膚で合成されます)、くる病にならなかった可能性は高いでしょう。
この子は最期に苦しみましたか?
「この子は最期に苦しみましたか?」
亡くなったペットの飼い主さんからしばしば受ける質問です。
病理解剖の結果、大きな病変が見つからなかったときや、突然死や老衰の場合は、「おそらく苦しむことなく亡くなったでしょう」とお伝えしています。
しかし、病気になったり、けがを負ったり、適切なエサや水や住環境を与えられなかったりした動物たちがどのように感じているのか、人であるぼくに実際のところはわかりません。
科学者の間でも、人以外の動物が人と同じような「苦しみ」を感じるかどうかについては、さまざまな意見があります。
しかし、動物の種によってある程度の差はあるものの、生き物としての体のつくりや刺激に対する反応などがぼくたちと根本の部分で共通している以上、ぼくたちが「苦しい」「痛い」「つらい」と感じるようなことは、やはり動物にとってもそうなのだろうとぼくは考えています。長年、動物を身近で見てきた経験からもそう感じます。
かわいそうに、この子はおそらく最期まで全身の骨や関節の痛みで相当に苦しんだことでしょう。解剖台の上の遺体の曲がった骨や腫れた関節を見るにつけて、やり切れない思いがこみ上げました。
「生肉ばかりを食べていたことが、この子がくる病になった原因だと考えられます。また、発症しても早めに動物病院に行って治療を行っていれば、亡くなることはなかったかもしれません」
そう伝えると、飼い主さんは、
「まだ小さいのに骨が曲がって死んだから、てっきり生まれつき病気のイヌを売りつけられたのだとばかり……」
と反省しきりでした。
ネグレクトという1つの虐待
動物虐待といえば、殴る・蹴るといった積極的な暴力が一般的にイメージされるでしょう。しかし、適切なエサや水を与えなかったり、病気を放置したり、劣悪な飼育環境に置くこともまた虐待にあたります。いわゆるネグレクトという虐待の1つのかたちです。
これらは、たとえ虐待の意思がなかったとしても、飼い主さんの無知や不注意、怠慢などによって引き起こされ得るものです。この子の場合も、飼い主さんの無知による虐待といえなくもないでしょう。
病理解剖をしていると、このような「意図せぬ虐待」にしばしば遭遇し、そのたびに胸が痛みます。
別のケースでは、飲食店を経営されていた飼い主さんが「店で余ったラーメンや残飯をイヌに毎日与えていた」ということもありました。このイヌも偏った栄養からくる病を発症して亡くなっていました。
動物を飼うということは、極論すれば人間の一方的な都合です。であれば、不幸にして動物が亡くなったとき、せめて人はその死の原因をしっかりと究明するべきです。
そして、死の検証から何らかの「教訓」を引き出すのは獣医病理医の仕事であり、その教訓をしっかりと学ぶのは動物を飼う者の義務です。
愛情だけでは動物は飼えません。獣医療の従事者だけでなく、飼い主も常に学び続けなければなりません。
飼育の手引きなどの普及で飼い主の知識も増えてきたとはいえ、現状では、まだまだ人の無知や身勝手によってたくさんの命が失われています。
中村 進一(なかむらしんいち)Shinichi Nakamura
獣医師、獣医病理学専門家
1982年生まれ。大阪府出身。岡山理科大学獣医学部獣医学科講師。獣医師、博士(獣医学)、獣医病理学専門家、毒性病理学専門家。麻布大学獣医学部卒業、同大学院博士課程修了。京都市役所、株式会社栄養・病理学研究所を経て、2022年4月より現職。イカやヒトデからアフリカゾウまで、依頼があればどんな動物でも病理解剖、病理診断している。著書に『獣医病理学者が語る 動物のからだと病気』(緑書房,2022)。